えほん育児日記

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~絵本フォーラム第91号(2013年11.10)より~  第 3 回

自分自身でいること

 秋は、3人の子どもたちの誕生日が続き、一年で一番待ち遠しい季節だ。我が家では、家族の誕生日をとりわけ大切にしている。誕生日には、夫が腕をふるうごちそうや親子で焼くケーキなど楽しみがたくさんあるが、半年ほど前から始まる子どもたちの楽しみは、プレゼントに何をもらうかを考えることだ。普段、市販のおもちゃを買ってやることがないだけに、子どもたちは一生懸命考えて、それは楽しそうに絵入りの欲しいものリストを書き上げる。本当に欲しいものを考えるという経験は大切である。私自身がそうであったように、彼らの価値観の土台も、今から作られ始めているに違いない。 

 我が家では、おもちゃに限らず、世間一般に子ども向けとされるものを無制限にうちの中にとりこむことはしていない。子ども向けの市販のお菓子は、学校で遠足に行くときくらいしか買わないし、テレビは家族が過ごす居間には置かず、子どもには見せていない。子ども部屋や学習机は用意せず、3人それぞれにコーナーを作っているのだが、上の娘は、自分の片隅をきれいに整頓して、ときどき模様替えを楽しんでいるようだ。一方、ひらめいたらその場で工作に没頭する息子のまわりには、常に切り抜いた厚紙やテープの切れ端が散らばっている。末っ子はお姉ちゃんにもお兄ちゃんにもついてまわって、両方の楽しみに入れてもらっている。その合間に、必ず誰かが本を読んでいる姿があるのが、我が家の日常の光景である。消灯時間の8時までに、したいことがいっぱいあって時間が足りないくらいで、例えばテレビの入り込む余地など全くないというのが本当のところだ。我が家の日常は、子どもの友達の多くが普通にしていることとは、違うことも多いかもしれない。しかし、子どもたちは、それぞれに友達を得て、毎日楽しそうに学校生活を送っている。

   *   *   *

 私自身、テレビのない家庭で育ったことを始めとし、私にとって普通であることが、同級生の多くと違うことがよくあった。自分と同じ考えの友達がいたら嬉しいとは思ったが、互いに仲良くしたいと思えば、人との違いなど妨げにならないことを、私は経験からよくわかっている。また、クラスのほぼ全員が同じ番組を見るようなテレビ世代に育ちながら、学校時代を乗り切れたのは、家族との会話や読書によって、世界がどんなに広く多様であるかを知っていたからでもあるだろう。なりたい自分をめざしてまっすぐに生きていくうちに、同じ価値観の人との出会いも多くなった。また、考え方は違うけれどもお互いに好きと思える人もいて、今につながる大切な友人となっている。
 自分の考えを持ちながら人とつきあうなかで私が学んだことは、普通という言葉にはあまり意味がないということである。そこにいない誰かの言っている普通を基準にするよりも、互いの考えを尊重しあって一致点を探す方が、向かい合う人どうしを近づける。それは、夫婦や親子など真剣に関わりあう間柄であれば、なおさらだと思う。

 この先、子どもたちも、人との関わりのなかで傷つくことはきっとあるだろうが、それは、人と同じにしていたからといって避けられるものでもない。「みんなと同じでなければ不安」という気持ちにはきりがないが、「人と違うところがあっても、家族が味方だから大丈夫」という安心感は、子どもにとって大きな力になる。親としては、自分たちの信念にしたがって家庭を築きながら、子どもの話を聞いて共感し、いつでも味方であると伝えることができればよいと思っている。
 子どもたちの誕生日には、1歳の時から毎年欠かさず手紙を書いている。どんなにかわいかったか、どんなことが好きだったか、その年に家族がどんな日々を過ごしていたかまで、読み返すと鮮やかに目に浮かぶ。生まれてきたことを祝福するこの手紙は、私たちからの心を込めた一番大切な贈り物であり、彼らの人生へのエールである。喜びの日も、傷ついた日も、今日が必ず明日につながることを、彼らもきっと、経験してこれから知っていくだろう。

                         (なかむら・ふみ)

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