こども歳時記

〜絵本フォーラム81号(2012年03.10)より〜

語り継がれてきたもののたいせつさ感じる

 あれから一年が経ちます。
 3月11日には一周忌法要が数え切れないほど、営まれているかと思うと、胸が苦しくなります。突然の出来事で本当に無念だったと思います。この一年、みなさんにとって、「もう一年」なのでしょうか、「まだ一年」なのでしょうか。この一年、我が家では泣くことしかできませんでした。テレビを見ては、新聞を読んでは家族で泣いていました。震災当時、小学5年の息子は行方不明者数をチェックするのが日課でした。別々の避難所で過ごしていた家族が再会できたニュースと行方不明者数が減っていくのを照らし合わせ、「よっしゃー」と喜んでいました。日が経つ毎にその減り方は緩慢になりましたが、それでも減っていくことを無邪気に喜んでいました。その息子も6年生になり5月の連休が過ぎた頃、行方不明者数が減っていくのと同じ数の死亡者数が増えていくことに気付きました。気付いた息子は愕然としていました。そして、無邪気に喜んでいた自分に「俺は何ていうことをしてたんや」と猛省していました。

 あの日を境に“しあわせ”や“ゆたかさ”のかたちが変わったのは私だけではないと確信しています。バブル時代を大人として謳歌した世代ですが、あれは“まやかし”だったと痛感しています。
 そして、英知を結集し多額の税金を投入して、予測も含めあらゆる災害対策をとってきたことも、もちろん全くの無駄ではなかったのでしょうが、未曾有の災害の前では思ったほどの効果を得られなかったように感じてしまいます。

 昭和8年に起きた昭和三陸津波を体験された、田畑ヨシさんは津波の恐ろしさを30年以上も地域の子どもたちに伝えてこられました。《地震がきたら「てんでんこ(てんでばらばらになっても)高いところへ逃げろ」》という昔からの教えを伝えてこられ、実際に多くの子どもたちが山に避難し無事だったのだそうです。どんなときにも、一番たいせつなのは、最新鋭の機械ではなく人と人とのつながりではないでしょうか。 同じように防災教育が功を奏し小中学生の生存率が99.8%だった“釜石の奇蹟”も人と人とのつながりにより、まだまだ子どものはずの中学生が、小学生や保育園児、介護施設のお年寄りをかばい、守りあの恐ろしい津波から逃げ切ることができました。そこには、何がたいせつかを的確に伝えた大人がおり、そして何より自分自身を信じることが出来る子どもがいたのではないでしょうか。そういう子どもに育てたのもやはり、大人の力です。この災害もこの教訓も決して忘れてはならないことです。

 高学歴、高収入がすべてで、それが“しあわせ”、最新機器の中で手足を動かさず便利に生活することこそが“ゆたかさ”だと教えられました。はたして本当にそうなのでしょうか。電気を湯水のごとく使い放題使い、核のゴミを出し続けることが、“しあわせ”や“ゆたかさ”なのでしょうか。てんでんこに自分の力を信じ逃げた、こころの強い子どもたちのように、一人ひとりが“しあわせ”や“ゆたかさ”の意味を今一度考え、“まやかし”から目を覚ますときがきているのではないでしょうか。
       
        
舛谷 裕子(ますたに・ゆうこ)


『つなみ』
(産経新聞出版)

前へ ☆ 次へ