■桜の幹に奇怪な虫がいた
  前号に書いた桜並木を散歩してきた。季節は移り、青々(緑々)とした若葉が茂り歩道に木陰を作っている。一本の桜木の大きな幹に目を凝らしていると、何やらこの季節には出現しないはずの奇怪な毛虫のような生物が這っている。
  さらに目を凝らすと、体長4〜5センチのその生物は、目はギョロリとし白い体毛をまとっているではないか。誰かに似ている……。
 瞬時に脳裡に浮かんだのが野田(天下り決死隊=©植草一秀)佳彦首相だ。私に見られているのに気づいたのだろうか。幹の下部に逃走を始めた。「ここは一発!」と傍らの小石を拾ったが、——殺生はいけない——先祖の声が聴こえた。難を逃れた〈虫〉は「うろ」(空・虚)の中に姿を隠した。

    葉桜が朝の光に揺れている

    爛漫のあと風は淋しき


■ジャーナリズムを捨てた新聞
 朝日新聞は、「虚仮おどし新聞」と題号を変更したらいかがだろうか。
 6月10日付の『座標軸』〈「決められる政治」見せる時〉の、若宮(風見鶏)啓文主筆の論説(?)を一読して、これがかつてリベラルを自称していた新聞の首席記者の文章かと、ほとほと呆れてしまった。
 文章の中身は薄いが、消費増税が決められなければ、《いよいよ国際的にも不安の的になる》の書き出しで、《2年前の参議院選で鳩山路線の無理を感じた菅直人首相が消費税の増税へ舵を切っていた。》とし、《かつてなく切迫感のある財政破綻の恐れや行き詰まりつつある社会保障、そして国際社会の不安視も考えれば、もはや避けては通れない。》と説く。蛇足で《民主党も自民党も橋下氏を恐れる前に、身を切る改革を含めて次々と「決められる政治」を見せることだ。》、と文末は「橋下プロパガンダ」で締め括っている。
 財政の現状や仕組みを詳細に提示、説明することなく「消費増税」を国民に求めている。経済があるから財政がある、という経済学のイロハもご存じないようだ。
 これを「虚仮おどし新聞」と言わずして何というのか。
 因みに「主筆」とは、《新聞社や雑誌社で、記者の首席として重要な論説や記事を書く人》(岩波国語辞典第七版)とある。
 再度、学習しておこう。ジャーナリズムの任務とは、《私の考えでは民衆生活の朝夕の相談相手ですな。個体と全体をつなげる絆の大切な一本ですな。世の中の続発する動態についてその原因と過程と結果を明らかにして、さらに一つの結果が次の新しい原因となる筋道を明らかにする作業》(むのたけじ/著、『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年刊)。

    新聞が真実(ほんと)のことを
    伝えない

    ジャーナリストは何処にいるのか


■白旗揚げた橋下(小心)徹市長
 今号では、小心・変節漢の橋下(お子ちゃま=©くろねこの短語)徹市長の原発再稼働問題についての種種を書くつもりでいたが、もはや紙幅はない。権力の怖さを知り、経済界の恫喝に屈したのだろう。早々と「白旗」を揚げてしまった。人権無視の入れ墨調査も動機は捏造であったことが、今では遍く知れ渡っている。
 この男を人々は、能天気に「改革者」と崇める。誰かが「国の信頼のメルトダウンが起こっている」と言っていたが、国そのものが溶融している。


    愛国を脅して迫る大阪は
    
教育(おしえ)の文字を
    知らぬ文盲


——訃報 小欄(3月10日号)で紹介した日隅一雄氏が12日、がん性腹膜炎で逝去。49歳。報道被害問題をはじめ、情報公開訴訟の弁護団にも加わっていた。東日本大震災(原発)取材にも精力的に取り組まれていた。晩年は新人ジャーナリスト育成のため、多額の寄付を「自由報道協会」にされたという(上杉隆氏)……合掌。

 随感録です。
 昨年の8月、こんなニュースがありました。
 現在(6月15日)も、件の部局は設立されていません……。

■「原子力安全庁」(仮称)の新設に疑問(2011年8月13日)
 政府はこの度、「やらせ問題」など度重なる不祥事を起こし、世間の厳しい指弾を浴びた原子力安全・保安院と原子力安全委員会を統合して「原子力安全庁」(仮称)を環境省の外局として新設する方針という。
 安全神話の「創作者」と「宣伝担当」を合体させて、如何なる安全を目指そうというのか。そもそも原子力発電所の「安全」は、東京電力福島第一原発の大惨事で完膚なきまでに崩壊したのではないか。
 報道によれば、原発の耐震安全性を検討する作業部会の委員が震災で、「科学の限界を痛感」したという理由で委員を辞任したという。学者として良心的態度であると言えよう。
 ところで原子力安全庁とは何をするところであるのか。民主党の作業チームによれば「安全庁には保安院を加え、原子力安全委員会や文科省の放射線量モニタリング部門も統合、原子力安全審議会(仮称)も設ける」という。
 地震や津波による自然災害や、テロ、飛行機の墜落事故を「想定」して安全対策を練るというのか。まことにもって笑止千万である。
 原子力発電が人間社会と共存できないことを完璧に証明したのが福島の事故(人災)である。こんな理路は、小学生にも分かるといえば、小学生に怒られるが、政府の考えは思考停止に等しい。
 朝日新聞(7月3日)の「ザ・コラム」(大野博人氏)は、現下の課題は原発の危険を後世に伝える「原子力教団」の創設にある、と言及していた。皮肉に聞こえる向きもあろうが、正鵠を射た言説である。政府は政策の失敗を満天下に知られぬ前に「原子力危険伝達庁」と名称変更し、内容を再考すべきである。

たい。主張の継続をしかと見守ろう。

                                 (ふじい・ゆういち)

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