遠い世界への窓

東京大学教養学部非常勤講師
絵本翻訳者

新連載

遠い世界への窓

第15回の絵本

『しんぞうとひげ』


 アフリカ大陸の東、タンザニアの島ザンジバルの昔話絵本です。まず目を引くのが、とびきりにぎやかな表紙。オレンジの水玉のキリンに、ピンクの象、シマウマ。そして、ビビッドカラーの動物たちに交じって、力強く走る姿が描かれているのが、つやつやピングの「しんぞう(心臓)」と、真っ黒な「ひげ」!

しんぞうとひげ スワヒリ語の昔話は、「パウカー(はじめるよー)」「パカワー(はーい)」というかけ合いで始まります。でも、それに続くお話の始まりには、何とも度肝を抜かれます。「むかし、むかし、あるところに、しんぞうとひげがおりました。」――え? 何のこと? いや、待てよ。そうか、あるところに、「しんぞう」がいたのか。そして、「ひげ」もいたんだ。それで、それで、どうしたの?

 つやつやピンクの「しんぞう」は、びんぼうで、いつもはらを空かせていました。「しんぞう」の腹ペコぶりが、何ともリアルです。「ああ、おなかが すいたなあ。どこかに きのこでも はえていないかなあ」 空を飛ぶ鳥を見上げて、「ああ、とりにくが たべたい!」でも、鳥をつかまえられるわけもなく、「しんぞう」は水だけのんで、ねむります。そして、それは次の日もいっしょ。「おなかがへった、はらへった。おなかがへった、はらへった。きのうも はらぺこ。きょうも はらぺこ。たべたい、たべたい……。」なんと、「しんぞう」は、21日ものあいだ、おなかをすかせていました。ちょうど同じころ、同じように、「ひげ」も、モーレツにおなかをすかせていました。そんな「しんぞう」と「ひげ」が、ばったり出会ったら、いったい何が起こるでしょう?

 このお話に何度も出てくる、「おなかがすいた」、「いやあ、はらいっぱいで何も食べられないよ」という言葉は、滑稽なだけでなく生命力そのものです。

 食べるものがない、しじゅうお腹を空かせている、って人類が登場して以来、ずっとつきまとってきた事柄ですよね。私は、昭和初期生まれの両親から、「戦争中は食べるものがなくてねえ……。子どもたちはみんな、いつもお腹を空かせていたのよ」と繰り返し聞かされました。今だって、戦争や災害が起きたりすれば、人間はあっという間に空腹や飢餓にさらされます。、「びんぼう」や「ひもじさ」は、世界中の昔話に登場しますが、それが、「しんぞう」と「ひげ」の食うか食われるかの追いかけっこになるなんて!

 この絵本の再話者である、しまおかゆみこさんは、「しんぞうとひげ」をはじめとするたくさんの民話を、タンザニア本土とザンジバルで収集しています。そして、絵を描いたモハメッド・チャリンダさんは、「ティンガティンガ・アート」のベテラン画家のお一人。「ティンガティンガ・アート」は、「6色のエナメルペンキで、タンザニアの豊かな自然や動物、人々の生活などを、色鮮やかにのびのびと描く、タンザニアの現代アート」(訳者あとがきより)。『しんぞうとひげ』には、チャリンダさんが、日本の読者のために、タンザニアの風土や自然をもりだくさんに描き込んでくれたのだそうです。

 私は残念ながらアフリカ大陸へは行ったことはないのですが、これまでに二人だけ、アフリカの友だちがいました。そのうちのひとりが、『しんぞうとひげ』の故郷であるタンザニアから客員教授として来日していたT先生です。春にやってきた先生は、日本の花々をとても気に入って、「二月に家族がくるんだ。妻や子どもたちにも日本の花をぜひ見せたい」と言うので、「二月は寒いから花は枯れちゃいますよ」と話したら、「え、そうなの? なんで? 」と心底がっかりされるので、私は大笑い。タンザニアは、赤道直下の常夏の国。季節の移ろいとともに葉が落ち、花が枯れてしまう日本の冬は、とっさに想像できなかったのかもしれません。

 ところで、「しんぞう」は、どうして人間の左胸でどきどきしているか、知っていますか? それは、この絵本を読めば、分かりますよ。

(まえだ・きみえ)


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