子ども歳時記141 もう こんなに大きくなったんだね/栗本 優香 『あんなに あんなに』(ヨシタケシンスケ/著、ポプラ社)

子どもたちが進級、進学などで新しい環境へと飛び込んでいく季節がやってきました。子どももさることながら、それを見守る親にとっても期待と不安が入り混じった、そんな季節です。

 

『あんなに あんなに』(ヨシタケシンスケ/著、ポプラ社)を手に取ると、男の子とお母さんの何気ない日常のやり取りがそこにありました。≪あんなに ほしがってたのに もう こんな≫とせっかく買ったおもちゃが、しばらくすると他のおもちゃと一緒に床に散らかっている光景が描かれています。小さい男の子の何気ないしぐさをとらえた絵に、娘を重ねながら読み進めました。

 

やがて男の子が成長すると「あんなに……」の光景も変化していきます。反抗期なのか、自室から出てこない息子を見て≪あんなに なきむしだったのに もう こんな≫と心の中でつぶやいたり、≪あんなに わかかったのに もう こんな≫と鏡を見て落ち込んだりするお母さんの姿が描かれています。

 

子育て真っ最中の方も、子育てがひと段落した方も、「そうそう」、「そうだったなぁ」と自分の子育ての日々と重ねて読むことのできる絵本です。

 

新しい環境に飛び込んでいく子どもたちのパワーは、きっとこんな日々から生み出されるのではないでしょうか。そしてその源には、失敗したり、心細くなったりしたらいつでも親の元に戻っていけるという安心感があるのだと思います。絵本の読み聞かせで、日々かわす言葉で、まなざしで、そんな安心感を育んでいけたらと思わずにはいられません。

 

中学生になった娘を見て、もうこんなに大きくなったのだと嬉しい反面、思春期の真っただ中でもあり、どう接したらよいのか迷う時もあります。幼かった頃のように「こっちだよ」と手をつないで連れて行ってやることができたら簡単なのにと思うこともしばしばです。

 

悩んだり、つまずいたりしながらも、未来に向かって自分の足で歩いて行こうとする娘。オロオロしながら、後ろから見守ることしかできない私。絵本の読み聞かせや手をつなぐことから卒業した娘と私の、新たな親子関係のステージが、今ここにあります。

 

あと数年たったら、娘と私の今も「あんなに~だったのに」と過去の1ページになることでしょう。娘にとって楽しいことも、しんどいことも、一緒に何ページでも重ねていきたいと私は思っているのですが、娘は、私と一緒にあと何ページ歩んでくれるのか、定かではありません。

 

 絵本の終盤、≪あんなに いろいろ あったのに まだ たりない≫とあります。たりないと言わなくていい位、娘との日々を重ねていこうと思うのですが、やはり私の口からも、同じ言葉が出てくるのではないかと、今から思えてなりません。

(くりもと・ゆうか)