子ども歳時記146 「言葉はだれからもらったか」/大長 咲子/松居直講演録『こども えほん おとな』(松居 直、「絵本で子育て」叢書)

歳時記146
歳時記146

「言葉はだれからもらったか」 大長 咲子

大長咲子
大長咲子

朝、玄関先の掃除をしていると、近所の保育所に登園する人たちの会話が耳に入ってきます。

競い合うようにお父さんに話しかける姉妹。おばあさんと一緒に歌を口ずさみながら歩く男の子。お母さんと手をつなぎながらちょっとしたお小言を聞かされる女の子。交わされる会話は様々ですが、なかでも一番多く聞こえるのは、子どもの「なに?」「なぜ?」に答える大人の言葉です。「あれは、うろこ雲っていうんだよ。お魚のうろこみたいでしょ。〇〇ちゃんはお魚のうろこ見たことあったっけ」「観光っていうのはね、よそに行って色々な物を見たり、珍しいもの食べたりすることだよ」

言葉を尽くして子どもの質問に答えようとする大人と、それを一所懸命に聞き取ろうとする子ども。その見知らぬ親子たちのやりとりは、箒で落ち葉をかき集めながら聞いている私の胸に朝のピンッと冷えた空気とあいまって清々しい風を吹き込んできてくれます。

こうして清められた私の胸にストンと収まってくるのは、昨年の11月に召天された松居直氏がおっしゃった「私は母親から言葉をもらいました」という言葉です。

松居氏は、かつて首相官邸で毎月一回開催されていた「子どもの世界と未来を考える懇談会」に出席されていました。河合隼雄氏が中心となり、学者や実業家、スポーツマンなどが色々なテーマについて話し合う中、ある月に文部次官から「今月は国語教育についての問題提議をしたいと思います」と提案されました。それを受けて松居氏は「国語はやめたらどうですか」と返されたそうです。次官に睨みつけられながら「どうして国語はいけませんか」と問われた松居氏は「私は国から言葉をもらった覚えはありません」と応えます。そして、松居氏は続けます。「私は母親から言葉をもらいました。だから私の日本語は国語ではなく母語です」と。(松居直講演録『こども えほん おとな』より)

また、「母から言葉をもらったということは、命は母からもらい、その器である身体をもらった。そして命を支える日本語というものを親や兄弟、大人の方からいただいたのだということに気がついた」とおっしゃっています。

人が生きていくうえで最も大切な「ことば」を教育ではなく、生活の営みから自然と獲得していくということの尊さを、松居氏は自らの生い立ちと3人のお子さんの子育てから感じ取り、私たちに伝えてくださいました。そして、子どもと過ごす時間がどれだけかけがえのないことかということも。

私に貴重な親子の会話を聞かせてくれた近所の子どもたちも、いつか空に浮かぶうろこ雲を見上げながら、はたまた、どこか遠くの町に旅をしながら、父母にもらった言葉に、そして命に想いをはせるのではないでしょうか。

(だいちょう・さきこ)