飫肥糺 連載136 いつでもどこでも災難あり。大ピンチをどう乗りこえるか。 『大ピンチずかん』  (『大ピンチずかん』 鈴木のりたけ/さく 小学館)

たましいをゆさぶる子どもの本の世界 136    飫肥 糺

いつでもどこでも災難あり。大ピンチをどう乗りこえるか。
『大ピンチずかん』

obi136
obi136

もう20年ちかく前になるだろうか。大ピンチに陥ったことがある。まだ暑かった晩夏のその日、たしか4、5歳だった孫が我が家に一家でやってきた。孫と戯れ遊ぶと時を忘れてしまう。いつのまにか夕刻となった。で、食事は外で摂ろうとみんながいう。行先は車で15分程度の和食レストラン。5人でテーブルを囲み孫ばなしがはずむ。

そのときだ。孫の入浴に因む話題がとびだす。瞬間、背筋が凍りつく。出かける前に孫と風呂に入ろうと浴槽に水を満たしガスに点火したことを思いだしたのだ。家をでてから40分ちかくが経っていた。娘の運転で我が家へいそぐ。出火を半ば覚悟し家に飛びこんだ。間一髪だった。浴室は灰色濃いけむりがいきおいよく沸き立ち、湯水はほとんど蒸発していた。幸運にも発火には至らなかった。あと10分、いや5分もすれば発火していたのではなかったか。大失態だった。命拾いをしたのだった。

思い起こせば、子どものころから今日に至るまでたくさんの大なり小なりの失態をしでかしピンチを招いてきた。そんな事態を高齢の身になるまでよくぞしのいできたなあとつくづく想う。

身体も心もぐんぐんと育つ子どもたちの日常はどうだろう。好奇心や冒険心をみなぎらせ、あるいは感受性も成長して羞恥心や臆病心までうちに潜ませる子どもたちだ。不意に出会い、”何だこれ‼、どうすりゃいいのぉ”と、さしせまった事態にあわてふためくことも、きっとたくさんあるだろう。

絵本『大ピンチずかん』は、自由闊達に行動する少年が直面するピンチの数々をとりあげている。

「ガムを呑みこんだ」「テープのはしがみつからない」「卵かけご飯に醤油をいれすぎた」「バッグのなかで水筒がもれてノートや本がぬれた」「用をたしたけどトイレに紙がない」等々、ピンチの事例をコミカルに紹介して愉快な絵本だ。

こんな大ピンチもある。牛乳をコップにあふれるほどそそぎ、こぼしてしまったピンチ。テーブルにこぼれた牛乳をすすりにかかると頭でグラスをたおして傷口を広げる。自転車を停めたら横にずらりと並ぶ自転車にふれてドミノ倒しに。やっと起こしたとたん、今度はおしりがあたって反対側にふたたびドミノ倒しだ。公園で犬の糞をふんでしまい、床屋で思いのほか髪を短く刈られて気分は深く沈む。

おい、お~い。おじいさんにも、おじさんたちにも、あるある大ピンチではないですか。

これらのピンチの数々をこわがったり、あわてたりせずに、どうしたら切り抜けられるかを、作者は歯切れよく説く。本文下部や裏見返し含めて80事例。評価の尺度はピンチの災難度を100点満点とし作者が独自評価。発生頻度も5段階で表示して読者の期待に応えようとするアイデアいっぱい。

ガムを吞みこんでも「だいじょうぶ。そのうち、うんちといっしょにでてくるぞ」といい、用をたしたあとにトイレに紙がないことに気づいたら、「そんな時は芯を破いて広げて紙がわりにしろ」と説く。「おおまかに拭いたらそのまま歌でも歌ってじっとしていよう。そのうちおしりもかわく」と諭すのだから爆笑ものではないか。今時の子どもたち。誕生日にはともだちが集う。パーティに招かれたらプレゼントは必携だろう。「プレゼントを忘れた」ではすまされない。そんな失敗をしたらどうするか。「家に忘れてしまった。ごめん」と告げて「後日、パーティの記念写真をプレゼントしたら、きっと喜んでもらえる」と勇気づけする気配りも忘れない。

こんな場合はどうか。「どしゃぶりなのに傘がない」、もう手の打ちようがないのかと大ピンチレベルは100点だ。気持ちが暗くふさぎ立ちすくむ少年。だが、ピンチのあとにチャンスありというではないか。『大ピンチずかん』では可憐な少女がそっと近づき、少年に傘をさしかけてくれたではないか。で、作者は「大ピンチなんてこわくない」と結ぶのである。

ピンチに遭遇する少年の困惑した表情や困難に立ち向かうすがたが豊かに描かれるイラスト、軽妙な語り口で運ばれる絵解き風の短いテキスト。図鑑のようではあるが図鑑ではない。愉快にふんわりと語る「ずかん」となり「絵本」となっている。無駄を省いた絵と文の連なりで読後感も爽快だ。

(おび・ただす)

『大ピンチずかん』
鈴木のりたけ/さく
小学館