えほん育児日記
〜絵本フォーラム第86号(2013年01.10)より〜

親が子どもとともに成長できる大切な子育てのための一冊

 『木はいいなあ』

ユードリイ/さく、シーモント/え、さいおんじさちこ/やく、偕成社

大長 咲子 (絵本講師)  

 今の住まいに移って6年ほどが経つ。小さな庭にいくらかの草木があって、今までは自己流ながら細々と世話をしてきた。しかし、ある時から徐々に生垣の体をなしている樫の低木の葉の色が悪くなり、こぶしの木の枝の勢いがなくなってきて、これはもうお手上げと、昨年の夏、初めて植木屋さんに頼んで、手を入れてもらうことにした。
 陽の光がまばゆく感じられる朝、道具を持って颯爽と現れた植木屋さん。さすがはプロの仕事。お昼過ぎには、わが家のささやかな庭は、あっという間に、散髪をし終えたばかりのようにすっきりと整った。というよりも、素人目には「ちょっと切り過ぎではないだろうか…」と不安になるほどのさっぱりと素っ気無い出来ばえだった。暑い中の作業を終えた植木屋さんをねぎらい、冷たいお茶を飲んでいただきながら、しばし雑談に興じる。
 私は、素人なのを良いことに植木屋さんにいろいろと質問をしてみる。「庭がすっきりしてうれしいです。でも、こんなに思いっきり切ってしまってもいいものなのですね」。植木屋さん曰く「幹の部分をしっかり育てるには時には邪魔な枝を思い切って取らないといけない時もある」また「きれいな花を咲かせようといろんなもの(肥料)を与えすぎると根腐れしてしまって、かえってダメになるときもある」「ついつい、あれもこれも思っちゃうでしょう。でも、あまり過干渉になっちゃダメだよ」と。
 もうすっかりてっぺんまで昇った太陽の日差しにジリジリと照らされながら、植木屋さんの語る数々のことばに、なんだか子育て論をきいているかのような錯覚に陥った。
 植物の世話をしていると、子育てに似ているなと思うことが、常日頃から多々あった。それは、子どもという存在が、大人に比べてより自然に近い位置に存在しているからなのだろうか。子どもは、生まれながらに偉大な力を持っているのだと思う。しかし、日々の子育ての中では、そのことを忘れてしまい、いつか見事な花を咲かせろと、不必要なものを与えすぎてしまいがちだ。あれもこれもやっておけば、将来この子のためになると思い枝を背負わせてはいないだろうか。手をかけてやるばかりが子どもの成長のためではないのだ、とうすうす感じながらも…。

 『木はいいなあ』(ユードリイ/さく、シーモント/え、さいおんじさちこ/やく、偕成社)は、題名そのままに木の良いところをストレートに、余すところなく描いている。この作品で1957年にコルデコット賞を受けた際にシーモントは、「こんなにはっきり作品の意図を素直に表している絵本の文は珍しいと思います。そのままついていっただけで、この絵を描くことができました」と語っている。(本書あとがきより)
 このことばの通り、ある場面では日常的に、ある場面では実用的に、また、ある場面では叙情的に人間と木との関係が簡潔な文章と美しい絵とで表現されている。これは、私たち人間をとりまく自然への讃歌であり、また人と自然が密接につながっていることのメッセージとも受け取れる。
 絵本の中に描かれる子どもたちは、どっしりとした幹によじのぼり、おもいおもいに遊ぶ。そこには、誰もが何かしら経験したことのある情景がある。枝にブランコをかけて空に飛び出すようにこぎ出すことはしたことがないかもしれないけれど、秋の落ち葉の中に足を突っ込んで、靴の底に響くあのバリバリと心地よい感触と、枯れ葉が粉々になっていく音は、誰の耳にも残っているだろう。また、木の恩恵にあずかっておいしい木の実も口にしたこともあるだろうし、木陰の心地よさを感じたこともあるだろう。
 そして何よりも木は、常にあるがままの姿を私たちの前にさらけ出し、その姿が、いちばん美しく力強いことを、私たちに教えてくれている。木を題材に取り上げた絵本はあまたにあるけれど、『木はいいなあ』は、1ページごとに、今、私たちにとってなにが大切なのかがつまっている。それは、癒しとか安らぎを超えた、人間の根源にまつわることのようなこと。そして生きていることのすばらしさを改めて気づかせてくれるのである。

 昨今、子育てに対するメッセージなどが直截に描かれた絵本があふれている。それはそれで、子育て中の親にとっては、励まされたり勇気を与えたりして大きな力になっていると思う。しかし、私は、この『木はいいなあ』こそ、親が子どもとともに成長できる大切な子育てのための一冊だと感じるのだ。
 さて、わが家の木の話に戻る。枝をばっさりと切り落とされて、少々不安だった「こぶし」の木は、夏の暑い中、例年になく瑞々しいまでに青く鮮やかな葉を、みるみると繁らせ、やがて、自然の摂理にそって美しく黄葉し落葉した。寒くなった今では、裸の枝に、たくさんのつぼみをつけて、あたたかくなるのを待ち構えているようである。やがて春には、子どもの手の「こぶし」に似た、白く愛らしい花をたくさん咲かせてくれるだろう。私は、何もせずに、ただ待っている。
                                  (だいちょう・さきこ)

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