えほん育児日記
〜絵本フォーラム第77号(2011年07.10)より〜

やはり東日本大震災にかかわって

稲垣 勇一 (絵本講師)

 ずいぶん迷った。いまもそれはあって、すっきりとしたわけではない。
 今度の大震災にかかわって書くかどうかだ。
 軽々しく「がんばれ東日本、がんばれ日本」などと、自分が口にしてよいのか。とても迷う。さまざま真摯にそこにかかわっている人々はいい。 2 か月半経ったいまも、有名無名のたくさんの人たちが、自分をさて置いて深くかかわっている。避難場所で、被災した小学生たちが「肩たたき隊」を作って、お年寄りの方をたたいて回っているテレビ映像を見た。てきぱきとした足どりとにこやかな表情に、胸が熱くなった。それと同じ立場の中、高校生が、ごった返す避難所で、物資の分配や食事の配膳にきめ細かく激しく立ち働いているのを見る。その彼らは、活動のかたわらパイプ椅子を机代わりにして勉強している。その他、現地や現地に入った人々の動きは、日々私の耳目に伝わってくる。私の周辺でも、バザーを組織し、応援イベントを企画し、あるいは直接現地にかかわっている人々がたくさんいる。
  私はなにもしていない。
  例えば、原発についても端(はな)から反対だったし、地方にいてできるだけの意思表示はした気がしていた。しかし、夜更かしのわが家では夜中の 1 時 2 時の点燈は当たり前だったし、冬にはそれに電気炬燵の使用が追加する。 2 年前、水回りをオール電化に近いものに暮らしを変えた。エアコンはもちろんないし、夏に扇風機も回さない。けれどそれは、昔から人工の風が嫌いだったし、夏の盛りでも南北の窓を開けておけば、気持ちいい涼風が部屋を流れる。節電の意識がそれほどあってしたことではない。いわば湯水のように、電気を垂れ流しに使っていたのに等しい。原発反対もどうせまた蟷螂の斧だという気持ちも、どこかにあった。そして知らぬ間に、国を囲むように日本の海岸線に原子力発電所が立ち並んでいた。原発一基が出す 1 日の廃棄物に含まれる放射能量とヒロシマの死の灰の何発分かの量とが同じだなどということは、知る由もなかった。今度の事故で使われ今も使われ続けている想像を絶する量の冷却水が、放射能を含んだままどこへどう廃棄されているのか。考えて背筋が寒い。
  けれども私はなにもしていない。その私が簡単に「がんばれ東日本、がんばれ日本」などと口にしてよいはずがない。これからの活動や暮らしをどう見直し、思いをどう深めていくか。長い時間をかけていかなければならない。
  ところで、私たち塩田平民話研究所では、昨年から月 1 回 2 時間のペースで柳田国男著『遠野物語』の勉強会を続けている。今月 5 月で 17 回になった。日本の昔話、とりわけ日本昔話の聖地東北の入口として、『遠野物語』を避けて通るわけにはいかないと考えるからだ。『遠野物語』は物語だ。初版序文の佐々木鏡石(喜善)の話を「自分もまた一字一句加減せず書きたり」に惑わされてはならない。柳田国男の書いた遠野の物語なのだ。物語は「もの」の「かたり」だ。「もの」はものの怪・もの悲しい・もの狂おしいのものであり、もともと目に見えず耳に聞こえない根源的霊力を指した。かつて日本人は、暮らしの周辺に「もの」の存在や力をひしひしと感じ、その力との折り合いの中で生活してきた。見えない・聞こえないその「もの」を「かたる」。ことばという耳に聞こえる音、それを通して目の前に見えてくる形にしたものが「物語」だ。(「かたる」にはもうひとつ違う意味の側面があり、その両者を同時にとらえたとき、物語の本質が見えてくるのだがここでは略す。)私たちはひとつひとつの話の奥にある形のない「もの」を感じ取り読み取ったとき、はじめて「物語」を自分のものにしたことになる。
  それは私たちが絵本と向き合うときも全く同じことだ。別ないい方をすれば、その「もの」のない絵本を私はすぐれた絵本とはいわない。
  東北はいま未曽有の悲惨と困難のなかにある。そのなかで人々は人間として稀有な物語をはげしく紡いでいる。そこにどうかかわることができるか。どう日本人として同じ空の下に生きていくか。深く長い自分の物語を作らねばならないと思う。(いながき・ゆういち)

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