小出裕章講演録 子どもを愛するすべての人へ


小出裕章(こいで・ひろあき)

  • 1949年、東京生まれ、東京育ち。高校生の頃、人類の未来は原子力の「平和」利用によって築かれる、そして「唯一の被爆国」である日本人こそが「平和」利用の先頭に立たなければならないと固く信じるようになる。1968年、嫌いな東京を離れ、東北大学工学部原子核工学科に入学する。その後、大学闘争と出会い、細分化された学問の実態に接することなどにより、自分の思い込みが誤りであったことを思い知らされる。
  • 1974年に京都大学原子炉実験所助手になる。現在、同助教。
  • 著書に『隠される原子力・核の真実|原子力の専門家が原発に反対するわけ』(創史社・2010)『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社・2011)『原発のウソ』(扶桑社・同)『原発はいらない』(幻冬舎ルネッサンス新書・同)など多数。

絵本講師の会「はばたきの会」の有志28名(小学生1名、新聞記者1名含む)は2011年10月11日、大阪府熊取町の京都大学原子炉実験所を訪ねました。

敷地内にある廃棄物処理棟、研究用原子炉を見学の後、小出裕章先生にお話をうかがいました。

(森ゆり子)

原子力発電と火力発電は湯沸し装置

図1:原子力発電と火力発電は湯沸し装置
図1:原子力発電と火力発電は湯沸し装置

 どうも、みなさんおつかれさまでした。現在、私は大変慌ただしく過ごしていて、あまり長くお相手する余裕がありません。でも福島のことをなにがしか話せということだそうですので、今の現状がどうなっているかということと、これから私が何をしたいかということを少しだけ聞いていただこうと思います。

  まず、もうこんなことはみなさんご存じだろうと思うけれども、原子力発電所というのは単なる湯沸し装置です。みなさんが家庭でお湯を沸かすのと一緒です。私も家庭でお湯を沸かします。やかんに水を入れてガスコンロにかけるとお湯が沸騰して蒸気が出てくる。私が使っているやかんは口のところに笛がついていて、沸騰するとピーッと音がし、ああ、沸騰したんだなと思ってそれでガスを消しに行くというようなことをやっています。 

 

 原子力発電所も火力発電所も結局は湯沸し装置です。火力発電所というのは配管のなかに水を流して、外側から石油、石炭、天然ガスを燃やして水を温めて蒸気を発生させ、噴き出してきた蒸気でやかんの笛ではなくてタービンという羽根車を回して、それにつながっている発電機で電気を起こしている。これだけです。原子力の場合も同じです。真ん中にあるのが原子炉圧力容器という鋼鉄製の容器、圧力釜です。その中にウランが入れてあって、ウランを核分裂させて出てきたエネルギーで水を沸騰させて蒸気にする。噴き出してきた蒸気でタービンを回す。それで発電する。これだけのことです。やっていることは、蒸気を出すということだけなのであって、200年前にジェームズ・ワットという人たちが蒸気機関というものを発明したのですが、その技術です。ですから非常に古めかしい技術を使ってやっている、それが原子力発電です。

 その上、原子力発電というのはとてつもなく効率が悪い蒸気機関です。普通は、現在電気出力100万キロワットというのが標準になっていますが、それはいったい何かというと、原子力発電所一基から電気が100万キロワット分出てくるよ、とそういう意味です。では、原子力発電所から出てくるというか、そこで発生しているエネルギーはどれだけなのか、この電気の図(図2)にありますように100万キロワット分だけなのかといえばそうではありません。実はそのほかに200万キロワット分の熱が原子炉の中では出ていて、それは単に捨てるという、何にも使うことができないまま捨てているのです。まあこんなことをいって私が原子力発電所のことに文句をいうと、じゃあお前んとこの原子炉は何をやってるんだ、というと、うちは今見てきてくださったと思いますが、最大出力で5メガワット、5千キロワットというのですけれども、その熱は全部捨てています。何にも使わないんですね。もちろん、電気も起こしません。ただただ私たちが実験をする、学問の道具に使うというだけの装置であって、なかなか馬鹿げた装置だなと思わないでもありません。でも、いずれにしてもこの原子力発電所というのは発生させたエネルギーのうち三分の一だけを電気にして、三分の二は捨てるしかない、そういう効率の悪い道具です。

図2:原子力発電所は効率の悪い蒸気機関 (電気出力100万kWの原発)
図2:原子力発電所は効率の悪い蒸気機関 (電気出力100万kWの原発)

 こんな絵を描きましたけれども、これが原子力発電所だと思ってください。100万キロワットが電気になります。200万キロワットはどうなっているかというと、海を温めるために使う。そういう道具です。どうやって海を温めるかというと、海の水を配管で引き込んでいます。そして、復水器と呼ばれているところで、余った熱を海水に捨てて、温めて、それをまた海へ戻すということをやっている。(編集補足 …「復水器」蒸気タービンで動力として使用した水蒸気を冷却して水に戻す装置。水蒸気が急冷されて水に戻されることで体積が極端に減少し、装置内の圧力が低下する。この気圧差によって水蒸気の循環が促進され、タービンの回転効率が上昇する。(中略)日本の多くの発電施設では海水を使用しており、そのため施設が沿岸に設けられている。出典・新語時事用語辞典より)

 

 200万キロワット分を捨てているんですね。いったいどのくらいのエネルギーなのかというと、1秒間に70トンの海水の温度を7度上げています。70トンの海水ってみなさん想像できるでしょうか? 日本にはたくさんの川が流れている。みなさんも関西にお住まいの方だと思いますけれども、ご自宅の近くなんかにも川が流れているだろうと思います。でも、日本で1秒間に70トン以上の流量のある川というのは30本もありません。関西で一番大きな川は淀川だと思いますが、あの淀川にしても1秒間に150トンぐらいの流量しかありません。巨大な川ですよね。川幅がどれだけあるかと思うほどの川ですけれども、それでもせいぜい150トン。原子力発電所は一基できるたびに1秒間に70トンという巨大な大河が原子力発電所にできる。そして、その川の温度が7度上がっている。7度という温度をみなさん分かっていただけますか。例えばみなさんが今日これから家に帰って風呂に入りますね。ゆっくりご自分の好きな温度で風呂に入ってください。それからその風呂の温度を7度上げて、もう一度そのお風呂に入ってみてください。たぶん入れないですよね。ぬるめのお風呂が好きな人は38度とかそのぐらいで入っているだろうし、私は熱めが好きで43度ぐらいだと思うんですけれども、7度上げたら私はさすがに入れないと思うし、みなさんもたぶん入れない。

 日本は海に囲まれていて、海にはそれぞれ生き物が住んでいるんですね。魚もいれば、貝類だっているし、海草だってある。そういう生き物たちというのは、夜になって風呂に入るためにこの場所に来るわけじゃない。この場所が好きだからといってここで生きてきた生き物たちがいるわけですが、そこにいきなり適温より7度も高い巨大な川を流すということになるわけですからもちろんここに住むことができなくなります。逃げられる魚はもちろん別のところに逃げていくでしょうし、逃げられない海草などはここで死滅するということになるわけです。また別の海草が生えるし、別の魚が来るからいいじゃないかという話かもしれませんが、でもやられるほうとしてはずいぶん迷惑なことをやっていることになります。

「原子力発電所」を正しく呼ぶと「海温め装置」

 そして、この原子力発電所というのは100万キロワットだけが電気になって、残りの200万キロワットは海を温めているわけですから、本当のことを言うと〈原子力発電所〉ではなくて〈海温め装置〉と呼ばなければいけないということになる。私は何気なく原子力発電所なんていうことばを日頃使っていますが、福島第一原子力発電所も、本当のことをいうならば〈福島第一海温め装置〉と呼ばなければいけないようなものが今、日本中に建っているということになります。

図3:海暖め装置
図3:海暖め装置

 そして、問題は熱だけではないんですね。何よりも問題なのは、ウランを燃やしてしまうと核分裂生成物という放射能を作り出すということです。広島の原爆が爆発したときに燃えたウランの重量は800gです。手で持てますよね。みなさん誰でも手で持てます。それくらいのウランが燃えたら広島の街がなくなってしまった。それがものすごいことだったわけで、それを見て、私も含めて私たちはそのエネルギーを平和的に使ったら人類のために役に立つと思ったのですね。私なんかもなんとしても原子力発電をやりたいと思ってこんな場所へ足を踏み込んでしまったわけです。では原子力発電というものをやろうと思うといったいどれだけのウランを燃やすのかというと、100万キロワットといわれている普通の原子力発電所の一基を一年間運転するごとに1トンのウランを燃やすのです。広島の原爆で燃やしたウランのゆうに1000発分を超えるというようなウランを燃やさないと電気が出てこないという、そういう装置です。途方もないウランを燃やす。ウランとは地下に眠っている資源なんですけれども、厖大に燃やさないと要するに発電できないということで、原子力発電などというのは本当にこういう量でやっていったらすぐにウランがなくなってしまうという、それほど貧弱な資源です。私は、人類の未来は原子力発電が支えるなんて思ったのですが、とんでもない誤解で、化石燃料はまだまだ何百年分かはありますけれども、ウランなんていうものはすぐになくなってしまうという、そういうものなわけです。そして一方では資源がなくなると同時に、使ったウランは核分裂生成物という放射能に変わっていきます。広島原爆がばらまいた、ゆうに1000発分という放射能を毎年毎年ひとつの原子力発電所が作らなければ電気が出てこないという、そういうものなのです。

 

 そのため、原子力発電所というのは途方もなく危険だということで、どうしても都会には建てることができませんでした。そのため、どこに建てたかというとこんなところです。

長い送電線を敷いて都会に電気を送る矛盾

 そのため、原子力発電所というのは途方もなく危険だということで、どうしても都会には建てることができませんでした。そのため、どこに建てたかというとこんなところです。(前号より)

 

 これが東海第一、関西では若狭湾に連立させ、これが福島ですね。島根とか、玄海とか、あちこちに建てていきました。これがあの東通という、一番新しく建ったやつです。そのほかに六ヶ所村には再処理工場という、原子力発電所が一年間で放出する放射能を一日ごとに放出するというほどのとてつもなく危険な工場を六ヶ所村に押しつけようとして、幸か不幸かまともに動かないでまだ止まったままです。このまま私は葬り去りたいと思っていますけれどもどうなるかよく分かりません。そのほか、まだ原子力発電所を建てようといっていて、ここは大間というところですし、瀬戸内海にもまだ上関というところに建てようとしている。分かっていただけると思うけれども、東京湾を中心とする部分は原子力発電所を造ることができなかった。名古屋を中心とする伊勢湾にもできなかった。大阪、神戸のある大阪湾にも造れなかった。みんないわゆる過疎地というところに追いやって、長い送電線を敷いて、東京あるいは関西圏に電気を送るということをやってきたわけです。これだけを考えても原子力なんてやってはいけないと私は単純にそう思うのですけれども、普通の人はどうもそうは思わないみたいで、電気が欲しいからこれからも原子力を、というようなことを政治家も含めていっているのが日本という国なのですね。

起きてしまった大地震 崩壊した福島原子力発電所

 これが福島の原子力発電所のいってみれば全景です。みなさんも、もうたびたびこの写真を見たと思いますが、ここに上のほうから下のほうに真っすぐに並んでいるのがタービン建屋です。さっきも蒸気を使ってタービンを回して発電するというタービンと発電機がそれぞれここに並んでいる。そして、原子炉は左側の建物になります。原子炉建屋と呼んでいる建物ですが、一番上が1号機で順に、2号機、3号機、4号機とあるのですが、もう建屋そのものが吹き飛んでしまって骨組みだけになっているという状態になっているわけで、つぎつぎに爆発してしまってもうボロボロという状態です。2号機は比較的壊れていないように見えるのですけれども、日本政府の言い分によると、最大の放射能放出源は2号機だということになっています。ですから中がひどく壊れて、外側からは見えないけれども中が壊れているという状態です。


放射能がそこにある限り止めることができない崩壊熱

 いったいどうしてこんなことになったかということなんですが、これが(図2)先ほど見ていただいた原子炉の中で出ている熱の総量ですね。では、この熱の総量というのはウランが核分裂してすべてが出ているかというと実はそうではない。ウランが核分裂して出しているエネルギーはこの分だけです。300万キロワット分の279万キロワットというものをウランが燃えることで担っている。では、その残りのここの下の部分、これは何なんだというと、私たちが崩壊熱と呼んでいるもの。この崩壊熱というのは、原子炉が動くと先ほどから聞いていただいたように厖大な核分裂生成物という放射性物質が原子炉の中に溜まってくるのですね。放射能というのは放射線を出す能力を持っている物質のことなので、発熱します。エネルギーを出す、そういう物質です。ですから原子炉が動いて大量の核分裂生成物を原子炉の中にため込んでしまうと、その核分裂生成物そのものがエネルギーを出し続ける、熱を出し続けるという、そういう状態になってしまうわけです。崩壊熱の割合は、21万キロワットと書きました。みなさん想像できますか? たぶん家庭で小さな電気ストーブだとか、電熱器だとか、電気ポットだとか、みなさんもお使いだろうと思うけれども、せいぜい1キロワットぐらいだと思います。そういうものが21万個分、熱を出し続けている装置なのですね。


 

 今日みなさんここまでどうやって来られたのか、車で来られた方もいらっしゃるかもしれないけれども、車を運転していてなにか事故になった、例えばタイヤがひとつボロッと取れちゃうといったらみなさん、もちろんブレーキを踏みます。そしてエンジンを切る人もいるかもしれない。どっちにしても車は止まれます。時速50キロ、60キロで走っていたとしてもブレーキを踏めば時速0キロメートルとなり、そしてその場で止まることができるのですね。ところが原子力発電所の場合は、なにか事故があり、これは大変だからといって制御棒というものを原子炉の中に入れると核分裂反応を止めることはできます。これは比較的容易です。今回の福島の事故の場合もそうなったと思います。しかし、核分裂反応が出すエネルギーは止められても、崩壊熱というエネルギーは止められない。そこに放射能がある限りこれがガンガン熱を出し続けるということになる。これを冷やすことができなければ原子炉という道具は壊れてしまうということです。車で走っていて、あ、事故だといってブレーキを踏もうがエンジンを切ろうが止まれないんです。タイヤのないまま走らなければいけないというそういう機械なのですね。結局、事故が起きて、なんとか冷やそうとしたのですが、いかんせん原子炉の一切の電源が断たれていました。私たちがブラックアウトと呼ぶ状態ですけれども、全所停電してしまいました。原子力発電所ですから自分が本当は発電できるはずなんですが、地震が起きて原子炉を止めてしまって、もう自分で電気を作る能力が奪われました。そういう時は外部から送電線で電気をもらうはずだったのですが、外部の送電線もひっくり返っていて外部から電気が来ない。その時に備えて今度は所内に非常用ディーゼル発電機というものを何台も用意しておいたというのですが、それは今回は津波が来てみんな流されちゃった。どうにもならない。一切の冷却手段を奪われてしまったということで、さっきの写真を見ていただいたような事故になったわけです。

1分間に140リッターの水を蒸発させ続ける崩壊熱

 これが崩壊熱という、先ほど聞いていただいたものがいったいどのくらいのスピードで減っていってくれるかということを書いたものです(図3)。この線なんです。下のほうに0、24、48、と書いてありますが、これは原子炉が止まった時から何時間後かということを書いています。24時間後、48時間後、つまり1日、2日、3日、4日、5日、それぐらいたったら崩壊熱というものがどれだけ減るかということをここに書いてある。

 

 私は先ほどから崩壊熱というのは放射能自身が出す熱だといいました。一言で私は先ほどから放射能だとか放射性物質だとか核分裂生成物だとかいっているわけですけれども、原子炉の中に溜まっているその放射性物質は、何百種類もの集合体です。中には寿命の短いものもあるし、寿命の長いものもある。寿命の短いものは原子炉の運転を止めてしまえば比較的すみやかに消えていってくれるのですね。ですから熱を出すこともなくなっていくわけです。寿命の長いものはいつまでも原子炉の中にあって熱を出し続けるというそういう性質を持っている。これはですからそのことを意味していて、原子炉の中の核分裂反応を止めた直後でも原子炉の中では5%から7%の発熱が崩壊熱として続いているということになります。これはあの福島第一原子力発電所1号機という46万キロワット、先ほどから一般的な原子力発電一基分は100万キロワットというのを聞いていただいたわけだけど、まあほぼ半分という、比較的小さな原子炉です。そこの崩壊熱がどうなるかということですけれども、はじめはこの辺までありました。崩壊熱、100メガワットということですが、それがずっと減ってきて、1日経つとほとんど10分の1ぐらいまで減ってくれる。ところがそれから先はあまり減らないんですね。10日経っても1日後の半分ぐらいまでしか減らない。それ以降はもう減らないと思わないといけないという、そういう熱の出し方をする。そして3日後、この72時間後というときにどのぐらいの熱を出しているかというと、1分間に140リッターの水を蒸発させるというぐらいの熱です。140リッターといえば、みなさんの家庭のちょっと小ぶりの風呂桶一杯分です。その風呂桶一杯の水が1分ごとに蒸発してなくなっていくという、それほどの発熱が続いているわけです。それを冷やすことができなければ必然的にそうなってしまうというわけで、原子炉が溶けてしまうということです。事実としてそうなったのが今回の事故なのです。

風に乗って流れてあちこち汚染していく

 いったいどんな汚染が生じたかというと、(図1を指して)ここにあるのが福島第一原子力発電所、半径20キロ、30キロ、60キロ、100キロ、160キロ、250キロだったかな、250キロだと思います。そんな円が書いてあるんですね。

 円なんて書いても実はその飛び出してきた放射性物質は同心円状に汚染を広げるわけではありません。風に乗って流れてあちこち汚染していくわけなので、一時期は南西の方角に放射能が流れていってこちら側にも汚染地帯をつくり、それからしばらくしたら今度は北西の方角に放射能が流れていって厖大な汚染地帯をここら辺につくった。そうこうするうちに風向きが変わって南に向かって流れて、ここのところは何かというと福島県の中通りと呼んでいるところで、両側に山があります。山に挟まれた谷あいなんですけれども、そこの谷あいをずっと流れ下って汚染を広げていったということになります。ここは福島県の福島、二本松、郡山という福島県内の人口密集地がずらっと並んでいるところですけれど、そこをずっと放射能が汚染をし続けていったということになります。そして福島県内を抜けて、栃木県の北部を汚染しました。さらに群馬県の北部を汚染したということになってこんな風に汚染をしているということなんですね。

 この汚染、いったいじゃあどれぐらいなのかというと、これは1㎡あたりどれだけの放射能で汚れているかということでこの色の表示を変えてあります。

研究所内での管理区域を出る時には

 みなさん今、管理区域に入られましたね。まあ比較的、見た目でもきれいだったと思いますし、私なんかも管理区域にときどき入りますが、管理区域の中が放射能で汚れていたら私たちは落ち着いて実験もできませんので、なるべく管理区域の中といえどもきれいにしておこうと常日ごろ注意をしていて、あまり汚れないようにしています。でもまあ管理区域ですから放射能を使って汚れることもあるのですね。

 私はそこで仕事をして、もうこんな管理区域にいたくないからさっさと出ようと思っても実は出られない。みなさんも今日見てきたと思いますが、最後に出口にハンドフットクローズモニターというのがあって、手を入れて、手が汚れていないか、足が汚れていないか、場合によっては実験着が汚れていないかということを調べない限りあそこから出られない、ゲートが開かないということになっているわけです。

 例えば、私の手が放射能で汚れているとします。1㎡あたり4万ベクレルというのが基準値ですけれども、それ以上に私の手が汚れていたら、もう一度戻って流しに行って手を洗ってこいということになる。水で洗って落ちなければしょうがない、お湯で洗ってこい。お湯で洗っても落ちなければ石鹸をつけて洗えと。それでも汚れが取れないならもう手の皮が少しぐらい溶けたっていいから薬品をつけて汚染を取ってこい。取ってこない限りは外に出られないという、そういう法律だった。

琵琶湖の2倍の面積が汚染され、失われてしまう

 では、この汚染はどうかというと、赤い所と黄色い所がありますね。その外側に緑っぽいというのでしょうか、そういうところがある。そこまでは1㎡あたり60万ベクレルですから、これは、完全に放射線管理区域です。みなさんが今日入った管理区域というのは、私のような特殊な人間が、特殊な仕事をするときに限って入っていい場所で、普通、みなさんは入っちゃいけない。もちろんあそこにみなさん入って水も飲まなかっただろうし食べ物を食べることもないと思う。そんなことはやってはいけない。子どもを連れ込むなんてことはやってはいけない、本当は。そこで子どもを産んだりするなんて論外だという、そういう場所が放射線管理区域なんです。これが、全部そうです。

 さすがに日本の国もこういうところからは人々を強制避難させるということになりました。琵琶湖の面積の約2倍の広さがあるんですが、そこから10万人近い人たちを今、避難させて避難所というところに押し込んでいるという状況なんです 。

 では、ほかのところはいったいどうなのかというと、もう厖大な汚染地帯ですね(図2)。管理区域の15倍というような汚染地帯がここです。ほかのところはどうなのかというと、この青いところ、そしてその周辺にちょっとどす黒いというか濁った緑色のところがありますけれども、そこのところまでが1㎡あたり3万ベクレルを超えているというので、要するにこういうところも本当は放射線の管理区域なのです。宮城県の北部にもあるし牡鹿半島もそうですけれども、分かりますか、みなさん。

 みなさんが今日入ったああいう場所に日本の法律を守るなら管理区域としなければいけないという汚染がこれだけ広がっている。福島県の東半分、宮城県と茨城県の南部・北部、さらに栃木県と群馬県の北部、埼玉県と千葉県と東京都の一部。そんなところをみんな管理区域にしなくてはいけない。つまり無人にするという、人々を追い出すということを、本当ならやらなければいけないという汚染がすでに生じている。

 いったいどんなふうにこの汚染が生じたかというと、たぶんこうだと思います。

 南西の方角に流れた放射能がずっと福島県の浜通りという海岸沿いを汚染して、茨城県、千葉県の辺りに汚染を広げて東京都の一部までそれが達している。北西に流れたものは風向きが反転して、中通りを汚染しながら、栃木県、群馬県、あるいは長野県の一帯までを汚染している。北に流れたものは牡鹿半島を、そして宮城県の北部というところに濃密な汚染をしている。

 

 どうしたらいいんですかね、こんな、この猛烈な汚染地帯、さっき管理区域の10倍、15倍だといった地域は、チェルノブイリ原子力発電所というところで事故が起きたときの強制避難地域に指定されたのとほぼ近い汚染地帯です。それがすでに琵琶湖の2倍の面積、そして日本の法律を厳密に適用するなら、福島県全域に匹敵するぐらいの土地を失う。そういうことになる。なんと私はみなさんに説明したらいいのか分からないけれど、要するに失われる、その土地は。

放射能で汚染されたところはもう、戻ることはできない

 3・11という日は、地震と津波で被害が出ました。私はこの間、この宮城県の女川というところに行きました。何でそこに行ったかというと、女川という町に東北電力が原子力発電所を建てていて、私は学生のときに女川の町に住み込んで、東北電力の原子力発電所建設計画に反対をしていたときがありました。その町に40数年ぶりで戻りました。そしたら、町がなかった。海の町、漁師の町です。海岸にへばりつくようにみんな人が住んでいて町があったのですけれども、女川の駅すらもない。みんな流されてしまって、ぼう然としました。本当に廃墟、なんですね。それを〈死の町〉と呼んだ人がいて何か閣僚を辞めさせられたといいますけれども、本当に悲惨な姿でした。

 でも私はそこに立って、次に思ったんですね。この町には必ず人がすぐ帰ってくる。死んじゃった人もいるけれども生き延びた人もいて、今、避難所生活をしているわけですけれども、必ず人が帰ってきてここで町を再建する。漁業だって再建する。必ずできるし、必ずそうなると確信しました。でも、こういう放射能で汚染されたところはもう戻れない。失われてしまう。復興も何もできない土地が、こんなに広くある。

国家は、自分が決めた法律をいっさい反故にしてしまった

 日本というのは法治国家といっているのですね。法律が山ほどあり、それを破れば国家が処罰をするというのですね。

 たとえば、今日みなさんが入った放射線の管理区域の中にある放射性物質を私が管理区域の外にポケットかなんかに入れて持ち出すといったら、私は違法行為を働くわけですから処罰をされるはずです。それをみなさんに持って行って、みなさんを被曝させるようなことをすれば、私は国家の法律にのっとって処罰されるはずだった。

 もしそれなら、この法律を決めた国家は、法律を守るのは最低限の義務だと私は思うのですが、聞いていただいたように日本では一般の人々は1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をしてはいけないし、させてはいけないという法律がありました。私がみなさんを1ミリシーベルト以上被曝させれば私は罰せられる、そういう法律です。それからさっきも聞いていただいたように放射線管理区域の中から何かを持ち出そうと思うなら、1㎡あたり4万ベクレルを超えているようなものは、いっさい持ち出してはいけない。放射線の管理区域の外側にそんな汚染物を存在させてはいけないというのが日本の法律だったのです。

 こういう法律を決めたのはもちろん日本の国家なわけで、この国家というものが原子力発電所は絶対安全ですと、事故なんて起こりません、安心しろよといって今日まで原子力発電所を造ってきた張本人ですが、今回の事故を受けてしまったら、私から見れば最大の犯罪者である国家は、自分が決めた法律をいっさい反故にしてしまった。本当にこんなことでいいのかなと、私は思います。


福島原発事故の本当の被害の大きさは?

 本当にいったいどれほどの被害が今、生じているかというと、もし日本の法律を厳密に適用するなら福島県全域に匹敵するぐらいの土地を失うんです。こんな被害は戦争が起きても、起こらない。戦争で負けたって、国破れて山河あり、ちゃんと土地はあるのです。そこで人々は生きられたけれども、福島の原発の事故はそうではない。こんな被害をいったいどういう風に評価していいのか私には分からない。でも、日本の国はもうだめだと、自分が決めた法律も何ももう守れないし、守らないと宣言したのですね。一年間に20ミリシーベルトという被曝を超えるようなところはまあ避難させるけれども、そうじゃないところはもう人が住んでいいといって、先日は緊急時避難準備区域というところに人々を帰すというようなことを始めたわけですね。19・9ミリシーベルト被曝したってもういいといって見捨てたわけです。被曝をみんなが強制させられる、そういう中で福島の人たちは今、生きているわけだし、農業を続けている人も酪農を続けている人もいます。もちろん、残念ながら彼らが作ってくれる食べ物は汚れています。彼らは被曝をしながら自分の仕事を今、続けているわけだけれども、彼らが作った食べ物は汚れています。みなさん、どうしますか? たくさんの福島県産という食べ物が出回ってくると思います。一部は産地を偽装して福島という表記を消して別の産地に書き換えてくるかもしれないけれども、出回ってくる。必ずくるのですね。そして、私は放射能を食べたくありません。みなさんだって食べたくないですよね。私は誰にも食べさせたくない。でも、そういうことをもし思って、それだけに従って私たちが行動したならば、福島の第一次産業は崩壊する。なんとか私はそうさせたくないのです。この話はまた後でもう一度するとします。でも、いずれにしても福島の第一次産業の崩壊を食い止めるということは、私は大変難しいと思う。みなさんも含めて決して福島のものは食べないという選択をするならば、そうなれば福島の人たちの生活は崩壊していくことになります。こんな被害をいったいどうやって賠償するかということですけれども、賠償できっこないじゃないですか。

 東京電力というのは、たぶん日本最大の会社です。経済界に君臨して、マスコミでもなんでも全部を支配下に置いて、自分の都合のいい宣伝だけを流させて、原子力発電所は安全だと日本中のみんなに思い込ませてここまできた巨大な会社です。トップの人たちがいったいいくらの給料をもらっているのか知りませんが、たぶん私なんかがうかがい知ることのできないほど巨額な給料をもらいながら、東京電力の末端の社員だって高給をもらいながら今日までやってきた。そして今、事故が起きた。私はこの会社は、絶対に倒産させたいと思う。でも、倒産したら困る人たちがいるのですね。大銀行であるとか、東京電力からこれまでうまい汁を吸わせてもらってきた政治家だとか、そういう人たちが今どこまでの賠償を東京電力が持って、どこからを国家が持つかというようなことをやろうとしていて、線引きを委員会で審議をしているということなのですね。私は、そんなふざけたことはするな、とにかく東京電力に全部賠償させる、それで潰れるなら潰せ、その上で足りなければ国家がやるしかない。でも、国家がやったところで国家が潰れてしまうほどの被害だ。こういうことを誰もいわない。日本の国はいわない。東京電力はもちろんいわない。マスコミもいわない。なんとなく事故はもう収束しているのですよ、というような報道を流して、放射能はもう大したことはありませんというような感じでたぶんそういう宣伝を流しながら、日本人の多くは、ああ、なんだ大丈夫だったんだなと、特に関西に住んでいる私たちなんかは福島のことなんか何の関係もないというような顔をして毎日生活しているということになってしまわないように、私は、もっともっと国家というものが、きちっとこの被害というものをみんなに伝えて、これから本当にどうしたらいいのか、何ができるのかということを考えなければいけないと思う。どんなに間違えても原子力をもう一度やるなんていう選択はしないで欲しいと思うのですが、残念ながら今の日本の国は、安全性を確認してもう一度原子力発電所を動かすなんていう、たわけたことをいっている政治家ばかりですね。一般の人々も、停電したら嫌だからやっぱり原子力は必要かな、なんて思う人がほとんどという、そういう国のようです。本当にまあ困ったことだな、と私は思います。

騙されたことの責任はなにがしかあると思います

 世界は変わってしまいました。私は8月に女川に行く前に、福島を通って行きました。東京から新幹線に乗りました。新幹線の車内には何十席もあって乗客がたくさん乗っているんですね。私も一人の乗客として新幹線に乗りました。そして、私と一緒に行った人が、自分が持っていた放射線の感知器のスイッチを入れたんです、東京駅のホームで。東京駅だって放射能で汚れているわけですから、放射線の感知器が1秒1分間に何カウントというような表示を始めました。そして、新幹線が東京駅のホームを滑り出して時速100キロだか200キロだかで走っていく。でも、その間も大地から放射線が新幹線の車体を貫いて客席に届いているわけですから、刻々と放射線を数えながら走っていくわけです。福島に着くに従って、そのカウントがどんどんどんどん上がっていく。福島駅のホームに滑り込んだ頃には、東京駅のホームの10倍のカウントに。つまり線路も何も全部汚れていて、放射線が車内に突き刺さってくるという、そういう状態なのです。でも、放射線は五感に感じられませんから、新幹線の車内にいた私たち以外の誰もそのことに気付かない。知らん顔して福島に着いて、降りていく。福島駅で降りれば、そこで人々が普通の生活をしている。子どもたちもいるという、そういう状態なのですね。

 今や人々が普通に生活する場所が、放射線管理区域以上に汚れてしまっています。もし、福島で生きて被曝をするのが嫌だと思うなら、今日みなさんが入った放射線の管理区域に逃げ込んでください。あそこのほうがはるかにきれいです。そういうことに既になってしまった。土地はもちろんさっき見ていただいたように汚れています。そこで出てくる食べ物ももちろん汚れている。今、問題になっているがれき。厖大ながれきがあってどうしていいか分からない。それぞれの自治体にとにかくばらまいて、それぞれの自治体で始末をさせようと今、国が画策をしています。ですからみなさんのお住まいの自治体にもきっとがれきが回ってくる。その放射能をいったいどうやって私たちがこれから抱えていかれるかという大問題があります。下水の汚泥もそうです。汚染したものは私たちが食べれば下水に流すんですね。下水処理場で水をきれいにする。水をきれいにするっていうことはどういうことかというと、水の中に入っていた放射性物質を汚泥に残すという、汚泥は猛烈な汚染ですよ。それを今どうしていいか分からないということで各自治体が頭を抱えている。みんな放射性物質と呼ばなければいけない、日本の法律に従えば。それほどのものができてしまっている。もう私たちは放射能から逃れることができない。3月11日で私は世界は変わったと思っている。大変みなさんに対しては申し訳ない、こんな事故を防げなかったことを原子力の場にいる一人の人間として申し訳ないと思いますけれども、でも事故は既に起きてしまった。世界は変わったと思っていただく以外にないと思います。そういう中でどうやって私たちが生きていくのか、私は少なくともみなさんより重たい責任があると思います。原子力の旗は振りませんでしたけれども、原子力の場にいる人間ですから、重たい責任があると思います。でも、みなさんにしたってこれまで原子力を許してきた。この日本という国に54基もの原子力発電所を許すまで特に何の注意も払わないまま来られたんだと思います。それは日本の国家と、電力会社を中心とする巨大企業、マスコミが原子力発電所は絶対安全だという間違った宣伝を流してきたからです。みなさんに責任があるとは私は思わない。思わないけれども、でも、みなさんは騙された。国や電力会社に騙されました。でも、騙されたことをただ騙されたといって知らん顔をするなら、また次に騙されることになる。騙されたことの責任というものはやはりなにがしかあると思いますので、みなさんも含めて今日のこの原子力発電所を日本に許したということの責任をどうやってとるかということを、これから考えてほしいと思います。

私のやりたいこと……子どもを被爆させない 第一次産業を守る

 私がやりたいことは2つです。1つは、子どもを被曝させないということ。子どもたちにはこの事故を招いた責任がまったくありません。原子力発電所を許してきた責任もない。事故を起こした責任もない。そして、子どもというのは今日は詳しく話せませんが、放射線の感受性が高いです。普通の平均的な人間に比べると4倍も5倍も高い。私は既に60歳を超えていますが、私なんかから比べれば子どもはもう何百倍も危険度が高い。そういう生きものなのです。何としても子どもの被曝を守るということをこれから私たち大人がやらなければいけないと思っています。

 それからもう1つは、第一次産業を守るということです。原子力発電所というのは、かれこれ何十年も日本という国は、第一次産業よりも工業だと、それで輸出して金を儲ければ豊かな国になれるといってやってきたわけですね。その象徴が私には原子力発電だと思えます。その原子力発電所が事故を起こしたときに、ますます第一次産業を崩壊させるようなことに手を貸してしまえば、もう私たちの国は立ち直ることができなくなると私は思います。農産物も酪農産物も大変な汚染です。私は食べたくないけれども、でも食べたくないといって拒否して第一次産業を潰すということは、決してやってはいけないと思っていますので、福島県の農産物、第一次産業が出してくるものを私は食べようと実は思っています。今日この会場にも私と同じ程度のお歳の方もいらっしゃるので、そういう方には私と一緒に放射能で汚れた物を食べてくださいとお願いしたいと思っています。まあそんなことをいってみなさんから私は怒られ続けているし、たぶん私の願いは届かない。そして、福島の第一次産業は崩壊するんじゃないかなと私は危惧していますが、なんとしても子どもたちにはきれいなものを与える。子どもたちにきれいなものを与えるということは、残った汚染物は大人が食べるということでしかないのです。そういう選択になっているということをみなさんにも分かってほしいと思います。これだけにします。終わります。

* 絵本講師の会(はばたきの会)の有志は '11年10月11日、京都大学原子炉実験所を訪ねました。廃棄物処理棟、研究用原子炉を見学の後にうかがった、小出裕章先生の講演録です。 小出先生の肩書き等は取材当時のものです。*