我が家の子育ては・・ vol.6 図書館は天国

我が家の子育ては・・・

~絵本フォーラム第130号(2020年05.10)より~ 第6回

図書室は天国1

 3人の子どもの中で、1番年下のちーくんとは、1番たくさん絵本を読んだと思います。幼稚園年長の頃のお気に入りは『ねえ、どれがいい?』(ジョン・バーニンガム/さく、まつかわ まゆみ/やく、評論社)。たくさんの楽しい(むずかしい?)質問の中から、どれがいいか選ぶ絵本で、選ぶ答えはいつも同じなのに、わたしたちは毎回夢中になって読みました。
 小学生になったちーくんは、家の中で本を読むよりも、外で遊ぶ方が好きな子でした。仲良しのお友達ができ、学校から帰って来るとランドセルを玄関に置いて、外へ飛び出して行きました。

 子どもが本好きでなくても、わたしはかまわないと思っていました。自分は本が好きですが、子どもには無理にすすめないと決めていました。子どもの頃、わたしの読む本はとてもかたよっていて、学校の勉強も国語は好きだけれど、算数や理科は苦手でした。心配した父が科学のお話の本を買ってきたのですが、わたしは全く興味がもてず、ほとんど読まないで本箱の中に置きっぱなしにしました。父は何も言いませんでしたが、読んでいないと知っていたでしょう。あの本のことを思い出すと、今でも苦い気持ちになるのです。自分のことを考えても、本を読んでいれば立派な人になる訳ではないと思うので、子どもは無理に本を読まなくてもいいと思っていました。ただ、大きくなって悩んだり壁にぶつかった時、本が救ってくれることもあることを、覚えていてほしいと思っていました。

 3年生になった秋の始め、遊んで帰って来たちーくんの顔が曇っていました。それから数日後、夜寝る時になってちーくんは突然激しく泣き出しました。「学校に行きたくない、もう友達と遊びたくない!」

 いちばん仲良しのはずのお友達が、少し前から叩いたり、けとばしたり、大声をだしたりするようになった。理由はわからない。この何日か、がまんできないくらい苦しかった。もうどうしたらいいかわからない……。

 翌日、担任の先生に相談すると、そのお友達とちーくんはとにかく仲がよくて、学校でもずうっとくっついているので、仲がよすぎて度を越してしまったのではないか、というお話でした。お友達に悪気はないようでしたが、ちーくんはもう不信感をもってしまっていました。そのお友達だけではなく、クラスの誰とも話したくない、1人でいたい、と言いました。学校には行きたいけれど、休み時間にお友達と遊ぶのがいやだとまで言うのでした。それなら、休み時間は保健室や図書室で過ごしたら? とわたしは言ってみました。次の日登校したちーくんは、休み時間は図書室へ行ったようです。帰って来ると「図書室って天国だよ! とっても静かで、おもしろい本や読みたい本がいっぱいあるの!」と笑顔でした。

図書室は天国2

 それからも、ちーくんは毎日図書室へ行きランドセルに新しく借りた本を入れて帰って来ました。そのうちに、お友達ともだんだん遊べるようになりました。お互いにいい距離をとれるようになったのです。今ではすっかり前のように、学校から帰って来るとランドセルをおいて飛び出して行きます。図書室には行っているようで、学期末には、貸し出しカードがいっぱいになって表彰されたよと、嬉しそうでした。ちーくんのつらかった時期、図書室で過ごす事が救いになったとしたら、本好きの母としてはとても嬉しいことです。

 子育てをして18年、絵本やお話に出て来るような〝いつも優しくてどんな時も笑顔で子どもたちをあたたかく見守っているお母さん〟になるのはとても難しいことがよくわかりました。子どもは小さくても、それぞれに好きなこと、やりたいことがあって、それはわたしの予想を超えていました。人間はみんな違う事ことがよくわかり、だからこそおもしろくて楽しいと思うようになりました。わたしは子どもたちが望む場所にたどりつけるように、これからも応援して見守るしかないのだと思っています。
(たさき・きょうこ)

我が家の子育ては・・ vol.5 ちーくんに絵本読んだら

我が家の子育ては・・・

~絵本フォーラム第129号(2020年03.10)より~ 第5回

ちーくんに絵本を読んだら1
ちーくんに絵本読んだら1

 わたしの3人目の子は、男の子です。ここでは〝ちーくん〟と呼ぶことにします。

 ちーくんが生まれてくるとわかった時、わたしは心に決めた事があります。とにかく3人の子育てを、思いっきり楽しもう! 少しくらい家がちらかっても、子育てが思うようにいかなくても、小さい事は気にしない。家族がみんな元気で、笑って毎日を過ごせる事を、いちばん大切にしようと思いました。

 ちーくんが生まれた時、お姉ちゃんは小学校2年生、お兄ちゃんは幼稚園年長でした。2人とも新しい弟が来たことを、とても喜んでくれました。学校や幼稚園から帰って来ると、いちばんにちーくんのところにかけつけて、おしゃべりしたり、おもちゃで遊んだり、そばを離れませんでした。とてもにぎやかだったのが、静かになったので見に行くと、眠ったちーくんを囲んで、じいっと見つめている事もありました。

 子どもが3人になり、わたしは今まで以上に、子ども達に絵本を読むようになりました。ただ、お姉ちゃんとお兄ちゃんに読む事が多く、赤ちゃんのちーくんだけに読む事は、あまりなかったように思います。

ちーくんに絵本を読んだら2
ちーくんに絵本読んだら2

 その頃、絵本は夜寝る前に読んでいました。ある夜、みんなで布団に入るとお姉ちゃんが 「ちーくん絵本読んであげる!」と言いました。お姉ちゃんはボードブックの『はらぺこあおむし』(エリック・カール/さく、もりひさし/やく、偕成社)を、楽しそうに読みました。ちーくんはお姉ちゃんの顔と絵本を見ながら、とても嬉しそうでした。お姉ちゃんが笑うと ちーくんも声をあげていっしょに笑いました。この時ちーくんは2か月でした。言葉の意味もまだわからない小さな赤ちゃんが、こんなに絵本を楽しんでいる事に、わたしはショックを受けました。そして読んでいるお姉ちゃんの方は、「ちーくんに絵本がわかるかな?」などと、まるで思っていないのです。ただ、自分が好きな絵本を、大好きな弟に読んでやりたい、それだけの気持ちなのでした。

 わたしは今までこんなふうに、子どもに絵本を読んだ事があったでしょうか? 心のどこかで、「この子にわかるのかな?」と思ったり、子どもがちゃんと聞いているのか、気になったり……。絵本を読んだら、賢くなるかも、本好きの子になるかも! とさえ思っていたのでした。わたしは自分が恥ずかしくなりました。

『しろくまちゃんのホットケーキ』(わかやまけん/作、こぐま社)は、ちーくんが2〜4歳頃、いちばんのお気に入りでした。夜、絵本を読む時間になり、「今日は何を読もうか」と言うと、ちーくんはいつもこの本を持ってきました。毎日毎日、何回読んだかわかりません。何回読んでもちーくんは飽きずに、いつも目を大きくして聞いていました。

 そのうちにちーくんは、絵本を全部覚えてしまいました。まだ字を読めないのに、ページをめくりながら、1字1句間違えずに、まるで読んでいるようにお話するのです。そしてその言い方は、わたしの読み方そっくりでした。

 ちーくんは毎日わたしが読むのを、どれほど一生懸命に聞いていたのでしょう。時にはわたしは疲れていて、いい加減に読んだり、全く心のこもらない読み方をしたりした日もあったのでした。そんな時でも、心と体全部で聞いていたのだと、わたしは嬉しい気持ちを通り越して、申し訳ないような気持ちになりました。

 わたし達大人が思うよりも、子どもにとって、お母さんやお家の人が絵本を読んでくれるのは、嬉しい事なのかもしれません。きっとむずかしい事は何もいらないのです。いつもそばにいてくれる人の声に包まれるだけで、子どもは幸せを感じているのではないでしょうか。体をくっつけて絵本を読んでいた時の、子どもの体温を思い出しながら、今わたしはそんなふうに思うのです。
(たさき・きょうこ)

我が家の子育ては・・ vol.4 胸がつまる絵本

我が家の子育ては・・・

~絵本フォーラム第128号(2020年01.10)より~ 第4回

胸がつまる絵本

 小学校4年生の時、息子は「人間は、死んだらどうなるの?」と聞いてきました。3人の子どもの中では、一番死や戦争といったことに敏感な子どもだったと思います。よく『戦争で死んだ兵士のこと』(小泉𠮷宏/作、ベネッセ)を読んでいました。この絵本は、戦争で死んだ若い兵士の人生が、1ページずつさかのぼって描かれています。線で描かれた小さな絵に、少ない言葉が添えられています。読みやすそうに見えるのですが、読んでみると、胸に迫ってくるものがあり、わたしには読書する息子の背中に、兵士の姿が重なって見えました。 中学生になる日が近づき、わたしは、この子は中学校でやっていけるだろうか……と心配していました。制服の採寸の時、試着した中学校の制服が、息子には全く似合いませんでした。ぶかぶかの制服を着て、息子は不安そうな表情を浮かべていました。

胸がつまる絵本2

 中学生になると、息子は野球部に入りました。練習はとても厳しく、最初は辛そうでしたが、続けるうちに、がんばれば何かしらの成果が得られることを体感したようでした。息子がどんどん野球に熱中していくのがわかりました。初めて試合を見たのは3年生になったばかりの春の大会で、息子は三塁手で出ていました。息子は誰よりも大きな声を出して、一球一球を真剣に追いかけていました。どれだけ野球を一生懸命やっているか、初めてわかりました。

 受験する高校を決める時期になり、息子はあちこち見学に行き、希望の学校を見つけて来ました。どうしてもその野球部に入りたいと言うのですが、そこはわたしが聞いたことのない、家から片道1時間半ほどかかる学校でした。正直なところ、わたしには野球部はどこも同じに思えましたし、朝の弱い息子が通いきれるとは思えませんでした。わたしは家から近い高校を勧めました。息子は、どうしてもその野球部でやりたいと考えを変えず、わたしたちは 毎日のように話し合いをしました。ある時「じゃあお母さんは、自分のやりたいことがある学校が遠かったら行かないの?」と聞かれ、わたしは自分もどんなに遠くても、やりたいことのある学校に行くな、と思ったのです。どの道に進んだら正解なのか、わたしが勧める学校に行ったら、息子は必ず幸せになれるのでしょうか。どの場所に行っても、幸せになれるかどうかは、本人の生きる力にかかっているのではないかと思います。わたしは息子に生きる力があるように願うことしかできないのだと思いました。

 息子は希望の高校を受験し、合格しました。制服を作りに行き、試着した憧れの学校の制服は、とても似合っていました。嬉しそうにそっと袖をなでたり、鏡をのぞいたりしている息子にわたしは「よかったね」と心の中で声をかけました。

 入学して野球部に入り、1週間ほどたったある日、家で息子とたわいもない話をしている時、わたしは何かがいつもとちがうと感じました。何だろう? わたしは息子と対等に話をしていたのでした。それまでは、わたしはお母さんだから、いつも上から物を言ったり聞いたりしていたのです。それがこの時初めて、一人の人間として対等に向き合っている自分に気がつきました。もちろんまだまだ一人前にはほど遠い子どもです。でも自分で決めた道で、これから頑張ろうとしている息子を、わたしは無意識のうちに認めたのかもしれません。

  『戦争で死んだ兵士のこと』は、今でもリビングの本箱に入っています。その前を通り、題名がちらっと目に入るたびに、胸がきゅうっとつまるのです。こんなことがありませんように。世界中のどこでも、こんな思いをすることがありませんように……。この本を見るたびに、心の中で祈っています。
(たさき・きょうこ)

我が家の子育ては・・ vol.3 自分もいたかった

~絵本フォーラム第127号(2019年11.10)より~ 第3回

 娘が生まれてから2年ほどして、 今度は男の子が生まれました。この子が生まれてから、娘が幼稚園に入るまでの2年くらいの問、どんなふうに過ごしていたのか、今わたしはほとんど思い出せません。その頃の世の中の出来事や流行っていたものもわかりません。 毎日目の前の事でいっぱいで、まわりを見る余裕など全くなかったのだと思います。

 息子は2歳くらいになると、だんだん手におえなくなってきました。自分のやりたい事は熱中してやるけれど、やりた<ない事は何があっても絶対にやらない子でした。一度怒り出すとすと、何時問でも大声で泣くので、毎日が嵐の中にいるようでした。小学校に入ると、宿題をやらないで夜遅くまで遊んでいるので、朝起きられません。宿題をやっていないから学校へ行きたくないと言って、毎朝のように叱られて家を出るのです。後ろ姿を見送りながら、いつか笑って送り出せる日は来るのかと、悲しい気持ちでいっぱいでした。

 わたしはなんとかして、この子の心をつかみたいと思いました。 この子の好きな事は何だろう、夢中になれる事は何だろうと、毎日考えていました。 ある時、父親がプロ野球の球場に連れて行くと、息子は喜んで、父親とキヤッチボールのような事を始めました。わたしは、この子は野球が好きなのかも!と思い、『ホームランを打ったことのな
{い君に』(長谷川 集平/作、 理論社)を読んでみました。この本は野球少年のるいくんか主人公のお話です。るいくんは試合で打てなかった日、知り合いの仙ちやんに偶然会います。 仙ちやんは高校の野球部でレギュラーだった人。 仙ちやんは、るいくんにアドバイスをくれて、自分もまだホー ムランを打ったことがないけれど、あきらめていないと話しました……。

 文章も多く、内容も息子には難しいかなと思ったのですが。これを読んだ後、 息子は絵本をつくりました。タイトルは 『じぶんもいたかった』。どこかの野球チームが優勝して胴上げをするけれど、そこに自分 (息子) は試合に出ていないから参加できない。自分もその場にいたかった、という内容の絵本でした。あり合わせの紙に鉛筆で描いてホチキスでとめただけの簡単なものでしたが、そういうものをつくった事がうれしくてうれしくて少し泣きました。

 息子は長谷川集平さんの絵本を好きになり、わたしたちは次々に読んでいきました。子どもと読むことで、絵本の世界により深く入っていくことができ、改めて絵本のおもしろさを知りました。

 2011年3月11日、地震がきた日、小学校は早帰りで、子どもたちは家の前で遊んでいて無事でした。わたしたちの住んでいる地域は、大きな被害はありませんでしたが、計画 停電があったり、スーパーから品物がなくなったりして、地震の影響は感じられました。毎日子どもたちと、地震のニュースを見て、いろいろな話をしました。

 春休みがきて4月になり、新学期が始まりました。1週問はどたって、わたしは息子が朝叱られずに、学校へ行くようになったことに気がつきました。 どうしてだろう?

 地震があって、息子なりに何か考えたんだろうか? 本当のところはわかりません。そしてその頃から、息子は少しずつ落ち着いていきました。

 今でも時々、あの嵐のようだった日々を思い出しまず。叱ってばかりだったけど、絵本を読むと、目を丸くしてじっと聞いている息子の姿に、わたしは 「大丈夫、この子はきっと大丈夫」と、自分を励ましていたのでした。わたしはその小きな光を見失わないようにして、なんとかやってこれたのだと思いまず。 もし絵本を読んでいなかったら……。大きな違いはなかったのかもしれません。でも絵本を読む事が、わたしの子育てを支えてくれたのは、問達いないのです。

(たさき・きようこ)

我が家の子育ては・・ vol.2 ドールハウスの好きな女の子

~絵本フォーラム第126号(2019年09.10)より~ 第2回

娘が小さい時になりたかった職業はパティシエです。外で遊ぶのも好きでしたが、絵を描いたり本を読んだり、折り紙をするのが好きな女の子になりました。特にドールハウスが大好きで、少しずつお人形や家具を集めて、夢中になって遊びました。小さな洋服を縫ったり、紙粘土でご馳走を作ったり、わたしも自分が小さかった時を思い出して、娘と一緒に楽しみました。

小学生になると、わたしが子どもの頃読んでいた本を、娘も読むようになりました。 リンドグレーンの『やかまし村』シリーズ(大塚 勇三 /訳、岩波書店)、C・S・ルイスの『ナルニア国ものがたり』シリーズ(瀬田 貞二/訳、岩波書店)、E・B・ホワイトの『シャーロットのおくりもの』(さくま ゆみこ/訳、あすなろ書房)、ルーマー・ゴッテンの『人形の家』(瀬田 貞二/訳、岩波書店)、他にもロアルト・ダールやケストナーなど……。2人で感想を言い合い、本の話をするのは、娘の成長も感じられて、とても楽しい時間でした。

小学6年生の秋の終わり、娘は突然、野球がやりたいと言ってきました。テレビでプロ野球の特集番組を見ていて、興味を持ったようなのです。でも、その時期ではもうどこのチームにも入れません。話し合って、中学校では運動部に入って体を鍛えておき、高校は女子野球部のある学校を探して受験しよう、ということで娘も納得しました。

ところが中学に入学してすぐ、娘は学校から帰って来ると、「野球部に女子も入れるって先生に聞いたから、入りたい!」と言うのです。顧問の先生にお話を伺うと、先生はとても温かく迎えてくださるのがわかりました。でも、わたしと夫は反対しました。その時の野球部に女子はいませんでしたし、何より娘は野球初心者です。体格も体力も違う男子の中に入って、厳しい野球部の練習に耐えられるとはとても思えませんでした。娘は泣いて、どうしても野球がやりたいんだと言いました。夫は大反対で、わたしは2人の間で板挟みになってしまいました。

何日かその状態が続き、娘の気持ちを考えているうちに、わたしは気がつきました。わたしが楽しいと思うことを、娘も楽しいと思う時期はもう終わったんだ。いつも一緒にいて、わたしから離れると泣いていた小さかった時の娘の姿が浮かびました。でも今、娘はわたしから離れて、1人で新しい場所へ、前を向いて歩いて行こうとしているのです。

その時から、わたしは娘を応援しようと決めました。娘は野球部に入り、3年間を過ごしました。高校は、女子野球部のある学校は通える範囲にはなく、諦めて近くの学校に進学しました。ところがそこでも野球部に入り、また男子の中で最後までやり通しました。どれほど大変だったか、わたしには想像することしかできません。毎日のように娘は、部活での出来事を話してくれましたが、きっとわたしには言えないようなこともたくさんあったでしょう。6年間野球を続けたことが、娘にとってよかったのかどうかわかりません。どうかこの経験が、これからの人生に生かされますように、と願うだけです。

この連載を書くことになり、娘に「小さい時好きだった絵本はなあに?」と聞いてみました。娘が答えた絵本は『スモールさんはおとうさん』(ロイス・レンスキー /ぶん・え、わたなべ しげお/やく、福音館書店)でした。「本当に本当に大好きだったの!」と娘は嬉しそうに笑って言いました。わたしは、娘がこの絵本をそんなに好きだったとは、知りませんでした。

『スモールさんはおとうさん』は、スモールさん一家の日常の1週間を、白と青と黒だけのシンプルだけど楽しい絵で描かれた絵本です。

あらためて読んでみると、スモールさんの家族や家が、娘が小さい時遊んでいたドールハウスにとても似ているなと思ったのでした。
(たさき・きょうこ)

我が家の子育ては・・ vol.1 がたんごとんの小さな部屋

~絵本フォーラム第125号(2019年07.10)より~ 第1回

これから、わたしと3人の子どもたちの話をさせていただくことになりました。

わたしの子どもは、高校3年生・女の子、高校1年生・男の子、小学4年生・男の子です。娘は今17歳になりましたので、わたしは17年間〝お母さん〝をやっていることになります。17年の間のささやかな話ですが、どうぞお付き合いくださいね。

わたしは小さい時から本を読むのが大好きで、物語の中に住んでいるような子どもでした。絵本やお話の中に出てくる〝お母さん〝は、みんなとても優しくて、忙しくても料理や縫い物を楽しそうにこなし、どんな時も子どもたちを笑顔であたたかく見守っていました。わたしもいつかこんな〝お母さん〝になりたいと思っていました。

大人になり結婚をして、子どもが産まれることになりました。長女が産まれたのは寒い冬の日で、夜中の12時頃から陣痛が始まって、3時間ほどで出産しました。その時から、わたしの眠れない日々が始まったのです。

それまで自分のやりたいことをやって、自分のためだけに生きてきたようなわたしが、突然、24時間子どものためだけに生きることになったのです。また娘は赤ちゃんの時は、全然寝ない、とても手のかかる子でした。おっぱいを飲んで、うとうとしたところを、そっと布団におろすと、目を覚まして、ぎゃ~! と泣きます。また抱っこして、オムツを見て、おっぱいを飲ませて抱っこして、寝たところをそっと布団におろすと、ぎゃ~!……。1日中その繰り返しでした。

その頃の夫は仕事で帰りが遅く、わたしの両親は遠くに住んでいて、夫の母はフルタイムで仕事をしていました。わたしは朝夫を送り出すと、1日中子どもと2人きりでした。

思い出すのは、友だちが遊びに来てくれた日のことです。友だちがいる間はとても楽しいのですが、夕方になると当たり前ですが、みんな帰ってしまいます。「またこの子と2人きりになってしまった……」。暗くなり始めた小さなアパートの部屋で、呆然としていた自分を思いだします。思い描いていた〝お母さん〝の姿など、どこかへ飛んでいってしまいました。

そんなふうでしたので、絵本を読む余裕はなかなかありませんでした。最初に娘に絵本を読んだのは、2ヶ月になってからでした。初めて読んだのは、『ちいさな うさこちゃん』(ディック・ブルーナ/ぶん・え、石井桃子/やく、福音館書店)です。その日娘は珍しく布団の上で機嫌よくしていました。わたしは久しぶりにほっとして、何をしようかと思いました。お皿洗いや掃除など、やることはたくさんありました。でもわたしはとても疲れていたので、娘の布団に一緒に横になって『うさこちゃん』を読みました。その後、市のブックスタートでもらった『がたん ごとん がたん ごとん』(安西水丸/さく、 福音館書店)もよく読みました。この2冊を読んだ時の、娘の反応が、赤ちゃんも絵本を楽しんでいるのだと、わたしに実感させてくれました。

1歳になり、娘はよちよち歩きを始めました。その頃住んでいたアパートは線路のすぐ横でした。ある日、電車が通った時わたしは何気なく、「がたんごとん がたんごとん」と言いました。するとこちらを見た娘が、よちよちとおもちゃ箱の中にあった『がたん ごとん がたん ごとん』の絵本を持って来ました。わたしは続けて「おおきなにわのまんなかに かわいいいえがありました」と言ってみました。すると娘は『ちいさな うさこちゃん』を持って来ました! その時の娘の「これでしょう?」、と言っているような小さな丸い目を、今でも覚えています。そんなふうに少しずつ、娘は泣いてばかりの生きものではなく、絵本を一緒に楽しめる心通う存在になっていったのだと思います。
(たさき・きょうこ)