えほん育児日記

えほん育児日記   えほん育児日記

~絵本フォーラム第94号(2014年05.10)より~  最終回

家族のこと

  5歳の末っ子は、これまでに度々肺炎で入院している。今でもよく話題になるのだが、初めての入院は彼女が1歳2ヶ月の頃で、真ん中の子が、まだ保育園に入っていなかったため本当に大変であった。しばらく病気もせず、だいぶ丈夫になったと思っていたが、この春、1年半ぶりに5度目の入院をした。妹の入院中、上の子たちは、いつもより多く家の用事を受け持ったり、寂しさを我慢したりして頑張っている。小児病棟には、きょうだいでも見舞いの子どもは入れない。かわりに、絵や折り紙や手紙のお見舞いが毎日病室に届いて、ベッドから出られない妹を喜ばせた。
 家族の緊急事態に際し、いつも感じるのは、大変なときこそ日頃どのように関わりあって暮らしているかに救われるということである。私は、泊まり込みで付き添いをするのが精一杯であるが、夫は上の子たちの世話をしながら職場と病院と家を行き来し、全ての用事をこなすのだから、数倍も大変であろう。私たちの場合、日頃から仕事の予定や体調など、どんな状態かを夫婦で話しあっていることが、互いに頼ったり配慮したりする加減をしやすくしているように思う。子どもの入院は、毎回これが最後であるようにと願いながらも、離れて暮らしている両実家の父母たちも含め、大人同士が助け合い、感謝しあう姿を子どもたちに見せることができるのは、とてもよいことだと思っている。決定権や選択権を持たない子どもにとって、どのような生活を送るかは大人次第だ。まわりの大人がいたわりあい、助け合って暮らす生活は、子どもにとって何よりも安心できる環境ではないか

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 出会いに恵まれ、まわりの人との関係が良好であることは幸運であるが、子どもが育つ環境は、運のよしあしで決まってよいものではない。例えば、子どもが病気のときに親が仕事を休めることや、お金の心配なく治療を受けられることがあたりまえの社会であれば、誰もが安心して子育てをすることができる。人間よりもお金を優先する社会、人の足を引っ張ることでしか暮らしを守れない社会は、本当の豊かさの対極にあるものだ。子どもの幸せな未来を願う親たちが、その幸せのために競争するのではなく、立ち止まって真剣に考えれば、手をとりあうことができるにちがいない。そんな社会を実現するために、私たち大人が生き方を考えることこそが、全ての子どもの幸せな未来への第一歩だと思っている。
 子育てが始まって10年。いつも願いどおりにできたわけではないが、子どもの心と体に入るものは、本当に良いものであるよう心がけてきた。子どもに何をしてやれるかを考えてきたこの年月は、同時に自分自身がどう生きるかを探求する時間でもあったと思う。親として子どもの未来を考えると、世の中のしくみにも無関心ではいられない。強いられた理不尽のもとで、個人が最善を尽くすことが美談とされるようなごまかしがまかり通る今の日本の社会には、不安と憤りを感じる。人それぞれ考えが違っていいこともあるが、人間には誰もが守らなければならない普遍の真理があるのではないか。心の中で思うだけでは何も変わらない。声に出し行動に表すことは勇気がいるが、私の姿を見て育つ子どもたちのまっすぐな瞳と家族の存在のあたたかさが、いつでも私を支えている。

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 家族は一番の味方であり、喜びも悲しみもわかちあう仲間である。互いに思いやり、力をあわせることもあれば、安心して1人でいることが許されている関係でもある。我が家の子育ての根底を支えているのは、そうしたあたりまえの日々である。子どもたちのにぎやかな声がひびきわたる子育て時代は、まだまだ続く。そんなばたばたの真っ只中で私は、いつか子どもたちが大人になって親となり子育てをするときに、彼らがあたたかい思いで振り返ることのできる家族であるよう心から願いながら、日々をいつくしみ暮らしている。
(なかむら・ふみ)

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