子ども歳時記147 「タイパ」と『はなを くんくん』/池田加津子(ルース・クラウス/文、マーク・シーモント/絵、きじまはじめ/訳、福音館書店)

 「タイパ」と『はなを くんくん』 池田加津子

どこからともなく沈丁花の香りが漂い季節の移り変わりを感じます。

歳時記147
歳時記147

最近、「タイパ」という言葉が流行語になっているそうです。タイムパフォーマンスの略語です。情報収集の時間当たりの効率との意味です。録画した映画や、学生の場合は講義内容を倍速、3倍速で視聴するなど、若い世代を中心に広く行われていると報道されています。

情報があふれかえり、ともすれば過多ともいえる情報の海の中で押し流されそうになる現代社会。いかに効率的に情報を処理するかが重要課題のひとつになっていることの象徴かもしれません。

これと対極的なのが絵本の世界ではないでしょうか。たとえば、『はなを くんくん』(福音館書店)。雪に埋もれた林で、くま、のねずみ、かたつむりなど、さまざまな動物が眠っています。とつぜん、みんなは目をさまし、はなをくんくんさせながら駆けていきます。ページをめくるたびにどんどん増えていく動物の種類と数が子どもたちの期待を高めます。その先には雪のなかに咲き出した小さな花がひとつ。春の兆しでしょう。その花を囲んで、みんなは笑って踊り出します。その眼差しには嬉しさと喜びがあふれ輝いています。

カラフルな絵本が多いなかで、全編モノトーンで表現されていて、唯一小さな花だけが黄色に色づけされています。文字も本当に簡潔です。「くんくん」という楽しく優しいひびきの擬音語に導かれ、絵を通してあれこれと様々に想像することを読者にうながすようです。はなをくんくんさせながら、です。

眠っている動物たちがはなをくんくんさせて見つけたもの。それはモノトーンの世界に黄色く色づけされた小さな花。私は、この小さな花が本当に価値あるものを示唆しているように感じています。

長田弘さんの「におい」という詩に、こんな言葉があります。

《心のこもったものは、ちゃんとわかる。心のにおいがするから。うそじゃない。よい心は、よいにおいがするんだ。……何も思い出せなくても、匂いはずっと覚えているというのは本当だ。いい匂いをのこすんだ、いい思い出は。》

 現代社会は情報にあふれています。同時に、普段は意識しなくても、自分の中の無意識の世界には、生まれてから今までに見聞きしたこと、喜んだこと、悩んだこと、そして折り合いをつけてきたことなどなど、膨大な知識や感情が含まれています。いわば、自分だけの素晴らしい情報の世界ともいえましょう。

自分の外の社会の情報に対して「はなをくんくん」。それとともに、自分のなかの無意識の世界という膨大な情報に対しても「はなをくんくん」。

『はなを くんくん』の原題は『THE HAPPY DAY』。幸せな日です。あなたの黄色い花を、ゆっくりと見つけてみませんか。

(いけだ・かずこ)

池田加津子
池田加津子