絵本講師の発言席 67『桜の季節に思うこと』多本 ゆき枝(絵本講師)

たもと ゆきえ
多本 ゆき枝(絵本講師)

67.絵本講師の発言席 『桜の季節に思うこと』

 新型コロナウイルスで大騒ぎする人間界とは関係なく、今年の春も桜が綺麗に咲きました。毎年桜は同じ時期に同じように咲くのに、見る人の気持ちによって見え方が違うのは不思議です。
 
 里帰り出産した12年前、生後2ヶ月でダウン症だと確定診断された娘を抱いて帰る途中、実家近くで見た桜並木は満開でした。陽の光を浴びた桜の木々には霞がかかり、枝いっぱいの花は春風に寂しく揺れていました。
 
 実家から戻ってすぐにダウン症児の親の会に入り、先輩お母さんからアドバイスをもらったり、子どもの年齢が近いお母さん方と悩みを共有したり情報交換したりしながら、私はだんだんと元気になっていきました。娘が1歳になった頃だったでしょうか。隣りの市で、不妊治療で授かったわが子がダウン症だと分かったお母さんが赤ちゃんを浴槽に沈めてしまうという悲しい事件がありました。産後うつだったそうですが、とても他人事とは思えませんでした。

 なぜ私は涙を流しながらもダウン症をもつ娘を受け入れることができたのか。事実を受けとめきれず、わが子とサヨナラしてしまったお母さんと私を分けたものは何だったのか。つらい現実に直面したとき、前向きに進める原動力となるものは何なのでしょうか。
 
 子どもの頃から私は、本を読むのが好きでした。自分は安全なところに居ながら、主人公と共にワクワクドキドキ冒険することができます。人の心の中はふつう見えないものですが、本の中では登場人物の考えていることが語られ、見えてくることがあります。遠い所に住む人々の生活や考え方に触れられます。昔の話、未来の話を、いま読むことができます。日常生活では考えなくて済む難しい問題についても、じっくり考える時間を持つことができます。

 私は人と話をするのも大好きです。初対面の人でも旧知のように話をしてしまいます。だれでも独自の物語を持っていて、話をすることで知らない物語を聞くことができるので、いつも興味津々です。人と話をすることは読書と通じるものがあるように感じます。

 娘がダウン症と分かったとき、先行きに不安を感じながらも、1000人に1人の貴重な体験ができる、と新しい物語が聞けるような期待を無意識のうちに抱いていたのかもしれません。
 
 娘のことばの発達に良いからと生後5ヶ月から絵本の読み聞かせを始めたのですが、絵本は親の私にも語りかけてくれました。『どこまでも』(アンナ・ピンヤタロ/さく、たわらまち/やく、主婦の友社)は、親子でいろんな体験をしながら一歩一歩進んでいけば大丈夫、と励ましてくれ、『もりのなか』(マリー・ホール・エッツ/ぶん・え、まさきるりこ/やく、福音館書店)は、子どもの想像の世界を大切にしてあげて、と教えてくれました。絵本を一緒に読みながら、ゆっくりでも確実に成長する娘の姿を見て、子育てが楽しくなっていきました。
 
 4年前に絵本講師となり、少し前を行く障害児の母として、児童発達支援事業所を利用するお母さん方に「絵本で子育て」講座をするようになりました。お子さんが好きな絵本をお母さんの声で何度も読んであげてください。子どもはお母さんのことが大好き。お話を聞くのも大好き。ゆっくりでもちゃんと心が育ちますよ、と話します。お母さん方の悩みや焦りに寄り添いつつ、絵本の力をお伝えし、ことばへの興味を引き出すような絵本やコミュニケーションを楽しむ絵本を紹介します。がんばって子育てするお母さん方へのエールを込めて『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし/作・絵、講談社)を最後に読んでいます。
(たもと・ゆきえ)

 

絵本講師の発言席 66『届け続けよう、絵本の力を信じて』花房 果子(絵本講師)

花房 果子

66.絵本講師の発言席 『届け続けよう、絵本の力を信じて』

 絵本講師としての活動も早いもので9年になります。息子も小学校6年生になり、まもなく卒業。高学年になると絵本の読み聞かせをする機会も減ってきましたが、最近は岩波書店のグリム童話を少しずつ一緒に読んでいます。大人への入り口に立つ今だからこそ、気づきも色々あるようです。母として子育ての悩みも楽しみもこれまでとは違った体験も味わえるのかなと思っております。

 さて、私自身はありがたいことに絵本講師として、たくさんの絵本を携え保育園や幼稚園、文化教室などで絵本講座をさせていただいています。小学校では絵本の読み聞かせサークルに入り、月1回、子どもたちへの読み聞かせを行ってきました。1年生か6年生までが集まるので、どんな絵本がよいのか、毎回頭を悩ませてきました。他のお母様方から、どんな絵本を読んだらいいのかという質問をいただくこともあり、アドバイスさせていただいたのは、「季節や学校行事など子どもが親近感のもてる内容」や「低学年の子に理解できる内容の絵本」「遠くの子にも見えやすい絵本」などです。

 お母様方から、反応がよく、いわゆるウケル本を教えてと、言われることもあります。子どもの過剰な反応や笑いを求めて読み聞かせをすることを目標にするのではないということと、本屋さんで人気の売れている絵本が必ずしも良い絵本であるとは限らないということもお話しさせていただきました。

  また、読み聞かせ活動をしている方からは、高学年に響く絵本を教えてほしいと言われることがよくあります。高学年だから、難しい絵本を読まなければいけないと思うのではなく、低学年でも楽しんでいるような絵本でも良いのですよとお話ししています。学校に行って思ったのは、今の子どもたちは昔話をあまり知らないという現実です。桃太郎、金太郎、浦島太郎など、名前は知っているけど、どういうお話だったかくわしく知らない子もいます。昔話には、先人から伝えられてきた人が生きるための知恵や力強さが描かれているお話が多いですが、そういう日本の昔話を高学年のお子さんにもぜひ読んであげてくださいとお伝えしています。近年アジアの昔話、モンゴル、中国、韓国などの絵本も多く出版されています。これらの絵本は、おはなし会でもよく読みます。日々、国と国の関係も悪化したり、争いが起こったりと私たちを取り巻く環境も変化し、不安に駆られることも多いです。しかし、絵本には国境はなく、生まれた場所は違っても同じ人間だということ、それぞれに精一杯生き、生活を営んでいるということを教えてくれます。

 毎年絵本講座をさせていただいている保育園では先生から、保護者の方たちが忙しく、絵本をおうちで子どもに読んであげていないというお悩みをよく聞きます。絵本の展示販売会をしても、「絵本は高いから」と買ってくださるのはわずかということです。日本では今子どもの貧困が問題になっており、絵本を購入することが家計に響くというご家庭も多いことは確かです。また、0歳児さんに読み聞かせをしていると、絵本の画をたたいてクリックしたり、スワイプしたりする子どもがいるということにびっくりしたとも仰っていました。

 ご家庭での親子の読み聞かせの機会が減っているならば、周りの大人たちがその役割を担うことがより大切になってきているのかもしれません。子どもたちを取り巻く環境が複雑に目まぐるしく変化している今だからこそ、子どもたちが自分にとって生きていく為に必要なことは何か、見極めていく目を養う為にも、良質な絵本を一人でも多くの子に届けられるよう、微力ながら長く活動を続けていきたいと思っています。
(はなふさ・かこ)

 

絵本講師の発言席 65『一生勉強、一生不悟』久嶋 志帆(絵本講師)

久嶋 志帆
『一生勉強、一生不悟』久嶋 志帆(絵本講師)

65.絵本講師の発言席 『一生勉強、一生不悟』

 今は主に情報を得る為に用いているツイッターを開いて、今日も溜息。闇の深い方へ転がって行くようにしか思えない私たちの国に戦慄し、その一端を担う者として悔しくて焦る気持ちはあるけれど、毎日ご飯を作り、仕事をし、お迎えに行き又ご飯を作り、子どもと一緒に寝てしまい、朝方、やり残した家事を……。そんな生活の中で、私に出来ることは何か。考える日々です。

 4月に絵本講師の名刺を作ってから半年。講座をさせていただく毎に、自分の小ささと無知を思い知らされ、それでも、今の自分だから伝えられることがあるはず、と自分を奮い立たせてやってきました。『絵本を読んであげましょう』(森ゆり子/著 NPO法人「絵本で子育て」センター)に出会い、「絵本で子育て」センターを知り、子どもとは、子育てとは、読み聞かせとは……と、正解のない問題に向き合う日々は、発見や驚きに彩られ、鮮やかです。

 高校卒業と同時に上京し、子どもを授かるまで、役者(声優)という仕事に全力で人生を捧げてきました。とても刺激的で面白い毎日でした。その反面、私はずっと不安でした。自分に対する不満、不安。何の保証もない、綱渡りの世界で、常に何かに追われている精神状態。そんな自分が、結婚し、母になり、未知の生命体、赤ちゃんを授かり……。頼れる人も居ない、ザ・核家族の私たち夫婦は、紆余曲折しながら2人の子どもを育て、私たちも親として育てられてきました。手探りの匍匐前進、泥と食べ散らかしと涙と鼻水に塗れ、寝不足と疲労と不安で押し潰されながら過ごした日々。けれどそれは、とても人間らしい、何物にも変えられない大切な経験だったということを、今は実感しています。

 子どもを授かってから世界を見る目が180度変わり、子育てを続けるうちに、子どもに安心、安定を与える為にはまず、自分が安定しなければならないことを痛感しました。けれどもこれが大問題で、私は、自らの自己肯定感の低さに向き合わなければなりませんでした。自分を認め赦すこと、自分の人生を愛すこと……。

 こんな仕事をしていますが、実は子どもの頃からコンプレックスだらけの私。人ってなかなか変われるものではないですけれど、そんな私に、絵本講師に向けての勉強が自信と希望を与えてくれました。確かな学びが、七転八倒の子育てから得た様々な自身の経験の大きな後ろ盾となってくれました。そして、とうとう私は私の人生を愛そうと思えたのです。

 それからは不思議なもので、世の中や物事を少し俯瞰して見ることが出来るようになり、子育ても仕事も、要らない力を抜いて取り組めるようになってきたように感じます。視野も広がり、子ども達を愛おしいと感じる瞬間が増えました。
 
 「読むのも勝手、聞くのも勝手」松居直さんのお言葉ですが、5歳の娘に読み聞かせしていると、最近はあまり絵本を持って来なくなった小学2年生の息子も、自分が聞きたい場面ではスッと寄ってきます。そんな瞬間に、私にも子どもたちにも温かいものが流れていることを実感し、家族の蝶番の役目をしてくれる絵本に感謝します。絵本を子育ての頼れる相棒にして欲しい。そして子どもが愛おしいと感じる瞬間を沢山作って欲しい。それが、私が絵本講師として伝えたいことです。
 
 これを書いている今日、香港では自由を求める若者たちに警察が銃を向けています。私たちにも見えない銃が突き付けられているのではないでしょうか。子どもたちと彼らが生きる未来を守りたい。知への扉を開いてくれるのは本です。本の扉への鍵が絵本です。私たちは、本を携え、与えられる情報から真実を探すことを諦めてはならず、考えることを止めずに歩まなければと思います。
(ひさじま・しほ)

 

絵本講師の発言席 64『絵本でつながり広がった世界』竹之下 和美(絵本講師)

竹之下 和美

64.絵本講師の発言席 『絵本でつながり広がった世界』

 我が家の息子たちのお気に入りの絵本の中に『おしいれのぽうけん』 (古田足日/作、田畑精一 /挿絵、童心社) という絵本があります。 子どもたちの好きな絵本を読む、寝る前の絵本タイムでいつも読んでいた絵本の一つです。
 いたずら盛りの息子たちにとつて、お話の中に出てくる「ねずみばあさん」と押入れが特別なものであり、長男にとつては特に怖くもあり今でも心の中に残つているお話のようです。彼が甥つ子たちに話をしているのを目にすると、微笑ましく、絵本で子育てすることで共有できる時問が親子にとつても楽しく幸せな時問であり、毎日少しずつの積み重ねによつて絵本でつながつていることに喜ぴを感じます。
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 さらに、私が絵本とのつながりを深めたのが、現在活動を続けている人形劇を通してです。人形劇は、親子で一緒に同じ空聞で共有体験してもらえるように生の舞台を大切にして活動を続けているもので、その人形劇を子ども病院に届ける機会がありました。べッドから離れられないでいる子どもたちにも、もつと身近に楽しみを届けられたらと病院での「おはなし会」を始めました。
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 病院での「おはなし会 」では個々の病室に出向いて絵本を読むこともあり、子どもたちにより身近にお話を届けることが出来ます。
 病院という限られた空問の中で長期間過ごしている子どもたちは、外の世界と中々触れ合えないので、色々な絵本を通して間接体験を楽しむ手助けをしたいと思つています。季節感を感じられる絵本を中心にナンセンス絵本や参加型絵本、うた絵本、そして主人公と共有体験できる物語絵本など様々な工夫を凝らして病院での「おはなし会」に取り組んでいます。
 この「おはなし会」で、子どもたちに付き添つているご家族にも、絵本に触れるひと時が、心がホッとできる時問になつてほしいと思つています。そして、読み聞かせを通して、ご家族の方自身の声を子どもたちの心に届けてほしいと願つています。こうして 「おはなし会」を通して絵本でのつながりが広がつて<ると、私自身、絵本を届けるために絵本についてもつと知りたいと思いました。 そんな時に出会つたのが「絵本講師養成講坐」でした。一つひとつの課題に時問をかけてじつくりと向き合い、自分の絵本に対する思いを深め、絵本の力・生の声を届ける素晴らしさを再確認できました。
 晴れて絵本講師となって新たな出会いの場となつたのが、子育て支援のひろばでの「おはなし会」です。 この場所は、人形劇をしている私にとつてとても馴染みのある場所であり、子育て中の家族に向けて絵本で子育てする楽しさを少しずつ伝えていく機会に出会えたと思いました。「おはなし会」に参加される方々に、先ずは読んでもらうことの心地よさを体験してもらつて、愛情のこもった声による言葉が心を育てることを知つていただけたらと思います。
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 「おはなし会」を通して、子どもたちには読んでもらうことの喜ぴや、たくさんの絵本と出会つて色々な世界を知つてもらい、親友となれる絵本をみつけてほしいと思います。 また絵本講坐を通して子育て中の家族や、立場は違つても子どもとかかわる機会のある人たちに、もっと親や大人が子どもに愛を伝えることのできる絵本、親子の絆を強めるのに力を貸してくれる絵本について紹介しながら、絵本の持つ可能性について少しずつ伝えていけたらと思います。
 何より、絵本でつながり広がつた「おはなし会」や人形劇で出会つたキラキラした目の子どもたちとの、この瞬問を大切にして活動を続けていきたいと思つています。
(たけのした.かずみ)

 

絵本講師の発言席 63『そらいろのたね』服部 勢津子(絵本講師)

63.絵本講師の発言席 『そらいろのたね』

 私は現在、神戸市認定こども園の保育士をしています。その日々の中での、園児たちとの触れ合いをお伝えしたいと思います。

 毎年春の終りに、朝顔と風船かずらの種を子どもたちと一緒に、園庭や自分用の植木鉢や日除け用のプランターに植えています。花の季節が終わると種取りもしますので、年中児や年長児は、同じような黒い小さな種でも「朝顔は真っ黒だけど、風船かずらには白いハートの模様があるんだよね」とよく知っています。(風船かずらの緑色の風船が)「茶色くなったら風船を取って、中の種をとってもいいんだよね」、「まだかなぁ」と言いながら楽しみにしています。朝顔の花は「ジュース屋さんごっこ」や「色水遊び」にいつも活躍しています。  そして絵本『そらいろのたね』(なかがわりえこ/文、おおむらゆりこ/絵、福音館書店)の出番ですが、今年はいつもと違う体験をしました。絵本を読み終えた後、4歳児の男子2人が「なあ、そらいろのたねは、どんな色だと思う?」 「白色かなぁ」と話し合っているのです。私にはその意味が分かりませんでした。「?」がいくつも頭に浮かびました。

 2人の話を側で聴いていた5歳児の女子が、「そらいろって、お空の色だよ。だから水色だよ!」と言いました。2人の男子は無言。もう一度女子は「そらいろは水色だよ!」と言いました。男子たちは「ふーん」という曖昧な返答でした。  
 男子たちは「そらいろ」を色名とは思わず、「そらいろ」という名前の「種」だと思ったという。その思考を私は「面白い」と感じました。20年保育士をしていて初めての体験でした。   知っているとばかり思っていたことを、実は知らなかったという驚き。これは何が原因だろう。親子の対話不足か。テレビの見すぎか。実体験の不足か……。   「あ、見てごらん、空が赤いよ」 「きれいだね」 「雲が動いている。形が変わっていくよ。あ、恐竜になった」、なんていう親子の体験はないのでしょうか。  そういえば、親子で手を繋ぎ歩いて保育園にくる園児は少なく、自転車や車での登園が多くなったように思います。回転寿司の「にぎり」の魚の名前はよく知っていても、家庭でつくる「ちらし寿司」を知らない子どもたち。給食のミニトマトは嫌いでも、自分たちで育てた園庭のミニトマトなら、もぎ取って、匂いをかいで皆と一緒に「甘いね」とパクリとできるのです。

 絵本『トマトさん』(田中清代/作、福音館書店)を読んでもらった後は、プール遊びをして、トマトさんもこんなに冷たくて気持ちがよかったんだね! とトマトさんの気持ちに納得しています。そして『トマト』の歌をうたい、トマトって上から読んでも下から読んでもトマトだと喜ぶ子どもたち。2番の歌詞にある、≪小さい時には青い服、大きくなったら赤い服≫には、「おしゃれだね」とまたまた納得の様子です。ボーっと過ごしていたら見落としてしまう、何でもないような体験をたくさん積み重ねていってほしい、とつくづく思うのです。  
 後日談―  長女にこの原稿を見せると、娘は「私も男の子のように思っていた」と言いました。私はビックリ仰天しました。娘は「空の色はしょっちゅう変わるし、ふしぎな空色の種やから、元の色は何色かなぁと思っていた」と言うのです。「そんなこと、私に言わなかったやないの」と言うと、「何色かなぁ、といつも楽しんでいたんよ」と言われてしまいました。もしかして、男子たちもそんな思いだったのかなぁ……。  
 絵本を通して想像の世界はぐーっと広がっているようです。でも誰もその世界を目で見ることはできません。子どもたちの想像の世界を見守り、大切にしていきたいと思います。
(はっとり・せつこ)
 梅雨の間に七夕を迎えます。皆さんは七夕飾りを楽しみましたか? 我が家は毎年、マフラーや『たなばた』(福音館書店)という絵本を飾り、季節を楽しみます。    
 我が子が小さかった頃は折り紙などで笹飾りを作りました。幼稚園に入ると持ち帰ってきた笹飾りを楽しみました。小学生の頃にはしだいにしなくなりました。ところが近年、七夕が近づくにつれて「飾りが何もない」ということが寂しく思えてきました。ふと思い立って私の願いのこもったマフラーや絵本を飾ってはみたのですが、少し違和感を感じました。

 なぜ、冬に使うマフラーを七夕飾りとしていたのかというと、我が子が通っていた幼稚園にきっかけがありました。その幼稚園は、「絵本」をとても大切にし、絵本の読み聞かせや絵本の貸し出しだけではなく、絵本のある生活を通して「根っこの教育」を進めていました。ですから、たくさんの絵本が所狭しと並んでいます。  
 ある時、上の子が『ペレのあたらしいふく』(福音館書店)を何度も借りてくることがありました。「また」と思いながらもきっと好きなんだなと思い、何度も読んでいました。初めて手にする絵本でしたが、読み聞かせをしているうちに、我が子だけではなく私にとって、とても愛着のある一冊となりました。それにとどまらず、実際にやってみたくなったのです。主人公のペレと同じように毛刈りから一通り丸ごと全部を!   下の子の小学校入学を待って、念願の「草木染め・織教室」に通い始めました。近くの動物園での毛刈りから始まり、その羊毛を染めたり糸にしたりと九ヶ月もの月日を費やして、メイド・イン・藤川の一枚のマフラーを織り上げました。  
 私が実際に体験することで、更にこの絵本の世界感を実感することができ、何にも代えがたい印象に残る体験となりました。今から思えば、我が子といっしょに『しろくまちゃんのほっとけーき』(こぐま社)を読み、実際にホットケーキを作って食べて楽しんだことと同じなのだと思います。  
 この体験を、地元の公民館の「市民企画絵本講座」で伝える機会をいただきました。絵本を通して体験することの大切さ、親子で体験を共有でき、何でもやりたいと思えばできること、この体験を伝えることで、少しでも、子育ての中にはしんどいこともあるけれど、明るい希望と夢を見ることもできるという気持ちを感じてもらえたと思います。

 七夕の由来を調べている時に、室礼(しつらい)の先生のお話を聞く機会を得ました。生活の中で行う五節句の飾りは「見立てが大事である」と学びました。古き良き物を正確に残すことも大切ですが、今となってはうまく伝承されていないこともあり、できないこともあるようです。それよりも、その習慣を現代の生活に合わせて暮らしに取り込み、心豊かな生活を送ることが大切なのではないか。わざわざその飾りを「買う」のではなく、家の中にある物をそれらしく使うことで立派なお飾りになるという内容でした。  
 伝統を受けつぐというのは「形」だけではなく、脈々と流れる文化を受け継ぎ、伝えていくことが大切なのだと改めて思いました。そのためにも、絵本講師として日々研鑽を積み、現代の生活に合った文化を伝えていくことが、古き良き文化の継承になるのではないかと考えています。そういう意味では、我が家の七夕飾りは、あながち間違いではなかったのではないかと思っています。           

 今年の旧暦の七夕は八月七日です。「短冊」ではなく、古から伝わる「梶の葉」を紙で作り、願い事を書いてみませんか? まだ間に合います。この七夕飾りの文化にちょっとだけ触れてみることで、新しい自分と出会えるかもしれません。  そして次の日は立秋。暦の上では、もう秋です。読書の秋です!
(ふじかわ・きよえ)

 

絵本講師の発言席 62「伝える」藤川 清恵(絵本講師)

62.絵本講師の発言席「伝える」

 梅雨の間に七夕を迎えます。皆さんは七夕飾りを楽しみましたか? 我が家は毎年、マフラーや『たなばた』(福音館書店)という絵本を飾り、季節を楽しみます。    
 我が子が小さかった頃は折り紙などで笹飾りを作りました。幼稚園に入ると持ち帰ってきた笹飾りを楽しみました。小学生の頃にはしだいにしなくなりました。ところが近年、七夕が近づくにつれて「飾りが何もない」ということが寂しく思えてきました。ふと思い立って私の願いのこもったマフラーや絵本を飾ってはみたのですが、少し違和感を感じました。

 なぜ、冬に使うマフラーを七夕飾りとしていたのかというと、我が子が通っていた幼稚園にきっかけがありました。その幼稚園は、「絵本」をとても大切にし、絵本の読み聞かせや絵本の貸し出しだけではなく、絵本のある生活を通して「根っこの教育」を進めていました。ですから、たくさんの絵本が所狭しと並んでいます。  
 ある時、上の子が『ペレのあたらしいふく』(福音館書店)を何度も借りてくることがありました。「また」と思いながらもきっと好きなんだなと思い、何度も読んでいました。初めて手にする絵本でしたが、読み聞かせをしているうちに、我が子だけではなく私にとって、とても愛着のある一冊となりました。それにとどまらず、実際にやってみたくなったのです。主人公のペレと同じように毛刈りから一通り丸ごと全部を!   下の子の小学校入学を待って、念願の「草木染め・織教室」に通い始めました。近くの動物園での毛刈りから始まり、その羊毛を染めたり糸にしたりと九ヶ月もの月日を費やして、メイド・イン・藤川の一枚のマフラーを織り上げました。  
 私が実際に体験することで、更にこの絵本の世界感を実感することができ、何にも代えがたい印象に残る体験となりました。今から思えば、我が子といっしょに『しろくまちゃんのほっとけーき』(こぐま社)を読み、実際にホットケーキを作って食べて楽しんだことと同じなのだと思います。  
 この体験を、地元の公民館の「市民企画絵本講座」で伝える機会をいただきました。絵本を通して体験することの大切さ、親子で体験を共有でき、何でもやりたいと思えばできること、この体験を伝えることで、少しでも、子育ての中にはしんどいこともあるけれど、明るい希望と夢を見ることもできるという気持ちを感じてもらえたと思います。

 七夕の由来を調べている時に、室礼(しつらい)の先生のお話を聞く機会を得ました。生活の中で行う五節句の飾りは「見立てが大事である」と学びました。古き良き物を正確に残すことも大切ですが、今となってはうまく伝承されていないこともあり、できないこともあるようです。それよりも、その習慣を現代の生活に合わせて暮らしに取り込み、心豊かな生活を送ることが大切なのではないか。わざわざその飾りを「買う」のではなく、家の中にある物をそれらしく使うことで立派なお飾りになるという内容でした。  
 伝統を受けつぐというのは「形」だけではなく、脈々と流れる文化を受け継ぎ、伝えていくことが大切なのだと改めて思いました。そのためにも、絵本講師として日々研鑽を積み、現代の生活に合った文化を伝えていくことが、古き良き文化の継承になるのではないかと考えています。そういう意味では、我が家の七夕飾りは、あながち間違いではなかったのではないかと思っています。           

 今年の旧暦の七夕は八月七日です。「短冊」ではなく、古から伝わる「梶の葉」を紙で作り、願い事を書いてみませんか? まだ間に合います。この七夕飾りの文化にちょっとだけ触れてみることで、新しい自分と出会えるかもしれません。  そして次の日は立秋。暦の上では、もう秋です。読書の秋です!
(ふじかわ・きよえ)