こども歳時記

〜絵本フォーラム83号(2012年07.10)より〜

今でも覚えてる雨のいいにおい…

 紫陽花の蕾も膨らみ、間もなく梅雨の時期を迎えます。この季節になると、私の母は決まってこの話をします。

 それは、まだ私が幼稚園に入る前のこと。朝から降った雨がやみ、わずかに夕陽が差したので、母は私を連れて散歩に出かけました。公園に向かう道の途中、私は突然目を輝かせて「ねぇ、ママ! 雨のいいにおいがするね!」と言ったそうです。
 溜まった洗濯物は乾かない、子どもがぐずっても外遊びをさせてやれない、買い物に出るのも一苦労……。小さい子どもを抱えた母親にとって「雨」は厄介なものでしかなく、ましてや、その雨に「匂い」を感じることなど無かった母は、我が子のその言葉に大変感動し、同時に自分と子どもの感性のギャップに大きな衝撃を受けたと言います。

 『おんなのことあめ』(ミレナ・ルケショバー/ぶん、ヤン・クドゥラーチェク/え、たけだゆうこ/やく、ほるぷ出版)は、幼い私に「雨」のさまざまな匂い、表情、色の違いの理由を教えてくれた絵本です。
 《おんなのこ》が道で《あめ》に出会います。《あめ》は《おんなのこ》と一緒に遊びたいのに、家の中には入れません。悲しくなって、家の窓を叩くように強く降る雨。「さびしいあめ」は暗く冷たい色をして、悲しみが増す毎に雨音も大きくなるかのようです。大人達の大きな傘は、そんな《あめ》の悲しい表情に気付くこともなく、急ぎ足で行き過ぎます。
 やがて《あめ》は、赤い長靴と黄色のレインコートに着替えを済ませた《おんなのこ》と再会します。《らん らん らん あめが たのしそうに ふっています。(中略)くものかげから かおをだした べそっかきの おひさまが みずたまりに うつりました。(中略)おや とつぜん いろんなものが あおや きいろや みどりいろに みえます。》七色のドロップのような雨が描かれたこのシーンは、幼い私が母に「あめのいいにおい」と言った時の景色そのもののように見えます。

 雨雲の切れ間から差す陽の光。その光にキラキラ反射する七色。ちょっと蒸したような、ホワッと湧き上がってくるような、陽と雨とが入り混じった匂い。私自身、その時の母との会話のことは全く覚えていません。でも、その「匂い」は今もちゃんと覚えています。

 レイチェル・カーソンの名著『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子/訳、新潮社)に、《この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になると思うからです。》という一節を思い出しました。

 いつの頃からでしょうか。ちゃんと知っていたはずなのに、家事に、子育てに日々追われる立場になると、降る雨の表情に目を留めることがすっかり無くなっていたことに気付きます。長い雨の季節。今年は娘と一緒に、あの「たのしいあめ」の匂いを全身で味わってみたいと思います。

原 知恵(はら・ちえ)


『おんなのことあめ』
(ほるぷ出版)

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