飫肥糺 連載139 被爆者をうわさごとにしてはいけない。被爆国の日本の実際 『うわさごと』

たましいをゆさぶる子どもの本の世界 139    飫肥 糺

被爆者をうわさごとにしてはいけない。被爆国の日本の実際『うわさごと』

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1980年8月6日、ぼくは原水禁世界大会に参加した。祈念式典では荒木武広島市長が「平和宣言」、被爆者援護法制定を求め、第2回国連軍縮特別総会に向けて平和首脳会議の開催を提唱する。大会会場では、四国五郎が、「あなたのとなりをみてください/ヒロシマの子はいませんか/ヒロシマの子はすんだヒトミであなたの顔をじっとみつめています……」と、自作の詩を哀切に朗誦して参加者の涙をさそった。

2017年、国連加盟122か国が賛成して「核兵器禁止条約」が成立する。しかし、核状況は一変する。

2022年、ウクライナに侵攻したロシアが核使用をちらつかせだしたのである。こんな状況を憂えてか、原爆投下78年の今年。松井広島市長は「世界中の指導者は核抑止論が破綻していることを直視すべきだ」と「平和宣言」で強く訴えた。訴えはむなしくひびく、核抑止論を執りつづける大国の数々。核の傘を言いわけに被爆国日本も抑止論を執る。被爆者や多くの国民の痛切な声には聴く耳をまるで持たない。

絵本『うわさごと』は、終戦まもなく広島から被爆地でない土地にやってきた小学生ケンゴを登場させる。ケンゴは原爆で母や兄姉を失った。父は戦争に行ったままだ。で、遠い親戚の老夫婦のもとに。

『うわさごと』は、祖父(ぼく)が語り手となり、悪口を言いふらされてケンカしたという孫に自分の子ども時代のケンゴに関わる痛切な思い出を語り聞かす。うわさのもたらす厄介さを諭していくのである。うわさを言い交してその場をつくろう風習はときとしてあらぬ方向に向かう。特定人物の名誉を損なったり、うわさをたてた本人が信用をなくしたり。子どもたちのいじめの理由となることもあるだろう。

ケンゴにかけられたうわさは、「ゲンシ病をうつす。」という根も葉もないうわさだ。だれが言い出したかわからない。土地の子らから忌避される。いじめにあう。ケンカになる。ひどい話ではないか。

語りは祖父(ぼく)の一人称だ。(ぼく)の兄ちゃんがケンゴとケンカしたことからはじまる物語はたんたんとしたリズムで、読み手の心にしみいるような語り口。

兄ちゃんの「だって、みんな言っとる、広島の子だぞ」。この言い草に(ぼく)の父ちゃんは、「ジンピンゲレツ!」(人品下劣)と怒り、父ちゃんと兄ちゃんはバリカンで頭を丸める。ついでだからと(ぼく)の頭まで丸めて3人でケンゴの家へあやまりに……。「うわさごとに乗せられて、このアホタレ息子が」と畳に頭をつける父ちゃん。こんな父ちゃんのふるまいを、兄ちゃんと(ぼく)はどう思ったか、うわさを信じてしまう軽率さがいかに大事になることを知り、恥じ入る思いではなかったか、と思う。

こんなことがあって、(ぼく)らはケンゴの家族と親しくなる。学校で投げかけられる悪口にも動じなくなったが、ときに(ぼく)自身がうわさを流してしまう大失敗を起こす。自転車どろぼう騒ぎで、ちょいと聞いただけの話で”6年の誰それがどろぼうだ”と言ってしまい、ひどいしっぺ返しにあう。そうなんだ、人を傷つけるようなうわさは絶対にやってはいけないご法度なのだ。

作者・梅田俊作は、ケンゴが忌避されても、けっしてケンゴを卑屈には描かない。むしろ悲惨な体験を乗りこえて自立する強さを描き出しているのが胸を打つ。ケンゴは、転校前の先生から教えてもらった宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を、難事にぶつかるといつもそらんじた。たとえば、……アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニイレズニ/ヨクミキキシ/ワカリ、ソシテワスレズ……を口に出して胸を張った。被爆者ケンゴはたくましい。賢治の詩魂をまるで自分の心性に落とし込むように……。

いじめや差別の淵源に、原爆投下の実際があるなんて、許されることではない。何度も読んで考えつづけたい作品である。(おび・ただす)

『うわさごと』
梅田俊作/文・絵
汐文社