たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第28号・2003.5.10
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老いと「死」を柔らかな
メルヘンに包み込んで語る

『わすれられないおくりもの』

写真  人が人であるかぎり「死」は必ず訪れる。この厳粛な理を子どもたちは何時知るのだろうか。
 地域が共同体として良くも悪くも機能したひとむかし前。幼児・児童から老人にいたる三世代で構成される大家族どうしが垣根なく無礼講で交流するのが日常であったから、「死」はいつも身近かにあった。共同体には日常的に祝祭事もあれば弔い事も多い。
 竹馬や鳥かごの作り方を教える近所のおじいさん。昔話を語るおばあさん。海や川の楽しさやきびしさを教えるのも経験豊かな地域の年長者であった。家族ではないけれど、家族に近い存在として、あるいは兄弟姉妹に似た存在として地域の人々はあり、彼らは、永い間に培った経験や知識を幼き者や若者たちに贈りつづけた。(ときに、あまりに近しい関わりを持つために増悪を抱くような出来事も起こったけれど…)。
 だから、子どもたちは、「死」にもたびたび遭遇した。多くは老人の「死」で、人間は年を重ねるに連れて逞しくなり、さらに年を重ねると今度はしだいに体力を失い、やがて「死」を迎えることを肉肌で覚え心に刻んだ。死者が身近かであればあるほど、悲しい出来事になり、死者との思い出がどっと噴き出してひとりでに涙が溢れ出ることも知る。「死」があるから「生」があり、だからこそ、生命がいかに尊いものであるか、共同体の日常は、幼な心に知らず知らずのうちに人生の哲理を脳裏に忍ばせたように想う。
 『わすれられないおくりもの』(スーザン・バーレイ作、小川仁央訳、評論社、1986)は、そんなことを考えさせてくれるベストセラー絵本である(多くの読者は気付いてないだろうが、いや、作者が気付かせない工夫をしているのだろうが…)。
 近所の誰からも愛されている老いたアナグマが主人公。モノ知りのアナグマじいさんは、モグラに紙切り細工に必要なハサミの使い方を教えた。カエルにはスケートをコーチし、おしゃれキツネにはネクタイの結び方を教える。ウサギのおくさんの料理上手はアナグマじいさんのおかげだ。野原の住民みんなは何がしかの贈りものをアナグマじいさんから貰った。
 実は、アナグマじいさんは自分の死期が近いことを悟っていた。たとえ肉体は死に至っても「心」は残るんだとじいさんは得心していた。このように書くと、いかにもしめっぽくなりそうな物語だが、バーレイのイラストが柔らかくて優しいふんわりとした雰囲気を醸しだして明るさのなかで話しは展開する。ある夜、「長いトンネルのむこうに行くよ さようなら アナグマより」とアナグマは置き手紙を書く。そして、暖炉前で揺り椅子にゆらゆらと身をまかせ深い眠りに。…老いたアナグマは天国へ旅立ったのだ。深い悲しみに陥ちる仲間たち。だが、しだいにアナグマとのすてきな思い出を語り合うようになり、アナグマと彼から貰った贈りものに感謝しながら、再び明るく生き始めるというお話し。
 都市化の波は津々浦々にまで及び、核家族化に少子化などで社会が変容した現在、地域共同体の絆はないも同然。現在の子どもたちに知らず知らずのうちに「死」のイメージを捉えさせることは容易ではない。しかし、「死ありて生あり」の哲理を感じることからしか、命の尊さは感得できないのではないか。
 アフガンからイラクへと戦禍広がる今日、大人たちにとっても一読の価値ありと薦めたい。
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