絵本のちから 過本の可能性
「絵本フォーラム」61号・2008.11.10

中学生と絵本を読む
いつか親になる中学生たちと

安東 実香(中学校教諭・司書教諭)

〈始めてみよう!「思春期」の子たちと〉

 私は育児休業中にNPO法人「絵本で子育て」センター主催の「絵本講師・養成講座」を受講しました。そして「絵本講師」の資格取得後まもなく仕事に復帰しました。

 仕事は、公立中学校の社会科教師。公務員であること、そして平日は仕事をしているというのもあって、絵本講座はちょっとできそうにありません。でも「絵本講師・養成講座」で勉強したこと、そして本当にすてきな絵本の魅力についてもいろんな人に伝えたい、という思いがありました。そこで考えたのが、中学生に絵本の読み聞かせをする、というものでした。

 受講中に読んだ柳田邦男氏の『砂漠でみつけた一冊の絵本』 (岩波書店)のなかの「大人こそ絵本を」「絵本は人生に三度」という言葉に触発されたのかもしれません。氏はこのように書いています。「人生に三度とは、まずは子どものとき、次には子どもを育てるとき、そして三度目は人生後半になってから」と。これに「思春期」が加わってもいいではないか、いやむしろ心も体も成長しつつあり、ある意味不安定なしかし一方で感受性も豊かな思春期にこそ絵本がいいのかもしれない。このように思うようになったのです。

 とはいうものの中学生に絵本なんてどうなのだろう。と正直不安でいっぱいでした。幼い子ども達や小学生への読み聞かせについて書かれた本ならばいくらでもみつかるのですが、中高生への実践となるとなかなかありません。それでも『先生、本を読んで!?こころを育てる読み聞かせ実践論』(村上淳子/著、ポプラ社)『学校図書館を子どもたちと楽しもう』 (若林千鶴/著、青弓社)など数冊見つけ、心強く思いました。それでもまだ不安でいっぱいな私はなんと、中学校の教師もされていたということで浜島代志子先生にもコンタクトをとり、アドバイスと励ましをいただいたのでした。浜島先生の言葉が一番の励みになったことはいうまでもありません。

〈中学生と共に楽しんだ 70冊の絵本〉

 このようにして、中学生への読み聞かせが始まりました。当初は週3時間の授業のうち、1回、多くて2回までと考えていたのですが、「今日は絵本ない」と言ったときの「ええ?っ!」というがっかりした声もあり、結局テスト返しの時間 (さすがにこの時は絵本よりテストの点数が気になるようで「ええ?っ!」の声は聞かれません)や、テスト前などの一部の時間をのぞいて、1年間で合計70回以上、70冊余りの絵本を楽しむことができました。

 読み聞かせをするにあたっては、「楽しむ」ということに重点を置きました。

 私は授業の始めに読みます。通常ですと「授業」=「勉強」ですが、「絵本」=「勉強」にしたくはありませんでしたし、そうすべきではないと考えました。読んだ後も内容についての質問はしていません。また、きちんと前を向いていない生徒がいても、よほどうるさくしない限り注意はしません。読んでいる絵本も、8割以上が授業内容とは全く関係のないものです。「絵本にはなにかしら教訓が含まれており、だからこそためになるのだし、だから君たちに読んで聞かせてやっているのだ」とはならないようにも注意しています。とにかく心を開いて純粋に絵本を楽しんでほしい。そしてその中で得られた感動(笑い、悲しみ、怒りなど)を大切にしてほしい。飫肥糺先生の言葉を借りるなら「たましいをゆさぶ」ってほしい。このように考えたのです。「たましいをゆさぶる」ことは心を豊かにしてくれます。そしてそれは「生きる力」にもつながってゆくでしょう。いえ、ぜひともつながっていってほしい。こう願いつつ私は毎日絵本を読みます。

 昨年度は3年生3クラス、今年度は1年生5クラスの授業を担当しています。どのクラスにも同じ絵本を読むようにしているのですが、クラスによって反応も様々です。

 昨年度の3年生では、1クラスは初めて読んだ時からいつも全員で拍手をしてくれました。しかし時にほとんど聞いてくれないようなときもありました。もう1クラスは6月ぐらいから拍手をくれるようになりました。どの時間も静かに聞いてくれました。3クラス目は、結局全体で拍手をくれることはありませんでした。けれど個人的によく感想を言ってくれました。

 いわゆる「やんちゃ」といわれる生徒、生活指導上難しいといわれる生徒が、おもしろい反応をみせてくれます。先の初めての時間から拍手をくれたクラスですが、一番先頭にたって拍手をくれたのはやはりやんちゃな生徒でした。また、たまに選択授業で行くクラスでも一番喜んでくれるのはやはりそういう生徒でした。彼の場合はことに協力的で、私が行くと「静かにしろや!」「おまえ前向け!」などと、いささか乱暴ではありますが、みんなに注意をしてくれ、非常に熱心に聞いてくれました。その後の授業態度は大きく違っていましたが…

 すべての生徒がすべての時間喜んで熱心にきちんと前を向いて絵本と向き合っていたかというとそうではありません。絵本にほとんど無関心と思われる生徒もいましたし、読む絵本によってもその差はありました。でもそれでもよいと私は思っています。もともと人の好みなんて100人の人がいれば100通りあります。まして絵本は何千何万とあるのです。そのうちのたった 70冊余り。これは!と思える絵本に出会えなかったとしても不思議ではありません。絵本の読み聞かせが、私にとっても、多分生徒にとっても、特別なイベントではなく「日常」のものとなってきている今、ある意味淡々と、様々なジャンルの絵本を読んでゆきたいと考えています。とはいうものの、なかなか新しい絵本を読んで開拓する時間がなくて非常に困っているのですが。

〈絵本から一番離れる 10代の時期にこそ〉

 当初、「絵本講座」ができない! と焦りに近いものを感じていた私ですが、このごろは少しずつ考えが変わってきました。

 絵本講座にやってくるのは、絵本や絵本で子育てすることに興味・関心がある人がやって来ると聞きます。しかし言い換えれば、興味・関心のない人はやってこないということでもあります。

 中学校での絵本の読み聞かせは、言葉は悪いですが、絵本に興味・関心があろうがなかろうが強制的に行われます。しかしこれがよいのではないかと思うのです。

 先頃、卒業生がやってきて私に言ってくれました。「先生が読んでくれる前は絵本の存在なんて忘れていたけど、このごろ自分でも読むようになったの。本屋に行っても時々絵本のところにも行ってしまうようになったの」と。

 絵本講師の活動は「チョウの羽ばたき」と言われます。家庭で絵本の読み聞かせを続けること、そしてそれを伝えること、そのひとつひとつは「チョウの羽ばたき」にすぎないかもしれないけれど、それを伝えつづけてゆき、その小さな力が集結したときに社会全体を変え得る力になるのかもしれないのだと。

 私のやっていることは、「チョウの羽ばたき」以前のことです。作物を育てることに例えるとすると、絵本講座を行うことは、種を蒔き、水を遣りせっせと育てている段階ということになるでしょう。でも私の行っている中学生への絵本の読み聞かせは、それ以前の、土を耕しているだけということかもしれません。

 しかし中学生もいつか大人になり、親になることもあるでしょう。実際に中学生たちの声を聞いてみると、 10代というのは一番絵本から離れている時期だと、痛切に感じます。だからこそ多感な10代に絵本に触れていれば、親になったときにすんなりと絵本を手にとってわが子へ読み聞かせをするのではないでしょうか。いやそうであってほしいと私は願っています。

 私と共に絵本を楽しんできた中学生のうち、何人が「絵本で子育て」を実践してくれるのかは私にもわかりません。実際に絵本講座を開き、話をするより何倍も効率の悪いことに違いありません。けれど、少しでも可能性があるのなら、やってみる価値はあると思います。いえ、可能性がなくとも読み聞かせは今後も続けるでしょう。ひとつの絵本を同じ空間で同じ時間に大勢で共有するのがこんなにも楽しいことだと知ってしまったのですから。

(あんどう・みか)


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