リレー

コスト(無駄)の中に「人」が入らぬ世の中に
( 中学校教諭 安東実香 )


 ある日、経済学のセミナーに出かけ「最近の経済状況」を勉強してきた。話を聞けば聞くほどゾッとしてきた。そこに「人」がみえないからである。企業のあり方としては「コストを省き効率よく利益をあげる」ことなのだが、以前は「経営者・従業員みんなで力をあわせてがんばろう」というような形だったものが、「コスト ( 無駄 ) 」のなかに「人」も入るようになっている。必要なのは効率よく利益を上げてくれる人間でそれ以外の人間は必要ない、あるいは曲解かもしれないが、必要なのはエリートでそれ以外の者はただ黙々と言うとおりに働け、というのがみえてきてしまったのである。なんとなくわかってはいたが、さまざまな数字やグラフで山ほど証拠をつきつけられ、ぐうの音も出ない状態になってしまった。

 私は中学校という教育現場にいる者であるが、現場にもそういった産業界の意向、そして親の願いが見え隠れしているのを感じてしまう。結果=数字 ( =点数・お金 ) の出せる人間に、というものである。そこには愛情や思いやりといった「心」の出る幕はあまりない。

 しかしそういった風潮に違和感を感じ、なんとかしたいとも思うのである。そこで私のとった行動は「絵本を読むこと」である。絵本だけで世の中が変わるとは思わない。けれども絵本にははかりしれない可能性が秘められていると信じているからである。「中学生に絵本なんて」と思われるかもしれないが、決してそんなことはない。中学生であっても実に楽しそうに絵本の世界に入ってきてくれる。生き生きとした顔をみせてくれる。「今日の絵本は何?」と催促し、たまに今日はないと言うといっせいに「えぇ〜っ !? 」。そんな子ども達の様子に後押しされて、私は今日もそして明日も絵本を読む。

絵本フォーラム60号(2008年09.10)より

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