しおのはなし

おじさんたちの夢

 ぴゅうぴゅう北風が吹く寒い季節。間越(はざこ)の塩場にも冬がやってきました。ウメバカシを中心とした豊かな原生林と暖かな黒潮に守られたこの浜にも時折、雪は降りますが、霜がおりることはありません。夏ほど大きくはありませんが、ハイビスカスが赤い花をつけています。日だまりでは、猫たちがぬくぬくと昼寝。穏やかな時が流れています。夏場は忙しいハウスでの天日塩づくりも、この季節は小休止。釜場の作業が中心です。
 おじさんたちの塩づくりも7年。「手配り、目配りがちゃんとできて、楽しんでつくるには、できる塩の量は今が限界。でも、塩づくりからいろいろな広がりができようよ」と那波おじさん。
 漁の合間に釜場を加勢する地元の漁師さんや、できた塩の袋詰めをする婦人会のお母さんたち。日本各地から塩づくりを学びに来る人たちの塩づくりも始まっています。2年ほど前からは、間越の漁師さんやその家族が中心となって、毎月1回の朝市が開かれています。
 会場は、休校になっている小学校の分校。「お越しください」という意味の米水津(よのうづ)の方言から、「来(こ)だんせへ市」と名づけました。とれたての魚を初め、地の魚となずなの塩でつくった天日干し、揚げたてのすり身の天ぷらやすしなどが並びます。評判が評判を呼び、佐伯や大分の町からも人が集まるようになりました。「たくさんのお客さんが来てくれるようになったから、海岸をきれいにしたり、花を植えたりね。和歌を詠む人も多いから、景色のいいところに歌碑を建てようとか、歌会ができるといいねとか、みんなで考えとるよ」。間越の夢は、どんどんどんどん広がります。
 なずな農園には、宇宙の大きな輪っかの中での野菜づくり(循環農法)を学ぶ人たちが集まります。「化学肥料や農薬の恐ろしさを知って、何を食べるかをきちんと考える人、本物の野菜をつくる人を増やしたいね」。赤峰おじさんは、今日もお日様と土の間でにんまにんまと笑い、若いお弟子さんたちも、野菜と一緒にすくすく育っています。
 こうして、よい野菜とよい塩、よいにがりができたので……と、古閑おじさんが始めたのが、みそや豆腐づくり。悪い菌を殺し、よい菌の働きを助ける塩の力を利用したみそやしょうゆ、梅干し、漬物は、日本人の昔からの智恵です。昨年6月、大分市内にこれら加工食品の販売店「道楽」をオープンしました。「生の塩は体に吸収されにくいけれど、こうして煮炊きすることで、吸収されやすくて体に優しい塩になるんだよ」。窓の外に広がる田んぼ。食事をしたり、おしゃべりをするスペースもあって、壁にかけられた懐かしい柱時計がコチコチと時を丁寧に刻みます。ベビーカーを押す若いお母さんや、昼食を食べに立ち寄る人……。新しい人の輪が芽吹いています。

「いただきます」「ごちそうさま」って大切な言葉!!

写真  私たちは生きています。毎日ご飯を食べて、勉強したり仕事をしたり、友達と遊んだり、笑ったり泣いたりしますよね。犬や猫などの動物も生きていますし、草や木や花だって生きています。
 私たちが食べる牛や豚や鶏も、魚や貝も、お米や野菜も、みんなみーんな生命(いのち)です。塩やみそや豆腐にも、たくさんの生命のエネルギーが詰まっていて、それをつくる人たちの想いも加わっています。これらたくさんの生命や想いをいただいて、私たちは生きているのです。さらに、食べ物を買うためにはお金が必要ですから、お父さんやお母さんは仕事をして、そのお金を稼ぎますし、おいしい食事をつくる手間もかかっています。だから、食事の前には、手を合わせて「いただきます」と言うのです。食事の後には、「ごちそうさまでした」と言って、たくさんの生命や想いに感謝するのです。食べ物を残したり、好き嫌いを言ったり、粗末にしたりすると、罰が当たります。
 今、私たちの暮らしは、どんどん便利になっています。手を出せば水が出たり、ドアを開ければ明かりがついたり、ボタン一つで温かい食べ物が食べられたり……。でも、本当にこれでいいのかなぁ? 水道の蛇口をひねったり、缶や瓶のふたを開けたりすることができない子どもたちも増えています。今、自分が食べたものがどうやってつくられているのか、何でできているのかも見えにくくなっています。私たちは、便利さのかわりに、大切なものを失っているのかもしれません。
 「塩の話」はこれでおしまいです。すべての生命が大きな海から生まれたこと、海の塩とそこに含まれるミネラルが私たちの生命をはぐくんでいること、私たちの身体がたくさんの生命をいただいて生きていることを、どうぞ忘れないでください。
 あなたの生命も、あなたの周囲のすべての人たちの生命も、そして宇宙の輪の中の生き物の生命も、それぞれがかけがえのない大切なもの。あなたやあなたの子ども、そしてまたその子どもが、健康で、夢を持って楽しく生きていくために、守らなければならないものは何でしょう? 大事なものは何でしょうか?


「絵本フォーラム」44号・2006.01.10


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