飫肥 糺 連載124 『ムカッ やきもちやいた』

たましいをゆさぶる子どもの本の世界 124

理性で御せない「やきもち」の感情……。火消しはどうする

ムカッ やきもちやいた』  くもん出版

 

なにかと自粛を要請されるパンデミックの現在。巣ごもり暮らしをつづけ、たまの外出は三密空間を避ける。我慢するしかない。しかし、しびれをきらして我慢できない人々も出てくる。コンビニレジで不条理な難癖をつけて怒声をはる人、マスク装着をめぐり電車内でいさかいを起こす人……。苛立つ人びとの気分や感情はいかばかりかと思う。滅入る気分を、ぼくは朝夕の散歩で解放する。途上で遭う子どもらの遊び放つ歓声(こえ)を聴くのがなによりで、ぼくの気分をほぐしてくれる。


理性だけでは御せない感情を、『辞林』はある状態や対象に対して主観的に抱く心の動き・気持ちのことだという。喜怒哀楽や好き嫌い・おそれ・おどろき・あきらめ・あこがれ・ねたみ・うらみ等々、ヒトの抱く気持ちは多様に広がる。


『ムカッ やきもちやいた』と題する絵本がある。こんなタイトルを眼前にしたら、少々たじろぐ読者もいるのではないか。やきもちを焼くとは、誰かをねたみ、そねむという厄介な心の動きだ。つまり、嫉妬するということだろう。栄誉や佳品を手にした誰かを羨ましいと思う羨望の気持ちとはちがう。嫉妬する感情は<自分と誰かと誰か>の三者関係に起因する。


作者は子どもたちに向けて「やきもちは やかないほうがいい。もし やきもちがうまれたら ちいさいうちにけしておこう」と、この厄介な心の動きを主題として読者に愉快に物語る。物語の主人公はるいちゃん。るいちゃんはわたしわたしは一人称で胸を突く短い言葉で語りつづける。


わたしの一番の仲良しはふうこちゃんだ。ある日、クラスに転校生アンリちゃんがきて、ふうこちゃんのとなりの席にすわる。かくして、わたしとふうこちゃんとあんりちゃんの三者関係が生まれた。ここから、物語は転びはじめる。深刻ではない、愉快に展開する。太い描線で同調させ、やきもちを焼くわたしの表情変化(へんげ)を大胆に描きわけたイラストも、テキストと並行して楽しく転ぶ。


やさしいふうこちゃんはクラスに不慣れなあんりちゃんに何かと気を配る。話しかけたり教えたり。そのたびに「ムカッ」とするわたし。心の中に突然噴きだすこの気持ち。一体なんなのといった思いだろうか。あのふたりが一緒にいるだけで、わたしは「ムカッ」「ムカッ」と込みあげてくるのである。


ふうこちゃんが「いっしょにかえろう」と誘ってくれても「ムカッ」が込みあげて、「いそいでるから さきにかえる」と、本当はうれしいのに、うそまでついてしまう。こんな感情を持て余す小さなわたしの心の裡。そんなとき、弟のけんたが赤ちゃんのゆうたに「お母さんをとられた」と泣きわめく。で、わたしは反射的に言い放つ。「あかちゃんにやきもちやいてどうすんのよ!」。「あれっ」と、自分の言い草にわたしは何かに気づいたのである。<あれ、あれっ。わたしも、やきもちを焼いてたんじゃないか>と。


作者は「やきもちとの付き合い方はむずかしいぞ」と正直に伝えている。作者の善意だと思う。だから、できるだけ早くこんな火は消さなければならないと次善の策を提案する。


作者は物語を、わたしが何とか火を消すのに成功して三人仲良く遊ぶハッピーエンドで結ぶ。大人も子ども変わりなく不意に瞬時におそわれる厄介なやきもちを焼き・嫉妬する感情。なかなかのくせものだ。親子いっしょに読みたい主題だろう。

(おび・ただす)

 

 

ムカッ やきもちやいた』

かさいまり/さく

小泉るみ子/え 

くもん出版