えほん育児日記
〜絵本フォーラム第72号(2010年09.10)より〜

絵本はだれでも読めるもの

 福島 春夫(絵本講師)

 書店での絵本らいぶを終えていつもそうしているように喫茶コーナーでお茶をいただきながら今日絵本を楽しんでくれた人たちの事を思い浮かべて見る。

 児童書コーナーに集まって絵本らいぶを楽しんでくれた沢山の親子さんは今日の絵本をほんとに楽しんでくれたのだろうか、いや三十分の間みんな静かに、時には一緒に参加して絵本を見てくれたのだからたぶん楽しんでくれたのだろう・・・

 こんな事を考える時間が自分の世界にやって来るなどとは、五年前それまで全く絵本など読んだことがなかった自分には思いもよらない事でした。

 絵本らいぶを続けていると、良く聞かれる事に「なぜ絵本を読むようになったのですか」「絵本が好きなんですねー」「子どもが好きなんでしょうね」と聞かれます。その度に適当に答えているのですが特別絵本が好きでも、子どもが好きでも ( 嫌いではないが ) ないのに絵本らいぶを続けて三百回以上になる、保育園や子育て支援センター・お年寄りの施設など「いつでも・どこでも・だれとでも」などと言って絵本らいぶを開催してくれる所にはどこでも行っている。さらに恐れ多いことには「絵本で子育て」センターによる「絵本講師・養成講座」にも通い「絵本講師」として子どもを持つ親御さんを前に「なぜこどもたちに絵本が必要か」などといった話を一時間に亘り講釈をたれてしまうに至っては本人も今更ではあるが驚くばかりです。あらためて「自分はなぜ絵本を読んでいるのか」と考えてみると実はあまり明快な答えはないのです。絵本を読んでいる多くの人たちの熱心な姿を見るたびにこの事が頭を過ぎります。あえていえば、そもそも絵本は親が自分の子どもに読んであげるものとされているのだから普通のおやじが普通に読んでもいいじゃないか…ということでした。

 絵本について深い理解がなくても「絵本とは何たるものか」などということが分からなくても読めるものではないか、だったら絵本など読んだことがなくても読んでみても良いではないか、そんな気持ちで始めたことが実はそのまま変わらずに今日まで自分の中にあることが絵本らいぶの継続につながっているのだと思います。

 絵本に関わった当初、自分の思い込みだとは思いますが「絵本」というものがなぜか普通の人たちにはあまりなじみのないものだと感じました。我が家には 2 人のこどもが保育園に行っていた時代も家には絵本というものが日常的ではなかったのです。記憶にあるのは保育専門学校に行っていた知人から絵本をプレゼントしてもらったことがありますがその絵本を父親として読んであげたことはなかったと思います。絵本を読むきっかけとなった図書館主催の「読み聞かせ講座」への参加も、不特定の子どもたちに絵本を読むにせよ、なぜ絵本を読むのに「学ぶ」必要があるのかとても疑問に感じたからです 。確かにどんな絵本を読んだらいいのか、などの知識はあった方が良いのかもしれないが「絵本は学ばなければ読めない」ものではないはずです。もっと気軽に我が子に読んでもらえたらいいのではと考えています。

 まじめに子育てに励んでいて絵本に関心を持つお母さんに話を聞くと「学ぶ」ほど絵本が難しく思えて気軽に読めなくなるといった事も実際にあるとのことでした。そんな時「自分は特に知識がなくても普通に絵本を読んでいます」とアドバイスをするとお母さんは安心して良い顔を見せてくれます。絵本講師としては心もとないアドバイスではないかとも思いますがこんな当たり前なような事が実は大事な事でそれが今の自分の役割だと思っています。「絵本講師」の名刺を持ったら変な気負いが出てしまいそうでしたが「絵本はだれでも読めるもの」を伝えていけたら良いかなと思います。 (ふくしま・はるお)

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