飫肥 糺 連載122 『じゅうにしのおはなし』 

「絵本フォーラム」第133号・2020.11.10

日本的戯画の魅力を再発見。 丑年の新年は、どんな一年になるのだろう。じゅうにしのおはなし

『じゅうにしのおはなし』(ひさかたチャイルド)

飫肥 糺( 批評家・エッセイスト)


『じゅうにしのおはなし』(ひさかたチャイルド)

 10月下旬。ぐずつく南関東の空模様は12月初旬の寒さを引き寄せている。旧暦(太陰太陽暦)ではこの頃から12月初旬に和名・神無月を充てる。今年の季節感は旧暦に符合するではないか。この和名、俗説にはこの月、全国の神々が出雲大社に集まり諸国に神がいなくなることに由来するという。何事につけ神頼みにすがった中近世諸国の民はこの時期をどう過ごしたのだろうか。

 世界中で爆発的に感染拡大したコロナ禍の勢いは衰えない。中近世の話ではない。医療インフラの貧しい各所で受診機会すらまともに持てない人々はどうしているだろうかと不安になる。今年は新型コロナウイルスに翻弄されながら、まもなく暮れる。

 十二支では子年から丑年へ。中国古代殷王朝期に生まれて暦の役割を果たしてきたのが十干と十二支で、旧暦よりはるかに古い。干支(えと)は両者を組み合わせた熟語だ。

 で、今回は十二支「子丑寅卯辰未申酉戌亥」のはなしである。これに十干「甲乙丙丁戌己庚辛壬癸」を組み合わせると60種の年の名ができる。人生ひとめぐり、「還暦」とはこのことだ。

 十二支にあてられた漢字に特段の意味はなく記号のようなものであったらしい。広く使用をうながすために、後年になって表音の似た12種の動物名をあてられたのだという。かくして「わたしはさる年、あなたは何年?」などと親しみやすく伝播したアジアの漢字圏で民話や昔話となって広く民衆に語りつがれてきた。

 ぼくは永く、『ね、うし、とら 十二支のはなし』(D・V・ウォアコム文/エロル・ルカイン絵/ほるぷ出版)を愛読する。この中国民話を再話した物語は充分に魅力的。ルカインが描く絵物語も彼の作品には珍しい描出スタイルで、エキゾチックな風趣を醸しだしすばらしい。

 今回読んだ『じゅうにしのおはなし』は十二支の本筋を同じにするが、物語の舞台や展開は前掲書とがらりと変わる。

 前掲書では年初月の名を我こそが獲得しようとねずみと牛が争い、他の動物は月順にこだわらない鷹揚さを描く。いくらかなりと、中国というお国柄を考えさせられる物語の仕立てだ。一方、『じゅうにしのおはなし』は、神がまず、元旦の朝、御殿への到着順に一年の月名を与えようという一大行事の提案をする。日本的な運動会の趣きの物語なのだ。

 で、神がりゅうを空高く舞わせて国中の動物たちにお触れを出すと、動物たちが我こそと踊りだす。牛がみんなをだしぬいて前夜から御殿へ向かえば、ねずみはこっそりと牛の背に跳びのる。こうしてねずみは楽して勝を射るのだが、物語はねずみと牛の知恵比べに留まらない。その他の登場動物もそれぞれに総員で順位争奪戦に挑むのである。

 和名「辰」を馴染みの「りゅう」名で登場させているのは読者サービスだろうか。

 イラスト展開も愉快で上手い。動物だけでなく神や門番まで個性豊かに描いて物語を展開する。傑作作品に押し上げる要因になっていると思う。

 また、確かなデッサン力を下地に描出された誇張表現は、気合の入った粋のいい絵筆を奔らせてこころよい。日本的な戯画の魅力を再発見した想いである。

 新しく迎える年は丑年だ。さぁ、どんな一年となるのだろうか。千年以上もの間、暦を刻んだ旧暦や十二支、この際、そんな歩みをたどるのも味わい深いと思う。(おび・ただす)

『じゅうにしのおはなし』
ゆきのゆみこ/文
くすはら順子/絵
ひさかたチャイルド