連載 遠い世界への窓 連載16 『レッドーあかくて青いクレヨンのはなし』

遠い世界への窓 連載16 『レッドーあかくて青いクレヨンのはなし』

東京大学教養学部
非常勤講師
絵本翻訳者

『レッドーあかくて青いクレヨンのはなし』

 「レッド」は、赤いクレヨンです。でも、赤くぬるのが、得意ではありません。消防車も、イチゴも、レッドが描くと、みんな青いろになってしまうのです。どうしてレッドは、じようずに描けないんだろう? どうして、ちやんと赤いろにぬれないんだろう?オリーブいろのクレヨン「オリーブかあさん」 にも、スカーレットいろのクレヨン「スカーレットせんせい』にも、その理由がわかりませんでした。

ここだけの話ですが、絵本を見ている私たちには、どうしてレッドがうまくいかないのか、一目でわかります。 レッドは、赤いクレヨンではありません。「レッド 」と書かれた赤い紙が巻かれている、青いクレヨンなんですもの!

でも、おかあさんも、せんせいも、おじいちやん、おばあちやんも、だれも、レッドが本当は赤ではないことに気づいてくれません。 それどころか、きっと、練習が足りないから赤いいろにぬれないんだとか、寒がりだから青いろになってしまうんだとか考えて、お手本を示してあげたり、ショールを作ってあげたりしました。 レッドを心配する友だちもみんな、「なまけているんじゃないか?」、「どりょくしなくちやね」、「もっとがんぱれ!」と口々にいいます。 レッドの 「ほんとうのいろ」 が見えている私たちには、その言葉がどれも切なく胸につきささります。

何を描いても、青いろにしか描けないレッド。それって、レッドが「なまけているから」なの? 「れんしゅうがたりないから」なの?

「私は〇〇でないとダメなんだ」 とか、「△△ができないといけないんだ」と、自分で思い込んでいたり、知らないうちに人から価値観を押し付けられていたりしたことってありませんか?もしも私がチーターだったら、何より重要なのは、きっと速く走ること。ナマケモノだったら、どれだけじっとしていられるか、のろのろ動いてエネルギーを温存できるかが勝負です。 そして、キリンだったら、やっぱり首が長いことが重要ですよね。 だからといって、一日の大半を笹の葉を食べて過ごすパンダが、「ボクって、なんでこ
んなに足が遅いんだろう?どうして、じっとしていられないんだろう?なんで首が短いんだろう!」と言って、たぷん嘆いたりしない。 でも人問は、自分の姿を見失ったり、ほかの人の姿を見ていなかったりして、ときに勝手にラべルを貼ってしまうのですよね。

この絵本は、2016年に「レインボーリスト」 という、LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クェスチョニング/クィアの頭文字) を知るための児童書リストに選ぱれました。 でも、LGBTQと向き合う人たちだけでなく、無意識のうちに強いられた価値観やラべリングと、自分の本当の姿との違いに悩んだり疑問を感じたりする全ての人にとって、「自分自身の物語」 (原作者の言葉より) となるのでしよう。そして、私はレッドであると同時に、レッドに苦しい思いをさせてレッドの姿に気づいてあげられなかった、まわりの人たちでもあるのです。

ところで、赤いろを描けないレッドは、どうなったのでしよう。友だちの 「 パープル」に誘われて、おそるおそる、画用紙いっぱいの絵を描いてみたレッド。レッドにも、のぴのぴと描けるいろが、そのままの自分で描けるいろがあったのです。「レ ッドがかがやきだしたわ!」、「よくかんがえてみれぱ、わかったはずだよ」、「かっこいいよね」と、口々に叫ぶ、友だちのクレヨンたち。レッドがいちぱんつらかったときに、私たちもこんな言葉をかけてあげられたらよかったのに。

絵本のカバー見返し部分に書かれた作者のことぱを信じて、ぜひ絵本をひらいてみてください。 …… 《これからするのは、あかくてあおいクレヨンのはなしです。 あなたのためにかきました。》

(まえだ・きみえ)

※『レッド あかくてあおいクレヨンのはなし』
(マイケル・ホール/さく、上田勢子/訳、子どもの未来社)

連載 遠い世界への窓 連載15 『しんぞうとひげ』

遠い世界への窓 連載15 『しんぞうとひげ』

東京大学教養学部
非常勤講師
絵本翻訳者

『しんぞうとひげ』

アフリカ大陸の東、タンザニアの島ザンジバルの昔話絵本です。まず目を引くのしんぞうとひげが、とびきりにぎやかな表紙。オレンジの水玉のキリンに、ピンクの象、シマウマ。そして、ビビッドカラーの動物たちに交じって、力強く走る姿が描かれているのが、つやつやピングの「しんぞう(心臓)」と、真っ黒な「ひげ」!

スワヒリ語の昔話は、「パウカー(はじめるよー)」「パカワー(はーい)」というかけ合いで始まります。でも、それに続くお話の始まりには、何とも度肝を抜かれます。「むかし、むかし、あるところに、しんぞうとひげがおりました。」――え? 何のこと? いや、待てよ。そうか、あるところに、「しんぞう」がいたのか。そして、「ひげ」もいたんだ。それで、それで、どうしたの?

つやつやピンクの「しんぞう」は、びんぼうで、いつもはらを空かせていました。「しんぞう」の腹ペコぶりが、何ともリアルです。「ああ、おなかが すいたなあ。どこかに きのこでも はえていないかなあ」 空を飛ぶ鳥を見上げて、「ああ、とりにくが たべたい!」でも、鳥をつかまえられるわけもなく、「しんぞう」は水だけのんで、ねむります。そして、それは次の日もいっしょ。「おなかがへった、はらへった。おなかがへった、はらへった。きのうも はらぺこ。きょうも はらぺこ。たべたい、たべたい……。」なんと、「しんぞう」は、21日ものあいだ、おなかをすかせていました。ちょうど同じころ、同じように、「ひげ」も、モーレツにおなかをすかせていました。そんな「しんぞう」と「ひげ」が、ばったり出会ったら、いったい何が起こるでしょう?

このお話に何度も出てくる、「おなかがすいた」、「いやあ、はらいっぱいで何も食べられないよ」という言葉は、滑稽なだけでなく生命力そのものです。

食べるものがない、しじゅうお腹を空かせている、って人類が登場して以来、ずっとつきまとってきた事柄ですよね。私は、昭和初期生まれの両親から、「戦争中は食べるものがなくてねえ……。子どもたちはみんな、いつもお腹を空かせていたのよ」と繰り返し聞かされました。今だって、戦争や災害が起きたりすれば、人間はあっという間に空腹や飢餓にさらされます。、「びんぼう」や「ひもじさ」は、世界中の昔話に登場しますが、それが、「しんぞう」と「ひげ」の食うか食われるかの追いかけっこになるなんて!

この絵本の再話者である、しまおかゆみこさんは、「しんぞうとひげ」をはじめとするたくさんの民話を、タンザニア本土とザンジバルで収集しています。そして、絵を描いたモハメッド・チャリンダさんは、「ティンガティンガ・アート」のベテラン画家のお一人。「ティンガティンガ・アート」は、「6色のエナメルペンキで、タンザニアの豊かな自然や動物、人々の生活などを、色鮮やかにのびのびと描く、タンザニアの現代アート」(訳者あとがきより)。『しんぞうとひげ』には、チャリンダさんが、日本の読者のために、タンザニアの風土や自然をもりだくさんに描き込んでくれたのだそうです。

私は残念ながらアフリカ大陸へは行ったことはないのですが、これまでに二人だけ、アフリカの友だちがいました。そのうちのひとりが、『しんぞうとひげ』の故郷であるタンザニアから客員教授として来日していたT先生です。春にやってきた先生は、日本の花々をとても気に入って、「二月に家族がくるんだ。妻や子どもたちにも日本の花をぜひ見せたい」と言うので、「二月は寒いから花は枯れちゃいますよ」と話したら、「え、そうなの? なんで? 」と心底がっかりされるので、私は大笑い。タンザニアは、赤道直下の常夏の国。季節の移ろいとともに葉が落ち、花が枯れてしまう日本の冬は、とっさに想像できなかったのかもしれません。

ところで、「しんぞう」は、どうして人間の左胸でどきどきしているか、知っていますか? それは、この絵本を読めば、分かりますよ。

(まえだ・きみえ)