■「浦島太郎の経済学」と酷評 ……浜矩子氏
 この国に怪しい空気が漂っている。
 マスコミ(新聞、テレビ、週刊誌)は、安倍自公政権の宣伝機関になってしまっているのではないか。アベノミクスなる「経済政策」を恥ずかしげもなく持ち上げ、国民への浸透を図っている。一時(いっとき)の円安や株高に一喜一憂している愚かしくもお目出度い人の群れがある。
 おっちょこちょいのお先棒かつぎ・ローソン社長新浪某は、自社の従業員(一部)の給与を上げるという。何のことはない、賞与を数%上積みするのだそうだ。賞与は業績反映の変動給である。どのようにも変動可能だ。進取の経営者を気取りたいなら全従業員の基本給を上げ、派遣やアルバイトにも目配せすべきである。
 一方で、マスコミには載らないが冷静沈着な識者もこの国には存在する。
 植草一秀氏(経済学者)はメールマガジンで、アベノミクスは〈アベノリスク〉が正しい命名で、円安誘導やデフレ解消に〈お札を輪転機で刷る〉愚かさを指摘し、また、今夏に予定されている参議院選挙の対策でもある、と喝破している。傾聴すべき意見ではないか。
 才色兼備・気鋭の経済学者の浜矩子女史は、更に手厳しい。
 『アベノリスク』は、「浦島太郎の経済学」であるとし、時代錯誤・時代遅れもはなはだしいと論評する。興味のある方には、昨年12月に出版された『新・国富論 グローバル経済の教科書』(文春新書)の一読をおすすめしたい。直接に『アベノリスク』を俎上に乗せて著述されているわけではないが、安倍経済対策の無策・空疎さを「堪能」することができる、はずだ。
 当面の経済成長に「国土強靭政策」が有効である、と与党議員は口を揃える。強靭化が必要なのは国土ではなく、己の頭脳(あたま)ではないのか。と悪口を吐きたくなるものだ。

■「昨日の自分の姿」は……
 大袈裟な物言いになるが――歴史に学ばない民族は誰からも信用も尊敬もされない――中国から飛来するPM2・5(直径が2・5μm以下の超微粒子)に新聞、テレビが大騒ぎしている。他人のことが言える立場か、と呆れてしまう 。
 そんな中で数少ない愛読紙面である「野坂昭如の『七転び八起き』(毎日新聞2月16日)が「経験と技術の輸出」と題して、この国の良心的な考えを披露している。少し安堵するひと時である。
 その中で述べられているように、かつてこの国の高度経済成長期には熊本・新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病など数多の公害(私企業害)を撒き散らしてきた。
 マスコミの追及は鈍く政府の対策は遅々として進まなく、何人の尊い命を無駄にしてきたことか(故原田正純氏は水俣病を殺人罪と表現)。
 「昨日の自分の姿」くらいは覚えておかなくてはならない。
 そんなことに腹を立てていたら、これらの報道は何かを隠蔽する作戦ではないか、と疑念が脳裏を掠めた。
 それは地球規模で放射能汚染を引き起こしている東京電力福島第1原子力発電所事故(件)の「過去、現在、未来」を覆い隠す陽動報道だとしたら合点がいく。恐ろしい世の中になってきたものだ。
 原発事故(件)による福島の棄民政策(「除洗して帰郷」のまやかし)や、すでに表れている子どもの甲状腺がんの実態など、報道することは山とあるはずだ。
 ここに録することはできないが、1月23日に町長を辞任された井戸川克隆氏(全村避難の双葉町)の『双葉町は永遠に』は、多くの人に読んでもらいたい(ネットで可能)。涙なくして読むことのできない慟哭(どうこく)の叫びだ。
 「福島第1原発観光地計画」(毎日新聞、2月13日「発信箱」)なるものが持ち上がっているそうだ(批評家の東浩紀氏の立案)。先には廃炉跡を「社=やしろ」にして荒ぶる神を鎮める、という構想=案もあったように記憶している。
 いずれにしても、人間がいかに愚かな生物であるかを記憶・共有する施設の建設には賛成だ(国土強靭化予算で)。
 安全神話の流布に務めてきた東京大学の教授たちや軽薄な芸能人などの顔写真の陳列は乙なもの。陳列候補には事欠かない。また、神話の水先案内を担ったマスコミ紙面、映像も実物展示すればよい。現代史の貴重な資料になること請け合いである。
 しかし喫緊の課題は、この国の法律が定める放射能管理区域に住んでいる人たちの集団移転(仮の町)の実行(現)である。
 老い支度をしなくてはならない老人に、大量の回春薬を飲ませて若返らせるという愚策〈アベノリスク〉は即刻、凍結・破棄すべきである。

                           2013年2月16日記(ふじい・ゆういち)

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