飫肥 糺 連載127  色彩の魔術師、色と形、何か知らぬが何かを語り何かを示唆する『あかいふうせん』(ほるぷ出版)

 45年も前から机上の書架に差し込む絵本がある。イエラ・マリの『あかいふうせん』だ。はじめて読んだのは1976年。今はもう50前後になる子どもたちが幼児であったころの絵本。以来、ぼくはこの絵本を数知れぬほど抜き出しては読みつづける。
気はときに晴れときに曇る。そのたびに絵本は、何か知らぬが何かを示唆し何かに応えてくれる。無心に遊ばせてくれる本というのだろうか。

四方22センチの小ぶりな正方形の表紙。見るもあざやかな深紅(赤)の風船が紙面いっぱいに浮かび濃密な地の緑と対照する。みごとな色彩と造形。ぼくはそれだけでずんと魅き込まれてしまう。
本扉を開くと深紅の風船をふくらます少年登場。そしてページをめくるたびに風船はすこしずつ変形していく。

ふくらみきって少年の口許をはなれて宙に飛翔した風船は風に吹かれて木の枝に生(な)り変化(へんげ)する。おやおや、りんごになったぞと驚いたら熟したりんごは枝から放れ、深紅の羽を広げるチョウに変身、華麗に空に舞う。舞い疲れたかチョウは草花しげる野原で一休みしてまた変化(へんげ)、四つの羽を真っ赤な花びらに。だれの手か。変化(へんげ)した大きくてあでやかな花に手が伸びる。遠くに暗雲がたれこめると花はさらに傘へと形を変えて降りしきる雨をしのぐのだ。あぁ、そうだったかと気づけば、花咲く茎をもぎった手の主ははじめに風船をふくらませたあの少年だった、というシンプルすっきりの物語だ。

こんなシンプルな絵本を魔術師と称えられる作者が圧巻の傑作に創造する。
本扉から結末まで変身変化する風船にしか彩色されていない。あざやかで深みある紅(赤)だけの彩色。ふしぎなほど全ページが同じ色調で色ムラがない。

実は、作者イエラ・マリは原画に彩色をしていない。これこそが魔術師の種明かし。作者の欲する彩色実現のために、一般の制作で油彩・水彩等絵具で描いて原画とし、カラー分解して印刷インクで刷りあげる方法を作者は執らないのである。印刷インクそのものを作者が選択して指示し望みどおりの発色を実現させるのがイエラ・マリの手法なのだ。グラフィックデザイナーの面目躍如である。色彩の魔術師といわれる由縁ではないか。

造形はすべて墨色による線描だ。0.2ミリ程度の繊細な線は、少年や樹木・草花を優雅でやわらかな曲線で描き、にわかに降り出す雨脚はするどい直線で描く。さらに真白の地色に深紅(赤)や墨線だけで造形した構図が印象的ですばらしい。色と形、これらすべてが心を躍らせるではないか。

ふたたび実は、この本はテキストなし。文字のない絵本である。だから読(よ)んだというのは少しニュアンスを異にするのかもしれない。よく「絵が語りテキストが描く」と絵本について語ることがあるが、『あかいふうせん』は、まんまるまるごと絵本だろう。
45年を経ても読むたび語りを聴くたび、ぼくを無心にいざない、この絵本は、何か知らぬが何かを示唆し何かを語りかけ何かを心の裡に描かせている。

 

『あかいふうせん』
イエラ・マリ/さく
ほるぷ出版