子ども歳時記133 百年先の世界へ……いま大切なこと(池田 加津子)

i池田 加津子

  2020年、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、国内でも世界でも人の移動や会合などが制限されるなど、私たちの生活に従来とは違う大きな変化が見られる様になりました。その中でも、自然の営みは変わることなく静かに着実に進んでいます。気がつけば、立冬を過ぎ、冬のはじまりです。今年もあと二ヶ月ほど。一年のなんと短いこと……。では、たとえば百年先の世界。想像したこと、ありますか。

 「歴史はくりかえす」あるいは「歴史は韻をふむ」と言われます。過去の歴史である二十世紀という百年間の身の回りの出来事を通じて、「自分」史をベースに、社会・人間生活の事象や自然との関わりを語る絵本をご紹介します。『百年の家』(講談社)です。その「自分」とは、一軒の古い家です。1656年、この家はつくられました。たまたまですが、ペストが大流行した年だったそうです。長い年月が経つうちに人の住まない廃屋になっていました。《この丘を襲った、災厄と山火事の年月。廃屋のわたしを見守っていたのは、めぐる季節だけだ。》古い家の声が聞こえてくるようです。

 1901年に補修されて再び人の住む家となり、それから百年にわたるこの家の歴史がはじまりました。ページをめくると、定点観察・同じ構図が活用され、絵だけでも充分に歴史をたどることができます。そこに住む一人ひとりの人間模様、時代により変化する生活状況、森の中にたたずむ家の周りの草地や畑、木。季節や時代によりさまざまな色を見せる緻密な風景に引き込まれます。

J.パトリック・ルイス/作、ロベルト・インノチェンティ/絵、長田弘/訳、講談社

 戦場から離れた山深いこの場所にも、否応なく二度の戦争は影を落とします。表紙、裏表紙にこの部分が使われていて悲しみが伝わってきます。戦後の復興、そして時代の変化を受け入れたこの家はどんな気持ちだったのか。《けれども、つねに、わたしは、わが身に感じている。なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と。》1999年、この家の最後のつぶやきです。

 ふと『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートン/文・絵、石井桃子/訳、岩波書店)を思い出しました。「いなか」の自然豊かな静かな所にあったちいさいおうちが、時代とともに「まち」になってしまった場所を離れ、再び自然豊かな「いなか」へと引っ越し、静かに生活をおくるお話。この二つの家は、現代社会に警鐘を鳴らしているのだと思います。私たちは、風の匂い、光の眩しさ、そして、木々の葉の揺らぎなど、自然の姿をいつも感じ、意識しているでしょうか。

 百年先の世界へ……いま大切なこと。戦争のない社会、そして、生活で自然を感じること。自然のいい匂いに触れる体験のできる世界が続きますように。

(いけだ・かずこ)

飫肥 糺 連載122 『じゅうにしのおはなし』 

「絵本フォーラム」第133号・2020.11.10

日本的戯画の魅力を再発見。 丑年の新年は、どんな一年になるのだろう。じゅうにしのおはなし

『じゅうにしのおはなし』(ひさかたチャイルド)

飫肥 糺( 批評家・エッセイスト)


『じゅうにしのおはなし』(ひさかたチャイルド)

 10月下旬。ぐずつく南関東の空模様は12月初旬の寒さを引き寄せている。旧暦(太陰太陽暦)ではこの頃から12月初旬に和名・神無月を充てる。今年の季節感は旧暦に符合するではないか。この和名、俗説にはこの月、全国の神々が出雲大社に集まり諸国に神がいなくなることに由来するという。何事につけ神頼みにすがった中近世諸国の民はこの時期をどう過ごしたのだろうか。

 世界中で爆発的に感染拡大したコロナ禍の勢いは衰えない。中近世の話ではない。医療インフラの貧しい各所で受診機会すらまともに持てない人々はどうしているだろうかと不安になる。今年は新型コロナウイルスに翻弄されながら、まもなく暮れる。

 十二支では子年から丑年へ。中国古代殷王朝期に生まれて暦の役割を果たしてきたのが十干と十二支で、旧暦よりはるかに古い。干支(えと)は両者を組み合わせた熟語だ。

 で、今回は十二支「子丑寅卯辰未申酉戌亥」のはなしである。これに十干「甲乙丙丁戌己庚辛壬癸」を組み合わせると60種の年の名ができる。人生ひとめぐり、「還暦」とはこのことだ。

 十二支にあてられた漢字に特段の意味はなく記号のようなものであったらしい。広く使用をうながすために、後年になって表音の似た12種の動物名をあてられたのだという。かくして「わたしはさる年、あなたは何年?」などと親しみやすく伝播したアジアの漢字圏で民話や昔話となって広く民衆に語りつがれてきた。

 ぼくは永く、『ね、うし、とら 十二支のはなし』(D・V・ウォアコム文/エロル・ルカイン絵/ほるぷ出版)を愛読する。この中国民話を再話した物語は充分に魅力的。ルカインが描く絵物語も彼の作品には珍しい描出スタイルで、エキゾチックな風趣を醸しだしすばらしい。

 今回読んだ『じゅうにしのおはなし』は十二支の本筋を同じにするが、物語の舞台や展開は前掲書とがらりと変わる。

 前掲書では年初月の名を我こそが獲得しようとねずみと牛が争い、他の動物は月順にこだわらない鷹揚さを描く。いくらかなりと、中国というお国柄を考えさせられる物語の仕立てだ。一方、『じゅうにしのおはなし』は、神がまず、元旦の朝、御殿への到着順に一年の月名を与えようという一大行事の提案をする。日本的な運動会の趣きの物語なのだ。

 で、神がりゅうを空高く舞わせて国中の動物たちにお触れを出すと、動物たちが我こそと踊りだす。牛がみんなをだしぬいて前夜から御殿へ向かえば、ねずみはこっそりと牛の背に跳びのる。こうしてねずみは楽して勝を射るのだが、物語はねずみと牛の知恵比べに留まらない。その他の登場動物もそれぞれに総員で順位争奪戦に挑むのである。

 和名「辰」を馴染みの「りゅう」名で登場させているのは読者サービスだろうか。

 イラスト展開も愉快で上手い。動物だけでなく神や門番まで個性豊かに描いて物語を展開する。傑作作品に押し上げる要因になっていると思う。

 また、確かなデッサン力を下地に描出された誇張表現は、気合の入った粋のいい絵筆を奔らせてこころよい。日本的な戯画の魅力を再発見した想いである。

 新しく迎える年は丑年だ。さぁ、どんな一年となるのだろうか。千年以上もの間、暦を刻んだ旧暦や十二支、この際、そんな歩みをたどるのも味わい深いと思う。(おび・ただす)

『じゅうにしのおはなし』
ゆきのゆみこ/文
くすはら順子/絵
ひさかたチャイルド