飫肥糺 連載138 生まれてくる子どもだって、母親に早く会いたいのだ 『うまれてきてくれて ありがとう』飫肥 糺

たましいをゆさぶる子どもの本の世界 138    飫肥 糺

生まれてくる子どもだって、母親に早く会いたいのだ
『うまれてきてくれて ありがとう』

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2022年の子どもの出生数は明治32年に統計を始めて以来最少の77万747人。はじめて80万人を割った。ひとりの女性が生涯に産む合計特殊出生率も7年連続で減少して1.26と史上最低に…… (厚労省人口動態統計)。少子化は加速する。

ぼくの弟ふたりは団塊世代の1948年・50年生。同年の生まれはいずれも270万人を超えた。戦後78年を経て日本の年間出生数は200万人も出生減となる。少子化進行は結果として高齢者比率を上昇させて高齢化社会も加速させる。

少子高齢社会は、社会的にも経済的にも国や社会をはげしくゆさぶる。年齢構成をいびつにする。家族形態、地域や学校、職場や働き方、介護など社会保障のありようもどんどん変容させる……。1970年代半ばから少子化問題は取り沙汰されてきた。しかし、掛け声だけで政治や行政は策をろくに講じないまま先送り。そのつけが今の今になって回ってきたということではないか。現在の政権も「こども未来戦略方針」案を示し異次元の少子化対策を行うぞと拳をあげるが果たしてどうか、掛け声だけで終わらぬよう、ぼくは希うばかりだ。

結婚も出産も個人の自由だ。決して強制されるものではない。個人の価値観は時代とともに変わる。さらに、少子化の背景には社会的経済的状況が強く広く横たわる。結婚したくてもできない、子どもを産みたくても産めないという人々を、日本社会はじわりと増加させてきたのではなかったか。日本社会は、人々が安心して結婚・出産・子育てできる環境を整えてこなかったのではなかったかと、つくづく思う。

半世紀も前の1976年、ルース・ボーンスタインは、生命の誕生を多様な動物たちがこぞって祝福して、みんなで子育てをする社会のありようを『ちびゴリラのちびちび』で著す。人間だって自然世界の一部であり動物の一部である。自然世界の不変で普遍の理は他の動物たちとおなじでなければならない。

2011年、誕生する前の子どもがママを探し求めるファンタジックな絵本『うまれてきてくれて ありがとう』が生まれる。主人公は天使のような不思議な存在の「ぼく」。クマやゴリラ、ブタにフクロウの子どもたちに「ぼくのママしらない?」と訊ねめぐるおはなしだ。子どもたちのママは、我が子を…、抱きしめ、ほほにキスする。あるいは、おっぱいで満足させ、大きな羽にやさしく包み込む。こんなとき、ママたちはいつも決まって「うまれてきてくれてありがとう」の科白をはいた。

やがて、ママを発見した「ぼく」は満月の夜、ママのおなかに入り、羊水のなかでママの声やぬくもりを感じとる。そして、誕生した「ぼく」が聞き取ったのは、あれほど言ってもらいたかったあの決まり文言だった、というフィナーレで物語を閉じる。会いたいのは産む母親ばかりではない、生まれてくる子どもだって母親に早く会いたいのだ、と思うとうれしくなるではないか。

作品は、難産で入院した妻をはげましながら実子の誕生を迎えた実体験から、夫である作者にしもとようが作品化したという。生命を尊び、その誕生を真剣に希う夫婦が体験した想いや希望が素朴な響きで心にとどく言葉となったのだろうか。やわらかくて親しみのある黒井健の達意のイラストと快く共鳴する気持ちの良い作品である。

余談だが、近年、この「生まれてきてくれてありがとう」の科白をよく耳にする。歌手が歌詞に採り入れて唄ったり、はじめて子どもを出産した若いタレントたちが口にする機会がふえているように思う。12年前に刊行された当該作品が科白を伝播させたのではないかと勝手に想像をふくらませている。
(おび・ただす)

 

『うまれてきてくれて ありがとう』

にしもとよう/ぶん

黒井健/え

童心社