我が家の子育ては・・ vol.3 自分もいたかった

~絵本フォーラム第127号(2019年11.10)より~ 第3回

 娘が生まれてから2年ほどして、 今度は男の子が生まれました。この子が生まれてから、娘が幼稚園に入るまでの2年くらいの問、どんなふうに過ごしていたのか、今わたしはほとんど思い出せません。その頃の世の中の出来事や流行っていたものもわかりません。 毎日目の前の事でいっぱいで、まわりを見る余裕など全くなかったのだと思います。

 息子は2歳くらいになると、だんだん手におえなくなってきました。自分のやりたい事は熱中してやるけれど、やりた<ない事は何があっても絶対にやらない子でした。一度怒り出すとすと、何時問でも大声で泣くので、毎日が嵐の中にいるようでした。小学校に入ると、宿題をやらないで夜遅くまで遊んでいるので、朝起きられません。宿題をやっていないから学校へ行きたくないと言って、毎朝のように叱られて家を出るのです。後ろ姿を見送りながら、いつか笑って送り出せる日は来るのかと、悲しい気持ちでいっぱいでした。

 わたしはなんとかして、この子の心をつかみたいと思いました。 この子の好きな事は何だろう、夢中になれる事は何だろうと、毎日考えていました。 ある時、父親がプロ野球の球場に連れて行くと、息子は喜んで、父親とキヤッチボールのような事を始めました。わたしは、この子は野球が好きなのかも!と思い、『ホームランを打ったことのな
{い君に』(長谷川 集平/作、 理論社)を読んでみました。この本は野球少年のるいくんか主人公のお話です。るいくんは試合で打てなかった日、知り合いの仙ちやんに偶然会います。 仙ちやんは高校の野球部でレギュラーだった人。 仙ちやんは、るいくんにアドバイスをくれて、自分もまだホー ムランを打ったことがないけれど、あきらめていないと話しました……。

 文章も多く、内容も息子には難しいかなと思ったのですが。これを読んだ後、 息子は絵本をつくりました。タイトルは 『じぶんもいたかった』。どこかの野球チームが優勝して胴上げをするけれど、そこに自分 (息子) は試合に出ていないから参加できない。自分もその場にいたかった、という内容の絵本でした。あり合わせの紙に鉛筆で描いてホチキスでとめただけの簡単なものでしたが、そういうものをつくった事がうれしくてうれしくて少し泣きました。

 息子は長谷川集平さんの絵本を好きになり、わたしたちは次々に読んでいきました。子どもと読むことで、絵本の世界により深く入っていくことができ、改めて絵本のおもしろさを知りました。

 2011年3月11日、地震がきた日、小学校は早帰りで、子どもたちは家の前で遊んでいて無事でした。わたしたちの住んでいる地域は、大きな被害はありませんでしたが、計画 停電があったり、スーパーから品物がなくなったりして、地震の影響は感じられました。毎日子どもたちと、地震のニュースを見て、いろいろな話をしました。

 春休みがきて4月になり、新学期が始まりました。1週問はどたって、わたしは息子が朝叱られずに、学校へ行くようになったことに気がつきました。 どうしてだろう?

 地震があって、息子なりに何か考えたんだろうか? 本当のところはわかりません。そしてその頃から、息子は少しずつ落ち着いていきました。

 今でも時々、あの嵐のようだった日々を思い出しまず。叱ってばかりだったけど、絵本を読むと、目を丸くしてじっと聞いている息子の姿に、わたしは 「大丈夫、この子はきっと大丈夫」と、自分を励ましていたのでした。わたしはその小きな光を見失わないようにして、なんとかやってこれたのだと思いまず。 もし絵本を読んでいなかったら……。大きな違いはなかったのかもしれません。でも絵本を読む事が、わたしの子育てを支えてくれたのは、問達いないのです。

(たさき・きようこ)