子ども歳時記144 父のこと/熊懐 賀代 『いのちのバトンを受けとって』看取りは残される人のためにも(國森康弘/写真・文、農文協)

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父のこと

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熊懐 賀代

蝉の大合唱で包まれていた公園も通りも季節が移り、ツクツクボウシの鳴き声がはっきり聞き取れるようになりました。夕暮れ時に、草むらの虫の声に気づくと、今年の暑さもあと少しかなと思います。

父を見送ってから二度目の秋がこようとしています。一昨年春、父は急に身の回りのことに母の助けを必要とするようになりました。緊急入院した時には、誰もが治療を受けて帰宅すると思っていました。しかし、直ぐに父の体力は検査すら負担という状態になってしまいました。

いつものように夏が来て、もうじき父と別れなければならないのだと私に受け入れさせてくれたのが、友人が貸してくれた『いのちつぐ みとりびと』全4巻(國森康弘/写真・文、農文協)の絵本でした。誰もが生まれてきて、誰もが生を終える。私の周りの人たちも、きっと様々な思いで大切な人を見送りながら歩んでこられていたのだ、とあらためて感じました。

8月、緩和ケア病棟に移った父の元へ、絵本を抱えて通いました。『つきよのばんのさよなら』(中川正文/さく、太田大八/え、福音館書店)など懐かしい絵本を、ただただ静かなその部屋で父の呼吸を確かめては読んでいました。時々父が目を開けていると、きっと届いていると感じられて語りかけました。すっかり筋肉のおちてしまった父の腕や足をさすりながら、どうしてこんなに急にと胸がつまりました。病院スタッフの方が、父の応答がしっかりしていた時はもちろんですが、様々なケアのたびに、どんな言葉も父の耳に届き理解しているものとして、最後まで丁寧に声をかけてくださっていたことに本当に救われました。又、私にも明るく声をかけてくださいました。ほかの病棟では原則面会禁止という緊張感の中で、スタッフの方のあたたかい言葉が、どれほど慰めになったか、感謝の気持ちでいっぱいです。

子どもの頃、東海村の臨界事故のニュースに厳しい顔で憤っていた父。サラエボの紛争の報道をみつめて「本当に美しい街だったんだ」とずっと以前に仕事で訪れた遠い街を思って悲しみと悔しさの混じった表情で繰り返していた父。父が私に教えてくれたことを思い返していました。

言葉で伝えあうのは難しい。けれどたくさんの場面や表情、そして「~だったんだよ」と語り聞かされてきた言葉、それらの思い出が今アルバムのように心にあります。父が好きだった食べ物や日常使っていたものが懐かしいように、書棚もまた人生そのもののように感じます。子どもたちの書棚、わたしの書棚、そして我が家の書棚には、これからどんな本が並んでいくでしょうか。

毎年、正月や孫一人ひとりの誕生日には、お餅をついて祝っては「ありがたいことだ」と目を細めていた父。お彼岸を前に皆で父の郷里に帰りお参りします。命を、思いを大切につないでいきたいと思う秋の訪れです。

(くまだき・かよ)