飫肥糺 連載134 バーニンガムが、人間一生の冷徹な理をふうわりと描いた 『おじいちゃん』(ジョン・バーニンガム/さく たにかわしゅんたろう/やく ほるぷ出販)

obi134 おじいちゃん
obi134 おじいちゃん

少子化は加速する。2021年に誕生した日本の子どもは前年から5万人も減って81万1604人、統計資料のある1899年以降でもっとも少ない出生数だ。簡易生命表によると平均寿命は長寿社会をほこるわが国にあって男子81.47歳、女子87.57歳と推計される。これからの永い人生を、かれらはどのように生きぬいてゆくのだろうか。平均寿命は0歳児の生存年数の推計だが、簡易推計表はある年齢の人がこの後何年生きられるかという平均余命も推計する。

ぼくの場合、首を傾げるのだが10年もまだ生きるという。実際、喜寿を超えて寄る年波を感じる最近である。加齢の波は容赦ない。目、耳、足、腰とそれぞれの能力を削ぐ。もちろん記憶力もあやしい。好奇心だけは持ちつづけたいがどうなるやらである。

もうすっかり爺 (じじい) なのだ。で、爺は早朝散歩と新聞切り抜き作業をこなし読書やなにやら綴ったりするうちに一日はあっけなく終える。かつていっしょによく遊んだ孫は成人して頻繁にはやってこない。たまに訪ねてくるととりとめもないことばを交わすだけ。ただそれだけで気分は無条件にはずむのだから不思議なかかわりではある。孫との交流はなによりの妙薬だ。

英国の世界的な絵本作家ジョン・バーニンガム。ぼくも何度か食事をともにしてその磊落で人懐っこい人柄を知るが、残念だが3年前に83歳で故人となった。47歳時、彼は爺を主人公とする絵本『おじいちゃん』を発表する。祖父と孫娘がゆたかに関わりをつづけるなかでおじいちゃんのからだがしだいに衰えて亡くなるまでを印象深く描ききった傑出の絵本だ。

描かれるのはおじいちゃんと孫娘のふたりだけの世界。さえぎるものが何一つないこころの通いあうふたりはときに独り言のようにそれぞれ思うままにつぶやく。そんな短いことばの交換はじわじわと心にしみてくる。たとえば、ふたりで温室に入って植栽を楽しむ場面の会話……。鉢植えを世話するおじいちゃんは、「これがみんなそだったら、ここにははいりきらんなあ」といい、孫娘は、「むしもてんごくにいくの」という。なんだかちぐはぐで、会話は一見ぎこちない。けれど、描かれるふたりは思いのままにことばを発しあっても何も不都合を感じない。おだやかな安心できるふたりの世界がそこに存在している。ぼくと孫たちとの会話もにたりよったりでたわいのない会話で多くは終始する。さして変わりない。

この絵本には頁をめくるたびに光景や情景が変わるという特徴がある。室内遊びや戸外遊び、海浜や雪中での楽しい遊びなどが描かれるがときには小さないさかいも描かれる。どの場面も頁をめくると年月をたどるように異なる場面に一変するのである。孫娘とともに生きるおじいちゃんの後半生をアルバムの写真のように年月を追って断片的に配置する。

ぼくもときおり、孫たちと遊んだ古い写真の整理をする。一枚の写真にはそれなりに回想させる思い出がある。あれやこれやの思いがめぐりだすと時間を浪費するばかりでうまく整理できない。
『おじいちゃん』も、めくるたびに内に流れる脈々とした時間があり、物語があるのだと思う。

バーニンガムは、”人間はだれしも生を受けて生の絶えるまでをせいいっぱい生きぬく”という一生涯の冷徹な理を描こうとしたのではなかったか。
物語は終盤、おじいちゃんのいなくなった椅子を呆然と見つめる孫娘を描く。死ぬとはこういうことかとことばにならないさびしさ哀しさを強く醸し出す。そして最終頁には新しい兄弟を得たのか、赤子を乗せた乳母車を押して駆ける少女の快活な姿がまぶしく映る。この場面も印象に残る。

物語はバーニンガムと自身の祖父との関わり、自身の父と娘の関わりを回想しながら創作した作品だという。描かれるふたりが曾祖父と孫娘に見えてくる一因だろうか。

(おび・ただす)