絵本・わたしの旅立ち
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巧妙な仕掛けのできる日本人

 「いつまでも終わりにならない話」は、日本はじめ世界中にひろがっています。とりわけグリムの「ブレーメンの音楽隊」などは、さまざまな理由で飼主に見放され、放浪の旅にでるところや、ブレーメンへいって音楽隊に入ろうというところは繰り返しますが、それに安心していると盗賊たちとの重なるチャンバラなどサービスでついている手の混んだ仕掛けがあり、誰知らぬ者がいないくらい子どもたちから愛されています。

 「いつまでも終わりにならない話」は、こういう仕掛けも魅力的ですが「繰り返し」という生理的な快感が興味を支えているようです。

 繰り返しは、圧倒的な構成で読者を支えてくれますが、先号にも申したとおり、あまり変わり映えのしない事柄は山川もなく平板、単調に繰り返すと、眠くなってしまいますので、物語の重要なある部分だけ繰り返すところは同じですが、進行するたびに新しいモノや事柄が加えられることによって、一層、興味をもりたてます。

 「もも太郎」と家来たちは、桃太郎からキビダンゴをもらって手下になる工夫がなされています。この話を伝承の途次で、聞くものの顔色をみて、より盛りあげるために、それぞれ力を発揮します。ご存知の「サルカニ」では、木下順二という天才的な作家が、みごとな変容を見せてくれます。

 このサルカニは、題目も「かにむかし」となり、圧倒的な力強い繰り返しを継続して見せてくれます。マンガ家・清水崑の絵も、少し間伸びしたのんきなもので、木下順二のドラマチックで完全な文章により楽しさを加えています。

 これから、繰り返しの部分を読んでいただくわけですが、これこそ大きな声で、そして体中調子をとって言葉のやりとりというもの、表現力の巧みさを味わって下さい。サルのばんば、サルが棲みついているところへ、集団でなぐりこみをかける場面です。

そこでおおぜいの子がにどもが、うちそろうて、がしゃがしゃ、がしゃがさ、あるいてゆくと、まず、ぱんぱんぐりに ゆきおうた。ぱんぱんぐりが、いうには——

「かにどん かにどん どこへ ゆく」

そこで こがにが こえをそろえて、

「さるのばんばへ あだうちに」

「こしに つけとるのは そらなんだ」

「にっぽんいちの きびだんご」

「いっちょ くだはり なかまに なろう」

「なかまに なるなら やろうたい」

というて ぱんぱんぐりに きびだんごを いっちょ やって ぱんぱんぐりは なかまになった。

それから そろうて また がしゃがしゃ・・・(後略)

 これは、ぱんぱんぐりだが、そのあと、はちやうしのふん、はぜぼう、という具合いに完全に繰り返す。ほんとうに絶妙です。後世に残る昔話の名作となるでしょう。

 先号の最後に京のわらべ歌の替え歌を引用しましたが、何人かの方から、関係のないものを何故掲載するのか、との批判を受けましたが、実はやはり繰り返しの見本だったのです。

 大黒さんを太政官に単に全く替えただけのように見えますが、共に数え歌の形は残しながら、二つの歌は相当難解ながら、各行が深い対立する内容に沿ってリフレインしているのです。前が元歌です。

大黒さんというひとは

一で俵ふんまえて

二でニッコリ笑うて

三で盃いただいて

四つ世の中よいように

五ついつでもニコニコと

六つ無病息災に

七つなにごとないように

八つ屋敷を広げて

九つここに蔵たてて

十でとっくり治まった

太政官というひとは(明治維新の政治家たち)

一で宝うしなえて

二で二本わやにして

三で侍、廃止して

四つ四足喰いひろげ

五つ異人を大切に

六つ無性に髪をきり

七つ何でも税をとる

八つ屋敷を売りはらい

九つここにおられいで

十で東京へ逃げていった

  この推理小説のような巧みさは見ものです。やはり日本人は古代から伝承される「本歌取り」を見事な技術で見せてくれる仕掛術に練達する民族といえるかもしれません。

 そして外国の絵本では?


「絵本フォーラム」65号・2009.07.10


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