えほん育児日記えほん育児日記
〜絵本フォーラム第91号(2013年11.10)より〜

子どもと大人の間にやさしい風を送り込んでくれた

 『続々 絵本講師の本棚から』

絵本講師の会/編、NPO法人「絵本で子育て」センター

上川紀久恵さんのおにいちゃん、おねえちゃんへ

福田 人規 (絵本講師)  

 絵本講師が大切に思う絵本を心込めて紹介するシリーズであるこの本は、1冊目2冊目と同様に素晴らしいものでした。さまざまな立場の人が、日々思う中に出会えた絵本について、エピソードを添えて丁寧に想いを綴っています。専門家が描く世界ではなく、ごく身近な日常に感じることを、同じように心を重ねあわせ、思いを巡らせ……、そんな風に読んでいると自然に涙溢れていることもありました。どの方のお話も興味深いものでしたが、中でも気になったのは、〜おにいちゃん、おねえちゃんへ〜というタイトルで上川紀久恵さんが紹介されている『ねぇ だっこして』(竹下文子/文、田中清代/絵、金の星社)でした。
 主人公はヒトではなく、ネコです。赤ちゃんが生まれ、それまでは自分の特別な場所であるおかあさんの膝の上、ネコは《せかいいち すてきな ばしょ》と表現しています。そこが、赤ちゃんの場所になってしまいます。《わたし もう おおきいから》とさびしい気持ちを、光の温かさや風の心地よさの中に紛らわしながら、精一杯おねえちゃんらしく振舞って頑張っています。ネコの《すこしで いいから だっこして》という願いが叶ったとき、私たちはホッとして安らかな気持ちになります。
 ネコの愛されている実感とお母さんの愛している実感が重なり合う一瞬だからでしょう。愛されている実感は、子どもたちにとってまだまだ必要です。その積み重ねは、自己肯定感に繋がっていくとても大切な部分だと思うのです。
 上川さんは、この絵本を紹介するにあたって、ご自身の幼児期の体験を書かれていました。弟が生まれて「私をみてほしい。構ってほしい。愛してほしい」という気持ちが幼稚園に馴染めないで問題を起こすきっかけになったと言います。私も長女なので、何かと「おねえちゃんなんだから我慢しなさい」と言われ、「なんで私ばっかり?」と思った記憶があります。だから、両親に対して心理的に甘えた記憶があまりありません。実はそうではないのに、いつもしっかり者のイメージを保ちながら振舞っていたように思うのです。
 我が子には見えないプレッシャーを持たせたくなかったので、私は決して「おにいちゃんだから」という言葉は使わないようにしていました。それでも急がされて過ごす毎日の中で、言葉はなくとも長男も次男もおにいちゃんであるように強いていたように思えます。
 親となって、生まれてきた命の大切さをしみじみと感じ、そして誰もがどの子も大切だと思って育てていると思います。ところが、伝わっていなかったり、期待される自分を演じがちであったり、子ども側の事情もさまざま。本当は「ありのままでいいよ」と心と体を抱きしめるだけで、伝わることもあるんですよね。次男が中学校時代の時でした。「みんな、俺のこと嫌いやろ」と叫んだことがあって、ショックを受けたことがあります。3人兄弟の真ん中、微妙な位置にいて、自分を表現するのもあまり得意でなく、何か問題を起こす度、私は何度も学校に足を運びました。そんなことが続くと私も疲れていて、その中での言葉だったので、かなりきつかったのを覚えています。きっと、3人のなかで一番愛されている感が少なかったのだと思います。小さい頃は能力的になんでも出来てしまう子どもだったので、それこそ安心して、小さな大人のように関わっていたかもしれません。大人にとって都合のいいように振舞っている子どもほど、頑張って無理しているのかも……と思います。そんな時、この絵本が子どもと大人の間にやさしい風を送りこんでくれるような気がします。
 すてきな絵本との出会い、有難うございます。

                                     (ふくだ・ひとみ)

前へ ★ 次へ