連載 ジェリーの日本見聞録11 「出来ない事」からスタートして

母は「私は政治家のやっている事が分からないの」、と昔からよく口にします。

 母は「私は政治家のやっている事が分からないの」、と昔からよく口にします。皆さんにも、自分には分からないとか、出来ない事があると思います。私の「出来ない事」のトップ3。3位は実家で牧場を経営している影響でホルモンを食べられない事。2位は計算が早く出来ない事(考えるだけで意識が飛んじゃう)。1位は自転車に乗れない事。

 自分の出来る事よりも、自分が出来ない事の方が大人になるほどインパクトが強くなる気がします。自分の場合、数字や計算の話が始まると、『マーティン城』の門を閉めて、鍵をかけて、かたくなに身を伏せる状態になります。

 自分が出来ない状況に陥ると「(ホルモンは)美味しいですよ」と言われても、(嘘でも)「お腹がいっぱいです」と返事をしますし、「自転車ならすぐ行けるよ」って言われても、(いくら遠くても)「歩くのは好きですから」と自動的に嘘の返事が出てきます。これは私だけではなく、皆さんにもそういうところがあると思います。

 「私には政治の事が分からないので、アメリカの事はもっと詳しい人たちにお任せしてきた」と母は言います。

 私も母と同じようにそうしてきました。自営業になってから、税金の事は税理士におまかせしています。これはよくあるパターンだと思います。

 記憶の中では嬉しい事はたくさんあるのに、トラウマや失敗した事はいつも記憶の表面の一番近いところにあると思います。アメリカの哲学者、 サンタヤーナの言葉「Those who cannot remember the past are condemned to repeat it: 過去を記憶できないものは、その過去を繰り返す運命を背負っている」はこの事からくると思います。

 「他人任せにしてきたばかりに、今アメリカはこんな国になってしまった。今のアメリカは怖い。自分ももっと何かすれば良かった……」と母の口からこのような言葉が出た時には、ぞっとしました。それと同時に、私の人生においても同じ事が当てはまるのではないかと考えさせられました。これまでに何か自分でも出来た事があるかもしれないのに、「自分が出来ないから」と無視してきた事をあらためて感じました。

 私は毎年末にアメリカに帰ります。11月ぐらいからワクワクしはじめます。そのワクワクは家族に会うのが8割、2割は書店に行く事です。新作英語の本が手に入りやすいからです。前回1番気になっていたのは、ミシェル・オバマさんの『Becoming』でした。子どもの頃の話、旦那さんとの出会い、自分の不安や喜びなどギッシリ入っている400ページの作品を4日間で読み終えました。その本の表紙を見て母は「その方とその家族は素敵だった。ずっとあの家族がアメリカの顔でいて欲しかった。私は政治家のやっている事が分からないの。私には分からないので、この国のことはもっと詳しい人たちにお任せしている。けどね、そればかりして今アメリカはこんな国になっている。今のアメリカは怖い。自分はもっと何かすれば良かったな」と言いました。

 そこから私たちの会話がスタートしました。いつも早く寝る母なのに、2人で夜中の2時過ぎまでいろんな事を語り合いました。途中で煖炉の火が弱くなり、温かい飲み物を取ろうとキッチンに行って、ポットのスイッチを入れた時に気づきました。

 私の38年の人生の中で、初めて母と本の話をした事を。いつか「母と本の話をしたい」それは、私が幼い頃から抱いてきた夢でした。お湯はまだ沸いていないのに、気持ちがポカポカになりました。

(ジェリー・マーティン)