むのたけじ氏記念講演リポート


開催日:2013年7月27日(土)

開催地:飯田橋レインボービル

むのたけじ氏は御歳98歳。「子どもの育ちに関わる絵本講師との出会いは嬉しい。精魂込めて話したい」。前半は起立したまま熱く語ってくださいました。

絵本は「人類文化の本流」

私がむのたけじ氏のお名前を初めて知ったのは数年前で、共同購入していた生協で配布される機関紙の連載がきっかけでした。「終戦の日に、戦争報道の責任をとって朝日新聞社を退社」というプロフィールを見て、一個人が戦争責任を問われるのだろうか、しかも自ら負うとはどういうことだろうか、という疑問が頭をよぎりました。        

そんな疑問を抱いたものの、むの氏のプロフィールだけをインプットして理解した気になって、自ら疑問を追及することなく過ごしてきてしまいました。今回のご講演を機に、当初の疑問や氏の提言に対する私の探求が始まりました。

氏は考古学を学ばれ、まだ人類の祖先が完全な言語を持たなかったとき、発音できる音に抑揚をつけて情報を伝えたり、洞窟に壁画を描いたりして、代々の知恵を伝えてきたという見解をお持ちです。

人類が歌や絵を使って言葉を補い相互伝達を深めて生存してきたと考えるなら、絵本は「人類の文化の本流」と位置付けられるという考えに至られたそうです。人類の祖先たちの相互伝達には生き延びることへの強い願いが込められていた、と感じずにはいられません。

日々の生活の中で、言葉だけでは伝えきれない思いを、声に乗せ絵を添えて伝えることのできる絵本。人類の進化と人間の発達を重ね合わせてみても、絵本には読み手と聞き手の言葉や年齢の違いを超えて感情や人間の有り様を伝い合える、という大きな力があることに気付かされます。氏の唱える、幼少青壮老の各世代が一対一で結びあい人間みんなで協力し合う世の中の実現に向け、絵本のはたす役割は大きいはずです。

乳幼児たちは既に持っている

戦争のない世の中を作りたいと教育や農業の分野で講演活動をされてきた氏ですが、幼児の問題を考えると自己反省ばかり……とご自身の子育てを話してくださいました。

氏はご子女に対して名をサンづけで呼んでこなかったことを、人間としての重さは年齢によって重い軽いも大小もないのに、人間に対して無礼な思い上がった態度だったと悔やまれるとおっしゃいました。

また、氏は、子が親の影響を受けないようにと自身の仕事と思想についてご子息らに語らなかったことを、子どもの自由な選択に制約を加えてしまっていたと反省しているとも語られました。

幼い時期を、幼い者としていたわるべき存在であるとともに、人間の生命の根幹として、私たち大人は認識しているでしょうか? 氏は、子守唄を引き合いに出し、「ねむれ ねむれ」と歌うのは大人の都合で、子どもの立場に立つなら目を開けてしっかり見なさいと唄うべきではないか、とユーモアたっぷりに「一対一」の関係について話してくださいました。

「生命の根幹」という言葉から思い浮かんだのが、6月6日毎日新聞夕刊に掲載された、岡ノ谷一夫 東京大学総合文化研究科教授らの「人見知りの赤ちゃんは接近したい気質と避けたい気質が葛藤している。最初に顔を見る時は相手の目に敏感である。」という研究成果です。

赤ちゃんは「相手に近づきたい」そして「相手から離れたい」という、相反する行動の狭間で相手の目を凝視しつつも、相手に見られ続けると目をそらしてしまいます。逆に、相手が目をそらすと、赤ちゃんは相手をよく観察しています。1歳前の乳児期の赤ちゃんは、このような情動的感受性を発揮した行動をしていることが示された、という内容です。

目の前の人間が自分にとって安全かどうか、と乳幼児は目を凝らして大人を見ているのです。私たち大人は、乳幼児が自分の生命を守るため自分で判断する能力をすでに持っていると認識し、その能力を大事に育てているでしょうか? 日々の生活はこんな事態にはこういう対応をといったハウツーがわかれば解決できることばかりではありません。

自分で考え行動する

 大人が自分の行動とその結果に責任を持てているかを、大人が思う以上に子どもはよく見ているでしょう。さらに、親自身がどう考えどう行動し社会と関わっているかを、日頃から子どもに言葉と態度で伝えていなければ子どもは判断材料を持てないでしょう。

そして、子どもの成長に合った責任の取らせ方をさせていかなければ、成人したからといって自立した大人になるとはいえないでしょう。私は中学生と小学生の娘の子育て中ですが、自分の子育てがうまくいかないのは、自分がうまく育ててもらえなかったからと親のせいにしたり、言うことを聞かない子どもが悪いと子どものせいにしたりしたこともある未熟な大人です。

娘たちは私の所有物ではなく独立した一人の人間だからうまくいかなくて当たり前、と自覚できたとき、今の自分があるのは親の影響もあるけれど自分で判断し選択してきた結果でもある、と自分を受け入れられた気がします。娘たちと読んできた絵本から感じたことや、養成講座で学び考えたことが判断基準になったことは、言うまでもありません。今日も、子どもたちに人間として「一対一」で向き合うことの大切さと難しさを実感しながら過ごしています。

折しも、麻生副総理兼財務相の改憲を巡る「ナチス発言」(7月29日)に国内外からの批判が高まっています。私は副総理の発言に、こっそりと都合のいいように憲法を変えたい、という権力側の思惑がみえたように感じました。

社会は誰か(官僚? 政府?)が決めてうまく回してくれる、なんて他人任せにしていてはいけなかったのです。目を凝らしてしっかり見て、自分で考え行動しなくてはいけないことがたくさんあったのです。

むの氏のご講演から、日々の生活と社会とのつながりを再認識でき、社会の現状をどうとらえ、それにどう向かうかの判断材料をいただきました。

また、これまで知ろうとせずにしてきたことがたくさんあった、とも思い知らされました。そして、私たち大人がどんな世の中を作るのかを、子どもたちが見ていることにも気付かされました。

(芦屋2期生 おかべ・まさこ)