子ども歳時記148 想像から始まる『クジラにあいたいときは』/中村 史(ジュリー・フォリアーノ/文、エリン・E・ステッド/絵、金原瑞人/やく、講談社)

『クジラにあいたいときは』

想像から始まる『クジラにあいたいときは』  中村 史

歳時記148
歳時記148

空の色が変わり、緑があふれるこの季節、これから何かが始まりそうな予感に、顔も気持ちも上向きになる。顔を上げれば、視界が広がり、少し遠くのものが見えるようになる。子どもにとっては、大きな変化である。子どもは、読んでもらった絵本や、大人たちの会話、さまざまな場所で目にする映像など全ての情報から、今ここにないものの存在を知っていく。知って、子どもの心がどう動くか、どう足を踏み出すか、その環境に心を配ることが大切だ。

『クジラにあいたいときは』(講談社)は、クジラに会いたいと願う少年の物語である。やわらかな質感の表紙をめくると、静かな語りが始まる。クジラに会いたいときは、窓がいる。窓から見える海もいる。クジラは遠くにいるので、すぐには会えない。待って、眺めて、見つけたものがクジラかどうか考える時間もいる。やがて少年は、部屋から遠い海を眺めるのをやめて、桟橋に立つ。クジラじゃないものを数えながら、クジラじゃないものを見る時間が流れる。待って、待って、待った少年は、ついに小さなボートを得て海にこぎ出すのだ。読み終われば、生きることの美しさが胸に満ちてくる。

子どもが、クジラに会いたいと思うには、まず、クジラの存在を知ならければならない。知ることで心が動き、関心を持つと、そこから願いが生まれる。クジラに会いたいと願う気持ちや、会えるまで待つ時間は、想像することと深く関わっている。希う(こいねがう)という美しい日本語がある。想像することは、希うことではないか。

ジョーン・エイケンの『ナンタケットの夜鳥』(冨山房)には、少年時代に出会った「ピンクの鯨」を追いかけて世界中を航海する船長が出てくる。ピンクの鯨のほうも、昔の友だちである船長が大好きで、近くにきたときには、まるで子犬のようなはしゃぎようである。実は、この物語には、政治的な企みや、遠距離ミサイルを思わせるような新型の大砲が出てくるのだが、ピンクの鯨は、子どもたちの味方になって、島の大人とともに悪巧みをつぶす大役を果たすのである。

いつの時代にも、大切なものを奪われ、日常を脅かされる子どもたちがいる。どんな環境でも、子どもは想像することを知らずに育ってはいけない。ありたい姿を希い、まだ見ぬ人を希い、平和な日々を希う。未来は、いつも想像から始まる。遠くを見ることは、近くを見ること同様、大切なことである。今じゃないかもしれない。この場所じゃないかもしれない。でも、会いたいものには必ず出会えると、暴力と破壊を止める手を尽くすとともに子どもたちに伝えたい。

中村 史
中村 史