私的絵本年代記

*第2回*
ぎんのすず


 小学一年生の夏、戦争が終わりました。真夜中に起こされて、山の防空壕まで半分眠りながら歩かされることもありません。召集されていた父親も帰ってきました。夜は電灯が赤々と灯りました。しかし、その明るい電灯の下で広げる書物はありませんでした。
 何年生のころだったか確かな記憶はないのですが、学校を通じて子どもの雑誌購読ができるようになり、祖父が買ってくれることになりました。『ぎんのすず』です。毎月届くその雑誌がうれしくて、帰る途中の川の土手に座り込んで読みました。『白いおふねが』の七五調と『ぎんのすず』の巻頭詩が、文章のリズムに溺れるわたしのセンチメンタリズムの源であるように思います。
 上学年になった頃、ようやく子ども向けの本が手に入るようになりました。これまた祖父が伝記を買ってくれました。中でも『リンカーン』は、畳の上にぽたぽた涙を滴らせて読みました。こう書くと本ばかり読んでいるようですが、上学年になると田んぼの仕事も手伝わされましたし、家事の分担もありました。だから、風呂や竈の焚き口が読書の場所であり、湯が沸くまでの時間が本に没頭できる時間でした。
 高校生になると、図書館はさらに目のくらむ場所でありました。スポーツをする人が、自らのハードルの高さを決めるように、夏休みの間に『谷崎源氏』を読み終わろうとか、『日本随筆全集』を全部読破しようとか、馬鹿なことに夢中になっていました。本人は充実した学生生活を送っている気になっていたら「学業の成績が急に落ちたのはどういうわけだ」と担任の先生に家庭訪問されたときは肝がつぶれるほどびっくりしました。
 それでも、本から離れられず、『チボー家の人々』は、今でも手元においています。

にあんちゃん

 新米の教師時代、希望だけは大きくて、担任のクラスの子どもたちに「一生役に立つような力をつけてあげたい」と考えて行きついたのが「本を読むことが苦にならない大人に育てたい。そのためには今のうちに本の面白さをたくさん味合わせておこう」ということでした。給食時間や放課後、読み切りもあれば続き物もありで、読みに読みました。その中で、自分だけが感激して泣きながら読んだのが『にあんちゃん』です。そのころのベストセラーでした。
 当時は子どもたちの気持ちなど聞く余裕はありませんでしたが、時が経ちその当時の子どもたちと同窓会で会ったときに言っていました。「あれ、いやだったなぁ。僕たちの組だけ遅くなるんだもん。早く帰って遊びたかったのに。」「私は役に立ったと思ってるよ。自分も子どもにずっと読み聞かせをしたもん。おかげで本好きの子に育ったから」と、それぞれです。
 多くの子どもたちに出会いましたが、教室にはその時々の学習課題にあったもの、挿絵が美しい絵本、子どもたちが顔を寄せ合って読めるような大版の本、などを置きました。思いがけない子が思いがけない本に興味を示したりします。本を通して一人の子どもと向き合うこともあり、担任にとって、子どもを理解するよい場になりました。

「絵本フォーラム」27号・2003.03.10

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