子どもと大人は感じ方が違う

 さっきの「馬方とやまんば」の話で、すごい場面があったでしょ。馬の脚切ったとかね。 だけど馬は3本脚になって、走ったじゃないですか、そのまま。全然性能が落ちてなかったでしょ〈笑〉。それが昔話。しかも、血が流れてないよね、馬は苦しんでもいないじゃないですか。そうでしょ。 小澤俊夫氏講演録3それが昔話。だけど、それを世間ではね、昔話って馬の脚を切って残酷だっちゅうわけだ。だけどね、僕、子どもの前でもずいぶん語ったことあるんですけどね、お話しを聞きなれている子どもたちは、あそこを聞くと、笑うよ。2本脚で走ったなんて言うと、もう手をたたいて笑ってるんだ、喜んで。大人と全然違うんだ、感覚が。今聞いてる皆さんは、ぎょっとしているか、いろいろな顔があったけどさ、子どもは全然逆です。僕はこう思います。子どもと大人は感じ方が違います。感受性が違います。それを大事にしてください。

 教育しないでください、っていうことです。どういうことかっていうとね、例えばあの場面にきたときね、そばにいる母ちゃんが、まあ、残酷ねぇって、馬がかわいそうねぇなんて、どんなに苦しかったんでしょうねぇなんて言っちゃうけど〈笑〉、それって教育したことになります。ね、子どもは聞いてて、あ、そうか、これが残酷っちゅうことなんだなっていう風に思う。

  子どもにしてみれば、脚が一本切れて、そのまま走ったこと自体がおもしろいんです。それで、楽しんでる。ですから、どうぞ教育しないでください。あそこでねぇ笑えるってのはもう、人生の初めの頃の数年間だよ。現代の子どもは、中学生になったら笑わないでしょ。まあ、小学校の4年生ぐらい、3年生ぐらいが限度かなぁ。ですから、そのほんとにもう黄金の時代ですから、親がかき回さないでください。でも、こんなお母さんもいました。あそこへきて、うちの子どもが笑ったんですって言うんだよね。この子はなんて残酷な子なんだろう、私の育て方が悪かったのかしらなんて(笑)、深刻な質問を受けたことがありましたけども、そうじゃないです。子どもは楽しんだらいいんです。子どもにとってはおそらくね、馬は4本脚に決まってんだよ。それ以外のことが起きたら、もうおかしいの。ひたすらおかしいの。

なぜ、馬が3本脚で走れるか

 でも、ちょっと今日は大人相手だから、理論的なことも言っとかないと、馬鹿にされるから(笑)。 なぜあそこで馬が3本脚で走れたかっていう問題です。なぜ走れたのか。あれをね、皆さん、考えてみると、説明は簡単なんです、実は。馬の姿を、横向きがいいなぁ、切り紙細工で作ってみてください。脚1本切ってください。3本脚になったでしょ。だけど、血は流れてないでしょ。しかも形は崩れてないんじゃないかな。馬の姿全体は崩れてないでしょ。だから、走れるんです。簡単なんだよ。これが正しいことと証明するのは簡単なんだよ。逆に考えてみてください。あの、太った馬、太ったっていうか、肉体のある馬、その脚を切ったと思ってください。血が流れるでしょ。第一、切るの大変だよ、あの太い脚を切るのは。なたで何度も何度もひっぱたいて、血があたりに飛び散ってという話になっちゃうよね。そんなことは何にも言ってないのね。

 それからもう一つは、馬の脚を一本切ったら、必ず崩れるよね。立ってないでしょ。崩れたら、走れないよね。だから、昔話は、馬を肉体的には語っていない。立体的には語っていない、ということです。もっと言えば、切り紙細工的に語っている。昔話は、切り紙細工のように、語っています。これを平面性と言います。昔話の持っている平面性、昔話は平面的に語っています。理屈で言いますとそういうことです。子どもは全然気にしませんから、気にしないで語ってください、大丈夫です。血が流れていません。

「昔話は残酷」は、まったく誤解

 昔話って、そもそもね、そういうすさまじい場面を血なまぐさく語って聞き手の興味をひこうなんろばの子 昔話からのメッセージて思っていません。いろんなドラマとかアニメとかは、すさまじい場面、戦闘の場面、格闘の場面があるじゃないですか。そのすさまじさで聞き手をひきつけようと思ってます。昔話は、何でひきつけようとしたかっていうと、話の最後における主人公の幸せ、これです。話のゴールにおける、主人公の幸せ。そこへ引っぱって行きます。残酷な事件は、そのゴールにおける幸せにいたる途中の試練です。途中の試練として、残酷な事件が起きる、と考えていただいていいです。

 じゃあ、結末における幸せは何だって質問が必ず出ると思うんだけれども、僕、広く調べました。

  世界的に広く調べたんですけど、主人公の幸せは、3つに分類されます。一つは、主人公の身の安全。

 これが一番大事だよね。敵をやっつけたんですね。それから2番目が富の獲得。3番目が結婚。もちろん複合はあるよ、結婚と富とか、そういう欲張った話はもちろんあるんだけれども、この3つのどれかに該当します。そうやって、安心させるわけだね。聞き手はそれで安心して終わる。で、その途中にはいろんな事件が起きる、ひどい事件が起きます。だけど、血なまぐさくはない。昔話はリアルには語らない。世の中で、昔話は残酷だっていう意見がとっても強くなっちゃって、日本は特に強いんですけどね。まったく誤解から始まっています。まったく誤解です。そのなかで一番ひどかったのが、『本当は恐ろしいグリム童話』っていうもの。あれは完全に嘘。僕はグリム童話専門家ですから、はっきり言っときます。完全な嘘です。でっち上げているんです。皆さんの周りにも昔話って残酷だからねという意見がとっても多いと思います、特に学校関係で多いですね。気にする先生方が多いので、言ってあげてください。絶対にリアルには語っていません。もし、皆さんが何か昔話の本を手にとって、さっきの様な場面があり、非常に血なまぐさく語っていたら、その本を作った人の間違いということです。気をつけてください。その本を間違えて作っている。間違いはいっぱいあります。

 はい、残酷のことは、ここまでにして先にいきます。


昔話は、同じ場面は同じ言葉で語る

 さっき聞いていただいた「馬方とやまんば」ですが、同じ言葉が何回も出てきたことに気が付いた昔ばなし大学ハンドブック?同じ言葉が5回使われています。 これも大事なことですね。昔話は同じ場面は同じ言葉で語る、という文法を持っています。これも、とっても大事なことです。なぜそういう風に語るのかって、これわかりやすいよね、大人だってさ、同じこと2回言われたらわかりやすいじゃない。だから子どもはもっとわかりやすいよね、そういう意味です。

 

もう知っているものへの安心感

 だけどもっと大事なことは、子どものことを思い出してみてください。子どもは、自分が気に入った毛布があったら、もう、毎晩その毛布がなきゃ寝られないなんて子がいるでしょ。

 それから、このお人形がなければ寝られない。子どもはもう知っているものとまた出会いたがっている、と言えるよね。

 僕はすごく大事だと思います、子どもの成長にとって。子どもがそうやってね、もう知っているお人形、寝るときはいつもこのお人形がいるんで、安心して寝られるわけね。いつも同じ毛布があるから安心して寝られる。そういうふうに、同じものと出会うっていうことはですね、特に子どもの場合大切だよね。子どもの心の安定した成長のために必要だと思います。だから子どもは、自分が気に入った絵本があったら何回でも読んでくれって言うんじゃない?

 あるいは自分が気に入った絵本、何回でも読むってあるじゃない。

 そんな時、読んでほしいと言う限り読んでやってください。あるいは自分が読みたいっていったものを徹底的に読ましてやってください。

 でも時々ね、僕こういう質問受けるんだけれども、お母さんから。うちの子どもは同じ本ばかり読んでいて、ちっとも進歩がないんですよってね。もっと新しい本を読んで知識を増やしてもらいたいと思うって。僕はね、全然問題ないとはっきり言います。外から見てね、進歩してないように見えるだけで、 子どもはその同じものを読みながらですね、ひそかにひそかに、発酵してるんですよ、心が。そうじゃない? お味噌とかお醤油とかさ、発酵って外から見たらわかんないじゃない。でも質が変わっているわけだよ、あの状態なの。子どもはね、形では表さない。

 だけど中で変わっていくんですよ。とっても大事ですから、子どもがもう満足するまで読ましてやってください。あるいは聞かせてやってください。

(構成・池田加津子、協力・東條真由美)

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