たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第17号・2001.7
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聴いて、蹴って、叩いて、
…からだでことばを覚える子どもたち

写真  少し、本から距離をおいて書く。
 子どもの本の世界で近年とみに「読み聞かせ」の必要性が語られている。それも「ねばならない」式の絶対性を帯びて語られる。政界における小泉人気の85%強もの支持率も不気味なように、絶対性を持って語られることにはある種の不安を感じてしまう。
 親と子は、あるいは、大人たちと子どもたちは、「読み聞かせ」を通じて何を求めようとしているのか。0歳時からでも「読み聞かせ」の効用が語られる科学的根拠はなにか。また、子守唄や遊び唄など、幼な子と触れる大人たちの多くが歌う童唄は、「読み聞かせ」の一類型なのではないか。
 このようなことに想いを巡られているとき、実に明解な道案内をしてくれる本に出会った。京都大学霊長類研究所の正高信男助教授の『子どもはことばをからだで覚える』(中公新書、2001年)である。
 「幼い子どものための歌やおはなしというのは、文化の差異を問わず、地球上にあまねく存在するもののように思われる。大人はそれをいくどとなく、繰り返し繰り返し歌ったり話して聞かせたりして育児をするのが普通であった。ところが面白いことに、子ども向けの歌や語りが、われわれの心の発達にいったいどのような影響を与えるのかということを現実に調べた研究というのは、今までほとんどなされてこなかったのである。」
 正高氏は人間科学・比較行動学の立場から乳幼児の行動を観察し実験を行い、子どもが何を手がかりにことばを身につけるかを解き明かしている。
 母体のなかの胎児は受精後4カ月で成人並の聴力を身につける。ただ、胎児は母親の筋骨体系の内にあり、しかも羊水のなかで浮遊しているのであるから成人並の聴力を持つと言っても外界からの音声をそのまま聞くことは不可能だ。
 結果、胎児が実際に耳にする音は、母体そのものが発する血液の流れや心拍音。妊婦自身の出す声に限られる、と正高氏はいう。胎児はそれらの音を周波数や高低をともなったメロディとして聞く。1980年にノースカロライナ大学のA・ドゥカスパーは出生直後の新生児が母親の声を他の女性の声と区別して聞くことを実験で証明した。父親と他の男性の声の区別はまったくできなかった、というから「母はやはり強し」なのだ。受精後7カ月になると同一の童唄や、お話しを繰り返し繰り返し、歌ったり読み聞かせたりすると、それをなじみのない童唄やお話しと区別することも実験で明らかにされた。母と子のコミュニケーションに童唄や、絵本などのお話しの読み聞かせが有効であることが科学的に証明されたのである。
 また、声をたてて笑う行動や〈ばぶばぶ、ばばぱー〉のような喃語時期(生後6〜8カ月)、笑いや喃語の発声と同時に足を曲げたり伸ばしたりしてはげしく蹴る動作がみられること、しだいにその行動は足から手の動作に移り、ものを上下に打ち叩くようになることなどが判ってきた。 子どもは、からだを精一杯使いながら言葉を覚えるのである。
 ならば、英語圏のマザーグースに代表されるような世界各国に古来より伝わる口承文芸である童唄の役割は相当にあるはずだ。なかでも遊び唄とされるジャンルは、からだを動かしながら歌う童唄で「かごめ かごめ」や「あんたがさ どこさ」など日本にも数多くの遊び唄が伝わる。

 最近では保育活動の実践体験から伝承童唄に留まらず創作童唄も生み出されている。小林衛巳子編『子どもとお母さんのあそびうたえほん』(絵=大島妙子。のら書店。2000年。姉妹編に『あかちゃんとお母さんのあそびうたえほん』)は、それら傑出した唄の数々を遊び方とともに集成した格好の教本絵本だ。

たけのこ めーだした
はなさきゃ ひーらいた
はさみで ちょんぎるぞ 
えっさ えっさ えっさっさ

といってジャンケンを楽しむ唄。

ちびすけ どっこい
はだかで こい
ふんどし かついで
はだかで こい

と親と子の向き合い四股を踏み合うお相撲遊び唄。調子やリズムは歌い手自身が思い思いにつけてゆく愉快な唄で満載である。
 膝に抱き読み聞かせを試みるのももちろん良いが、唄い踊りながら親子で、あるいは、大勢の大人子ども集いて楽しむ童唄の世界をからだいっぱいで感じることも、どんどん奨めたい。
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