たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第26号・2003.1.10
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人間の愚かさを閑かに説きつづける。
…反核のものがたり。

『トビウオのぼうやはびょうきです』

写真  トビウオの飛翔する姿を見たことがおありだろうか。
 ぼくは、大連から引き揚げたのち、小学校入学までの数年間を暮らした崎田海岸(宮崎県串間市)で、何度もその飛翔する姿を見ている。朝に夕に海を見て育ったぼくは、晴れた日の夕暮れ、夕陽に染まる凪ぎの海中からたくましく飛び立つトビウオたちの乱舞を憑かれるように見入った。20メートルも飛んだだろうか。大きく羽を広げて競演するトビウオの乱れ舞いは、雄々しいだけでなく、美しかった。
 幼稚園を知らないぼくの幼児期は、海がぼくの教室だった。たくましさや美しさ、きびしさにやさしさを海から学んできたように思う。トビウオの飛翔はなかでも鮮やかな記憶として残る。
 そのトビウオが病気になる。マグロやフカにキワダ…多くの魚たちが、不治の病を患った。

 1954年3月、焼津から出港して南太平洋のビキニ環礁から150キロの漁場にあったマグロ漁船・第五福龍丸は異常な光・爆音に遭遇する。そして、5、6時間ものあいだ、まるで雪のように降りしきる白い粉末を浴びた。乗組員たちの皮膚は赤黒く変色し水膨れができた。頭の毛も抜けはじめる。…白い粉末は、アメリカの水爆実験によるものであり、乗組員全員が原爆症患者となった。
…日本人は広島・長崎につづく3度目の原爆被害を受けたことになる。

 『トビウオのぼうやはびょうきです』(いぬいとみこ・作/津田櫓冬・絵、金の星社、1982)は、ビキニ環礁で繰り返されるアメリカの水爆実験におびえ、おののく海の生物たちを描き出す。
 青い南海の珊瑚の林に平和に生きるトビウオの親子に襲いかかる突然の災禍。父親は死に、ぼうやも、眼をにごらせ、皮膚にぶつぶつ、頭痛に苦しむ。駆けつけたウミヘビ医者も何の病いか知らず、ヒトデ病院も、タツノオトシゴ薬屋もまるで役に立たない。…ぼうやの病は不治の病いだった。
 柳井(山口県)の町で、あの原爆の閃光を眼にした体験を持つ作者が「核」に対する怒りと抗議の思いをぶつけた作品だ。だが、いぬいとみこは、決して攻撃抵抗の言葉を連ねてはいない。トビウオの海中生活のすばらしさを語り、弱者である多くの魚たちが理由なく脅かされてゆく不条理を、どこまでもやさしく語るだけだ。やさしい言葉だからこそ、怒りの心性がずんずんと伝わってくる。そして、津田櫓冬の絵物語が不思議なほど閑かで美しい青い海を描き出す。相当に熟慮して創作されたであろう描出は、もの哀しい調べを奏でながら、人間たちの惹き起こす愚かな所業を怒りを込めて告発しているのだと思う。
 絵本の結句となる「だれか トビウオの 小さい ぼうやを たすけて やれる ひとは いないでしょうか。」の文節を、ぼくらはどのように受け取ればよいのだろうか。物語にしっかと流れる「核」への怒りは、いつのまにか読み手のこころに深く染み込みはじめるはずだ。
 2002年秋、隣国・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が核開発を進めていることを認めた。米ソの冷戦構造が潰えたのち、インド、パキスタン、中国、フランスと核兵器開発はつづく。人間の愚かさを防御するには、一途に執拗に核廃絶の声を挙げつづけるしかない。
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