田中 八潮(絵本講師)
今日、
わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ(中略)
人に見られたら なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしていたの? とか
わたしは、この子が眠るまで、
おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、
ずっとだっこしていた(中略)
わたしは、この子のために
おもちゃを鳴らした、
それはきゅうっと鳴った(中略)
ほんとにいったい一日
何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、
たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?
今日一日、
わたしは
澄んだ目をした、
髪のふわふわな、
この子のために
すごく大切なことを していたんだって
そしてもし、
そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ
『今日』(伊藤比呂美/訳、下田昌克/画、福音館書店)より抜粋
絵本講座でも度々紹介するこの詩、元々はニュージーランドの子育て支援施設の壁に貼られていた作者不詳のものだそうです。毎日エンドレスに続く子育てや家事に追われながらひたすらこなす%々。そんな自分に自信を失っていくというのは、万国共通なのでしょうか。
18年前の私もそうでした。「いい親」にならなければ、と一人で力むあまり、心が張り裂けそうになり、挙句に夜泣きのひどい8か月の娘をポーンと布団の上に投げ出した。じっとしない、言うことを聞かない(それが子どもなのにね)子ども達に大声で怒鳴った、手をあげた、物を投げた。それはメディアで報道される幼児虐待の親達とたいして変わりない。私はひどい親でした。
ただ私の幸運は、絵本に出会ったことです。
絵本は私自身を包んでくれました。「よくやってるよ。だいじょうぶだよ。」と。
絵本を読んでもらうわが子達は体を摺り寄せて来ました。それは「ママ、大好きだよ」という無言のメッセージでした。「こんなに怒りんぼの、ダメダメママなのに、好きでいてくれるの!」……。「絵本タイム」があったからこそ、そのことを実感出来たのです。いかに私が子どもたちを愛おしく感じているか再確認した瞬間でもありました。
だから、私は伝えたいのです。絵本の力を知らず、孤独に子どもに向き合っているお母さん、お父さんたちに。
「あなたはよくがんばっているよ。ひとりじゃないよ。みんなで子育てしよう。絵本があなたに力を、安らぎを与えてくれるよ。絵本タイムは、子どもと親との愛の交感の時間だよ」と。
以前働いていた中学校で出会った少年少女たち。暴言を吐き、喫煙、飲酒、万引き、家出を繰り返していました。しかし、彼らは一対一で話すととても人なつっこく寂しがり屋でした。家庭や地域、学校で自分たちが受け入れられているという実感を持てないから、彼らなりのやり方で「俺はここにいるぞ!寂しいんだぞ!」と叫び、居場所を求めていたのでしょう。
それは、誰にも認めてもらえていないと感じ、自分の存在意義を見失い、追い詰められ虐待してしまう、あるいは虐待すれすれの親たちの孤独と相通じるものがある気がします。
孤独な親、孤独な子ども、孤独な社会。それらを癒し励まし、新たな生きる力を与えてくれるのが絵本であり家庭での「絵本タイム」。そういう宝物があなたのすぐそばにあるよ、ということを伝えていきたい。それが絵本に救われた私の役割だと思っています。
(たなか・やしお) |