子ども歳時記141 もう こんなに大きくなったんだね/栗本 優香 『あんなに あんなに』(ヨシタケシンスケ/著、ポプラ社)

子どもたちが進級、進学などで新しい環境へと飛び込んでいく季節がやってきました。子どももさることながら、それを見守る親にとっても期待と不安が入り混じった、そんな季節です。

 

『あんなに あんなに』(ヨシタケシンスケ/著、ポプラ社)を手に取ると、男の子とお母さんの何気ない日常のやり取りがそこにありました。≪あんなに ほしがってたのに もう こんな≫とせっかく買ったおもちゃが、しばらくすると他のおもちゃと一緒に床に散らかっている光景が描かれています。小さい男の子の何気ないしぐさをとらえた絵に、娘を重ねながら読み進めました。

 

やがて男の子が成長すると「あんなに……」の光景も変化していきます。反抗期なのか、自室から出てこない息子を見て≪あんなに なきむしだったのに もう こんな≫と心の中でつぶやいたり、≪あんなに わかかったのに もう こんな≫と鏡を見て落ち込んだりするお母さんの姿が描かれています。

 

子育て真っ最中の方も、子育てがひと段落した方も、「そうそう」、「そうだったなぁ」と自分の子育ての日々と重ねて読むことのできる絵本です。

 

新しい環境に飛び込んでいく子どもたちのパワーは、きっとこんな日々から生み出されるのではないでしょうか。そしてその源には、失敗したり、心細くなったりしたらいつでも親の元に戻っていけるという安心感があるのだと思います。絵本の読み聞かせで、日々かわす言葉で、まなざしで、そんな安心感を育んでいけたらと思わずにはいられません。

 

中学生になった娘を見て、もうこんなに大きくなったのだと嬉しい反面、思春期の真っただ中でもあり、どう接したらよいのか迷う時もあります。幼かった頃のように「こっちだよ」と手をつないで連れて行ってやることができたら簡単なのにと思うこともしばしばです。

 

悩んだり、つまずいたりしながらも、未来に向かって自分の足で歩いて行こうとする娘。オロオロしながら、後ろから見守ることしかできない私。絵本の読み聞かせや手をつなぐことから卒業した娘と私の、新たな親子関係のステージが、今ここにあります。

 

あと数年たったら、娘と私の今も「あんなに~だったのに」と過去の1ページになることでしょう。娘にとって楽しいことも、しんどいことも、一緒に何ページでも重ねていきたいと私は思っているのですが、娘は、私と一緒にあと何ページ歩んでくれるのか、定かではありません。

 

 絵本の終盤、≪あんなに いろいろ あったのに まだ たりない≫とあります。たりないと言わなくていい位、娘との日々を重ねていこうと思うのですが、やはり私の口からも、同じ言葉が出てくるのではないかと、今から思えてなりません。

(くりもと・ゆうか)

子ども歳時記140 風の時代を生きる/北 素子 『100』(名久井直子/さく、井上佐由紀/しゃしん、福音館書店)

新しい年が始まりました。西洋占星術の世界では、2020年末に約200年に一度の大転換期に突入したといわれています。金銭的な成功や所有、権威など、かたちあるものを重んじる物質主義の“土の時代”から、情報、知性、コミュニケーションといった目に見えないものを重視し、個人が自分なりの価値観で選択していく“風の時代”へ。

 

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、このパラダイムシフトの前兆ともいわれています。多くの方が犠牲になり、世界構造そのものが変わりました。住まいや仕事、コミュニケーション手段など、コロナ前には想像もしなかったスタイルが定着しつつあります。

 

東京オリンピック2020では、「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、「そして、未来につなげよう(未来への継承)」という3つの基本コンセプトが掲げられていました。また、「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現を目指すという国際目標のことを指す、“SDGs”も身近になりました。このように、自由で多様な価値観を認め合うことの大切さを、社会全体で強く意識していこうという流れになってきています。

 

わたしの職場である児童発達支援事業所には、療育の観点から支援が必要であると認められた未就学のお子さんが通っています。発達障害の子は、通常の発達の人と比べて発達が劣っているのではなく、発達の様子が異なっているという考えの下、治療や訓練によって修正するのではなく、子どもが本来持っている優れた部分に注目をして、その力が十分発揮できる環境を整え、彼らが社会と共生していくことを目指した支援を心掛けています。

 

 輪ゴム、貝がら、どんぐりなど、それぞれ100ずつ集めて撮影された写真絵本、『100』(福音館書店)は、子どもたちに人気です。数字やマークが好きなA君は、金魚が100匹いるページがとくにお気に入り。手を叩いて喜んでいます。

 

 B君のお気に入りは、「きんたろうあめが 1」のページをめくってからの「100」。ひとりで何度もページを繰って眺めています。C君は、各ページで自分の知っていることを話したくて先生と読みあうことを楽しみにしています。見開きいっぱいに散らばった100個ひとつひとつ異なったものが集い、調和する美しさ。表紙の100個のカラフルな風船に、“風の時代”を生きる自由と軽やかさ感じながら、誰もが唯一無二の大切な存在であり尊重される社会を願います。

 

(きた・もとこ)

子ども歳時記139 変わらないでほしい風景 倉冨 展世、『なく虫ずかん』(松岡達英/え、篠原榮太/もじ、佐藤聡明/おと、大野正男/ぶん、福音館書店)

『なく虫ずかん』 (松岡達英/え、篠原榮太/もじ、佐藤聡明/おと、大野正男/ぶん、福音館書店)

 皆さま、お元気ですか? 今年も残すところあと2ヵ月となりました。本当に一年が早いと感じます。そして、最初の緊急事態宣言から約一年半が過ぎました。この一年半は長く感じます。不思議ですね。

 

 毎年行われる秋の町内清掃が今年もありました。昨年から密を回避するという目的で一斉清掃ではなくなり、設けられた何日間の間に自分の都合の良い時間を選んで清掃活動を行い、ごみを各自で集会所まで運ぶという方法になりました。コロナ禍で起きた小さな変化です。

 

 私の住むこの地域は、住宅地の近くに田んぼなどがあって自然を身近に感じる機会が残されています。ここ数年で近くの川の護岸整備が進みましたが、以前は道を小さなカニが横断しているのを見かけていました。川が整備されたおかげで近年激しさを増している台風時には安心できますが、カニが歩いていたあの景色もなかなか良かったのに、と残念な気持ちもあります。

 

 そんな地域の草取りは、ヨモギの匂いに癒されたり、葉っぱの裏に隠れていた芋虫やコオロギ、カエルたちとの出会いが用意されていたりしました。人間にとっては不必要な道端の、名前も知らない雑草ですが、虫やカエルにとっては安住の場所だったようで慌てて引っ越しを迫ってしまい「ごめんねー。お引越しよろしくー」と謝りながらの作業となりました。

 

 自然が残るこの地域では当然のことかもしれませんが、虫の声が大音量です。夏のセミは会話も聞き取れないくらいの音量になります。でも、離れて暮らす家族と電話で話していると「虫の声、久しぶりに聞いた」と言われました。秋の夜を感じさせてくれるこの時期の虫たちの声。テレビを消して耳を澄ますと聞こえてくる虫たちの声が心地よいものだと、再認識しました。

 

 子どもたちが小さかった頃に読み聞かせをしていた『なく虫ずかん』(福音館書店)という絵本を思い出しました。ページいっぱいに虫のなき声が文字で表現されていて、次のページに絵で実際の虫たちが登場するという絵本です。読み聞かせをするとなると虫の声を指さして「これは?」と言われ、読んでは次のページの絵で確認してまた戻るという、私にとっては物語ではないこの絵本を持ってこられると「あぁ、これきたかー」と、少しげんなりしたのを思い出します。他にも『ぼーるころころぽーん』(講談社)など、オノマトペ絵本があまり好きではない私の気持ちを知ってか知らずか、子どもたちは何度も満面の笑顔で持ってきていました。

 

 子どもたちに読み聞かせをしていた絵本を開くと、思い出も一緒によみがえります。次の出番はいつかと静かに並んで待っている絵本たち。毎夜の出番には至りませんが私の楽しみの一つとなっていること。それは、寝る前に開く絵本です。

 

倉富 展世
倉富 展世

(くらとみ・のぶよ)

子ども歳時記138 『あのくも なあに?』(富安陽子/ぶん、山村浩二/え、福音館書店)熊懐賀代

あのくも なあに?

自然と親しんで 熊懐 賀代

あのくも  なあに?
『あのくも なあに?』(富安陽子/ぶん、山村浩二/え、福音館書店)

 

 皆さんはどんな夏を過ごされたでしょうか。ギラギラ照りつける太陽の光。大きな木陰に入ったとたんに「わあ、すずしい! 風のある日はいいなあ」と感じる気持ちよさ。これから少しずつ、太陽は位置を変え私たちはたやすく陰を見つけてほっとできるようになるでしょう。もくもく湧いていた入道雲も去って、空は高く澄んでいくでしょう。

 私の勤める保育園では、今年もプール遊びはせず、代わりに水や泡や氷、「ひんやり」など感触を存分に楽しめる工夫をたくさんして遊びました。子どもたちが食材に触れるクッキングをやめて、栄養士の先生が食材を目の前で切ったりホットプレートで焼くのを見て、その音を聴いたり、においをかいだりする「ルッキング」を取り入れました。ある日は子どもたちがプランターから収穫したピーマンを、先生が種をとり千切りにしてごま油でさっと炒め、お醤油とおかかを入れてひと混ぜしました。 皆さんに、音と匂いが伝わるでしょうか? 給食でも家庭の食事でもピーマンは残している子が、この時だけは「おかわり!」と嬉しそうに食べてしまうのが、本当に不思議です。そして『いっぱい やさいさん』(至光舎)や『おやおや、おやさい』(福音館書店)などの絵本を「読んで!」とリクエストがきます。

 涼しい日には、川沿いの大きな松の木陰の涼しい公園にお散歩に行きました。一歳や二歳のクラスでは、途中でねこじゃらし(エノコログサ)を見つけると、上手に抜き取れるようになってみんなが一本ずつ嬉しそうに持って歩いたり、歩道の花壇にダンゴムシを見つけると頭を寄せてのぞきこんだりします。誰かが「あ!ちょうちょ!」と言うと足を止めて見えなくなるまで目で追いながらのお散歩です。

保育士は、表情や声や態度で意思を伝える子や、一言二言おしゃべりを始めた子たちと、「風が気持ちいいねぇ」「お山に雲がかかってるよ」などの会話も交わしながら歩きます。

子どもたちがお部屋で絵本を開く様子を見ていると、自分がよく知っている生き物や花、自分もしたことのあるテーマは親しみ深く、実際の経験と絵本の世界を行き来して経験を深め、生き生きと世界を広げていっていることを感じます。だんだん語彙が増えて友だちとのやり取りも楽しくなってくると、『あのくも なあに?』(福音館書店)から、ことばのリズムや、雲のようすをみたててイメージを広げることも楽しめるのがよくわかります。歩きながら「あのくもなあに、なんだろね」と言って待つと、「アイスみたい」とか「わらってるんじゃない?」と思い思いのことばが飛びだして、ぐんとにぎやかになります。暑さや虫などが苦手という子ももちろんいますが、イヤという気持ちも受け止めながら、自然の姿もまたありのままを「こわくないよ、あぶなくないよ」と伝えながら、ともに親しんでいきたいと思います。
(くまだき・かよ)

熊懐賀代
熊懐賀代

 

子ども歳時記137 『わたり鳥』(鈴木まもる/作・絵、童心社)岡部 雅子

絵本から広がる未来

 岡部 雅子

 

渡り鳥
渡り鳥

日の出が早い夏場は、夜明け前から鳴き交わす鳥たちの声が目覚ましになっています。まだまだ寝ていたいのに、いつものさえずりに交じった聞きなれない鳴き声に耳を傾けているうちに目が覚めてきます。

思い返せば、子どもに絵本を読むなかで鳥に関心を持つようになったのかもしれません。恥ずかしながらそれまでは、スズメ、ハト、カラス、「それ以外」の区別しかなかったのです。絵本の中のムクドリの「むくすけ」が、公園で地面をつついている一群の鳥だと気づいたのが、「それ以外」の鳥との初めての出会いでした。オナガ、ヒヨドリ、シジュウカラ、ツグミにヒタキなど、ここ東京でも季節ごとに様々な鳥を見ることができるのです。鳥たちの中には、遠い南の国や北の国からやってくるものがいます。そのような旅する鳥たちを描いた絵本が『わたり鳥』です。鳥たちは新しい命をつなぐため数万キロも飛んでくるのです。

あとがきによると、「わたり鳥がウイルスを運んで、養鶏場の鶏(とり)たちが鳥インフルエンザに感染し、処分された」という報道に違和感を持ったことが、執筆のきっかけのようです。感染源として悪者にされる渡り鳥たちも、人間が地球に現れるよりずっと前から空を渡ってきているのです。過密な飼育環境にも感染を広げる要因があり、渡り鳥だけが悪いのではないでしょう。

新型コロナ感染症の流行が拡大し、これまでのような活動ができなくなって一年以上がたちます。このウイルスは、私たち人間のグローバルな活動に便乗して、あっという間にパンデミックを引き起こしました。世界中で感染拡大防止と経済活動を両立することの難しさが報道され、人間社会に深刻な影響が続いています。一方で、経済活動縮小によりインドや中国の大気汚染の改善やベネチアの海の水質改善など、環境への良い影響もありました。

このコロナ禍で注目したいのが、「One Health」という言葉です。人の健康は、動物の健康および人と動物をとりまく環境に大きく依存しており、これらすべての健康を地球規模で持続的に守らなければならないという考え方です。経済活動に伴う森林伐採などにより動植物の環境が急激に変化し、絶妙なバランスで保たれているウイルスとの均衡が崩れれば、また新たな人獣共通の感染症が生まれます。人間とウイルスとの共生は続くでしょう。感染症は広がってから対処するより、野生生物の生息地を保護し人や家畜との接触を防ぐ方が経済的とも言われています。動物や環境を守ることは、人の命を守ることに繋がっているのです。

絵本を開けば、自由に空を渡る鳥たちの力強い姿から、遠い国やそこに住む人々や生き物、そこで起きている事へと思いを馳せることができます。子どもたちには、様々な絵本の中で想像と現実とを紡いで、すてきな未来を実現してほしいと願っています。

(おかべ・まさこ)

岡部 雅子
岡部 雅子

子ども歳時記136 『番ねずみのヤカちゃん』(中村 利奈)

歳時記136

心を込めて読んだ物語は……  中村 利奈

 

 この春6年生になった娘は、学校で起きた出来事をよく話してくれる。5年生の半ば頃からだろうか、話に友達関係の難しさを嘆くものが多くなってきた。だれとだれが「絶交」した、「無視」しようと言った……など、ドキッとさせられるような言葉が続くと、思春期に差し掛かっていることを改めて実感する日々である。

歳時記136
『番ねずみのヤカちゃん』
(リチャード・ウィルバー/作、大社玲子/絵、松岡享子/訳、福音館書店)

娘はまだ人間関係の学習中なのだから、どんな話が出てきても、騒ぎすぎないようにしようと気をつけている。それでも、「みんなで無視しようと言われた」などと聞いたときは、どう答えたのか、実際にしたのか、などと矢継ぎ早に聞いてしまい、自分の意見を伝えてもみた。後日談を聞くと、まだまだ5年生、もめるのも早いが仲直りも早いようで、翌日には一緒に遊んだとのこと。ホッと胸をなでおろした。失敗をしながらでも、自ら経験して学ぶことが一番いいとは思うが、やはり人として大切なことはぶれずに持っていて欲しい。子育てというものは、常に悩みが尽きないものだと感じつつ、ねずみの子育てが功を奏す絵本を思い出した。『番ねずみのヤカちゃん』(福音館書店)である。

人間のドドさん宅にひっそり暮らす、ねずみのお母さんと4匹の子ねずみたち。お母さんは子ねずみたちに独り立ちを促し、その際に大事なことを歌にのせて教える。4番目の子ねずみ、ヤカちゃんはとてつもなく声が大きくて心配の種。でもその声の大きさが功を奏して、ある事件からドドさん一家を救う結果となり、最後はドドさん一家に大切にされるねずみになるという、とても痛快なお話だ。素敵なのは、ねずみのお母さんがヤカちゃんの個性をおおらかに受け止めているところ。自分を否定されずに伸び伸び育ったヤカちゃんだからこそ、ドドさん一家を結果的に助けることができたのだと思う。実はこのヤカちゃん、危ない場面でお母さんの歌声が頭によみがえり、2度も助けられていたのだ。大事なことをお母さんの生の声で伝える、このことがヤカちゃんを助けたのである。この場面でいつも思い出すのが、「母と子の20分間読書」運動を推進した椋鳩十さんの著書『お母さんの声は金の鈴』(あすなろ書房)だ。

「母が心を込めて読んだ物語は、ほんとうに懐かしい思い出とともに、子どもの心にしっかりと焼き付く。この懐かしい母の声は、金の鈴の音をたてて、子どもの心の中で鳴り続け、必要な時には道しるべにもなるのである。」というもの。ヤカちゃんのお母さんはこれを実践していたのだ。

まだまだ娘も成長期。心をこめて、たくさんの本を一緒に読もうと思う。娘が迷ったときに、いつか役に立つよう願いを込めて。まず今夜は『番ねずみのヤカちゃん』を共に楽しもうか。(なかむら・りな)

中村 利奈中村 利奈

子ども歳時記135 きみがおとなになるまえの自由律俳句(篠原 紀子)

『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』

 突然の一斉休校から一年が過ぎました。子どもたちに、一年よく踏ん張ったね、と声をかけたい気持ちでいっぱいです。私たち大人も含め、やり場なき想いに苛まれることもありました。一方で、自身の生き方や周りとの関わりについて、静かに考える好機でもあったのではないでしょうか。

 

 休校に入ってすぐ、図書館で予約していた絵本を借りてきました。そのうちの一冊が『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』でした。語り手の「ぼく」は詩が好きで、本に囲まれ一人で暮らす“いい年をしたおっさん”。そこに、近所に住む知り合いの小学生の男の子「きみ」が訪ねてきます。物語が進むなかで「ぼく」と「きみ」は一緒に、実在の詩人たちの詩20編を読み深めます。

 

 なかでも私が惹かれたのは、岡田幸生さんの自由律俳句でした。五七五の定型に縛られない俳句です。

《さっきからずっと三時だ》

《無伴奏にして満開の桜だ》

 

  まるで時間が止まったような休校の日々の、静まりかえった街の桜の、空白を埋めるように、岡田さんの句がぴたりとあてはまりました。平明で短い言葉から、驚くほど鮮やかな情景や切なる心が伝わります。また時間は一方向にだけ進んでいるのではなく、時空を超えてどこかで誰かと結びついている気がして励まされました。

 

句集『無伴奏』を岡田さんご本人から取り寄せ『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』と併せて自粛中たびたび開き、娘たちとも読んだことを思い出します。

 

長い休校が明け、6年生になった長女の担任の先生に『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』と『無伴奏』をご紹介したところ、授業でも読んでみたいとのこと。子どもたちは「きみ」のように句を味わい、クラスで句会も催されました。その様子や作った句を子どもたちは岡田さんに手紙で伝え、お返事が届き、交流がうまれました。子ども扱いせず一人ひとりに言葉をかけてくださる岡田さんと、「ぼく」の視線が重なります。

 

6年生にとっては殊更に、特別な年でした。みんなで大きなことを成し遂げる活動は制限されました。でも上辺の同調よりも、自己の深いところから発せられた表現をみんなでわかち合うことで共鳴し、真の一体感が得られたのかもしれません。

《じっさいにあったことや、げんじつにあったこととはべつに、ほんとうにあったこと、が、ある。》

「ほんとうのこと」って何だろう。詩は私たちに問いかけます。私たちは自らに問います。

 

これから孤独を知り、自分のなかに確かな何かを見つける旅に出る直前のきみたちへ、自由律俳句を届けられて良かった。ゆびをぱちんとならしたら、春にはもう中学生だね。

(しのはら・のりこ)

子ども歳時記134 新しい年に向けて(舛谷 裕子)

桝谷 裕子
桝谷 裕子

 新しい年になりました。昨年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のために長期にわたり自粛生活を強いられ、“新しい生活様式”の中で生きていかなければならなくなりました。戦後生まれの私はとても不自由に感じましたが、戦争体験者、疎開を経験されている方とお話をすると、暗い防空壕の中でもなく、食べるものもあり、自由に会話もできるので当時ほどではないと言われており、思いがけず戦争の恐ろしさを改めて思い知らされました。“新しい生活様式”の中でも、新年らしい清々しい気分を味わいたいものです。

  新しい年を迎える時によく読んでいた本が『みるなのくら』でした。親になり子育て中に買い求めた絵本でしたが、子どもの頃に読んでもらっていたお話と少し違っていました。子どもの頃に読んでもらっていた本は、座敷が十三あり十三番目の座敷を見てはいけないというものでした。他に四番目の倉を開けてはいけないという本もありました。どちらも、なぜかとても好きなお話でしたが印象が違いました。幼い頃、母に「十三番目と四番目のお話はどう違うのか」と聞いたことがありました。どちらのお話も結末は、『みるなのくら』と同じでした。母は「最後も同じなので、どちらも同じお話」と答えましたが、幼い私はとても不思議な気持ちになりました。

みるなのくら
みるなのくら

 今になれば、全体を貫く基本的な概念は同じなので、座敷や倉の数の違いは大きな問題ではないと思えます。しかし、四つの倉だとすぐに終わってしまうので、私は十三番目まであるお話の方が好きでした。次はどんなお座敷だろうとわくわくしたことを今でも覚えています。初めて読んでもらった時に十三番目の襖を開けた場面で、とても驚いたことも覚えています。無邪気に十三番目の座敷に期待していたので、時が止まってしまい茫然自失、虚無感にとらわれました。結末がわかった後でも何度も読んでもらいました。何度も読んでもらっていると、この若者はなぜ見てはいけないと言われているものを見てしまったのだろうと思うようになりました。そして、最後の襖を開けなければ、何度でも他の座敷を見て楽しめていたのにと思いました。年齢を重ねると、この若者を愚かだと感じたり、責めたりする感情も芽生えました。さらに成長すると、今度はこんな人って身近にもいると思うようになりました。大人になり子どもに読んだ時は、久しぶりでとても懐かしく思ったと同時に、この若者に対して同情するような気持ちになり、側にいたら慰めたくなるようなそんな感情にもなりました。

 絵本はとても不思議です。読む時の年齢や感情によって同じ本でも感じ方が違います。そして社会状況の変化によっても感じ方が違います。さて、10年後に読んだ時、どう感じるのか。自粛生活は大変だったけど、今は幸せだよねといえる世の中であってほしいと願います。
(ますたに・ゆうこ)

『みるなのくら』(おざわとしお/再話、赤羽末吉/画、福音館書店)

子ども歳時記133 百年先の世界へ……いま大切なこと(池田 加津子)

i池田 加津子

  2020年、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、国内でも世界でも人の移動や会合などが制限されるなど、私たちの生活に従来とは違う大きな変化が見られる様になりました。その中でも、自然の営みは変わることなく静かに着実に進んでいます。気がつけば、立冬を過ぎ、冬のはじまりです。今年もあと二ヶ月ほど。一年のなんと短いこと……。では、たとえば百年先の世界。想像したこと、ありますか。

 「歴史はくりかえす」あるいは「歴史は韻をふむ」と言われます。過去の歴史である二十世紀という百年間の身の回りの出来事を通じて、「自分」史をベースに、社会・人間生活の事象や自然との関わりを語る絵本をご紹介します。『百年の家』(講談社)です。その「自分」とは、一軒の古い家です。1656年、この家はつくられました。たまたまですが、ペストが大流行した年だったそうです。長い年月が経つうちに人の住まない廃屋になっていました。《この丘を襲った、災厄と山火事の年月。廃屋のわたしを見守っていたのは、めぐる季節だけだ。》古い家の声が聞こえてくるようです。

 1901年に補修されて再び人の住む家となり、それから百年にわたるこの家の歴史がはじまりました。ページをめくると、定点観察・同じ構図が活用され、絵だけでも充分に歴史をたどることができます。そこに住む一人ひとりの人間模様、時代により変化する生活状況、森の中にたたずむ家の周りの草地や畑、木。季節や時代によりさまざまな色を見せる緻密な風景に引き込まれます。

J.パトリック・ルイス/作、ロベルト・インノチェンティ/絵、長田弘/訳、講談社

 戦場から離れた山深いこの場所にも、否応なく二度の戦争は影を落とします。表紙、裏表紙にこの部分が使われていて悲しみが伝わってきます。戦後の復興、そして時代の変化を受け入れたこの家はどんな気持ちだったのか。《けれども、つねに、わたしは、わが身に感じている。なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と。》1999年、この家の最後のつぶやきです。

 ふと『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートン/文・絵、石井桃子/訳、岩波書店)を思い出しました。「いなか」の自然豊かな静かな所にあったちいさいおうちが、時代とともに「まち」になってしまった場所を離れ、再び自然豊かな「いなか」へと引っ越し、静かに生活をおくるお話。この二つの家は、現代社会に警鐘を鳴らしているのだと思います。私たちは、風の匂い、光の眩しさ、そして、木々の葉の揺らぎなど、自然の姿をいつも感じ、意識しているでしょうか。

 百年先の世界へ……いま大切なこと。戦争のない社会、そして、生活で自然を感じること。自然のいい匂いに触れる体験のできる世界が続きますように。

(いけだ・かずこ)

子ども歳時記132 さぁ、皆さんも、あの決め台詞をご一緒に!(大久保 広子)

大久保 広子
大久保 広子

 新型コロナウイルスの脅威は依然衰えず、皆さまも感染予防に気をつかう日々をお過ごしのことと思います。

とまとさんがね
とまとさんがね

 特に、食育には力を入れていて、毎月、趣向を凝らした主食&副食メニューが登場します。その中でも「子どもと一緒に味わう日」は、美味しさも楽しさも格別です。園庭で育てた野菜や果物を収穫してじっくり観察。触れたり匂いを嗅いだり、つぶしたり、切ったり、ゆでたり、焼いたり……と、その時々の旬の食材をいただくひと時です。私も企業内保育園の施設長として時々行事にお邪魔するのですが、子どもたちが食材を楽しむ過程の中で、「読んで読んで」と、持ってくる本があります。それは、とよたかずひこさんの「おいしいともだちシリーズ」(童心社)です。

 プチトマト、いちごの収穫時には『とまとさんがね・・』 『いちごさんがね・・』、焼き芋大会には『おいもさんがね・・』、節分には『なっとうさんがね・・』、凍り豆腐スープの時には『とうふさんがね・・』、おにぎりを握ってみようの会では『おにぎりくんがね・・』、新年会のおもちつきでは『おもちさんがね・・』と、子どもたちはあの(・・)ページ(・・・)がくるのを、身体をゆすりながら、手をぎゅっと握りながら、待って待って待って……。ページがめくられ……。あの(・・)ページ(・・・)になると同時に”どっかーん“という効果音が聞こえそうなほど大きな声で(まだお話ができない0歳児さんは一生懸命手を伸ばして)あの(・・)決め台詞を楽しむのです。「しんぱいごむよう!」

 これぞ、まさに心身をはぐくむ絵本。毎回、音が聞こえるのではないかというほど、私の身体中の細胞も活性化しているように感じる幸せなひと時です。

 コロナ禍であっても、園庭の花は美しく咲き、野菜たちはぐんぐんと大きくなり、蜂はやってきて、ダンゴムシも這いまわっています。私たち大人も、命を守るための策を講じつつも必要以上に縮こまることなく、のびやかに軽やかに過ごしたいものですね。

(おおくぼ・ひろこ)