たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第53号・2007.09.10
●●43

心にともっとる灯りがちっそうならないために

『知らんぷり』

 永いこと考えているが、よく分からない。子どもたちの間に起きている「いじめ」のことである。どうやら、大人たちの理解をはるかに超える「いじめ」の現実がある。

 現在の「いじめ」の淵源は 24 、 25 年前にあるといわれる。中流意識がみなぎり、価値観のふわふわした時代。人生は金なり、と拝金主義が罷りとおりはじめたころだ。

 ぼくの少年期にもいじめはあった。腕力自慢が幅を利かせて粗暴な喧嘩沙汰を起こしたり、あれやこれやのいじめの数々。それらの多くは餓鬼大将や悪戯坊主の一過性の仕業であったように憶う。いったいに、餓鬼大将や悪戯坊主は一面で好感をもたれていた。今日の敵は明日の友、といった趣さえあって仲間同志のいさかいが大半であった。いずれにしても、学校や地域の目が子どもたちにまで隈なくひかり、大それた悪行などできるはずもなかった。

 現在の「いじめ」はそんな素朴なものではないらしい。怖ろしいことに児童生徒に鬱病を患わせたり、自殺を誘引したりもする。

 『しらんぷり』は現在の「いじめ」の実際を描く二二〇ページもの別格の大作絵本である。「いじめ」の実際を「ぼく」が一人称で語り実況中継する。雨の日、通学途中のドンチャンがくしゃみをしたところに通りかかったのがヤラガセたち四人組。「きったねえなあ。バイキンシャワーのお返しするぜ」とおそいかかり、「いじめ」はスタートする。こんな些細なことで、あるいは、理由などな〜んにもなくて子どもたちが「いじめ」に遭遇することを、ぼくは知る。

 以来、ドンチャンはヤラガセ四人組に執拗に陰湿に「いじめ」を受けつづける。

 写生の時間で四人組は「ゲイジュツのバクハツだ」とドンチャンの画用紙にめちゃくちゃ色を塗りたくる。マリモ先生は知ってか知らずか、「あらまあ、すごい絵ね」と些かピントはずれの言。ドンチャンはなにも言わない。だから、「ぼく」もセイヤもヨッチンもヤラガセ四人組がやったなんて言わない。「ぼく」らは絵を描くのに一生懸命のふりを一生懸命にする。「ぼく」らは、…見ない・分からん・しらんぷり…。

 奇妙なおどりを無理やりやらされるドンチャン。ドンチャンはスーパーで盗みの手先までやらされる。そして、それを見ていた「ぼく」まで万引仲間に引きずり込まれてしまう。

 おどろくほどに作者の梅田俊作・佳子は子どもたちの良心をうたがわない。その証拠に「ぼく」の胸の裡を吐露させる…。「ぼく」は何度か、声なき声であるけれど、心のバクハツを起こすのだ。「ドンチャン。やめろー !! って、あばれろよ」「目には目を、だ 」。だけど、心のバクハツは声にならない。現在の「いじめ」のぬきさしならない深刻さはそこにある。

 だから、しらんぷり。だからといって、しらんぷりはしたくない。ウーン、なんと悩ましい問題であることか…。

 先生は、「いじめる人はもちろん悪いけど、放っておくまわりの人たちも同じように悪い」というけれど、渦中にある子どもたちにはどだい無理な話。しらんぷりしなかったらどうなるの? なんにも分かってない教師たち…。

 父さんも母さんも「ぼく」が相談しても上の空。こんな風だから親にも教師にも誰にも相談できない。じぃーと我慢をつづけるだけ…。で、追いつめられる子どもたち。いじめる子どもも多くはいじめられる。悪いと分かっても、いじめられないためにいじめる多数に組する。墨一色で、大胆に、怒りがはじけるような筆致で描かれるイラストから袋小路に入ってしまった子どもたちのうめき声が聞こえてくるではないか。

 救いは登場する屋台のおでん屋のおじさんである。猫にヤツあたりする「ぼく」を「こらあー !! 」とどなりゴミ拾いをさせたりするけれど「ほんまに助かったわ」とおでんをごちそうしてくれる。ドンチャンもおじさんだけが友だちみたいだ。かつて地域が生きていた時代のおじさんたちと同じように、子どもたちに目をひからす屋台のおじさんはいじめっ子もいじめられっ子もお見通しである。おじさんは現在地域社会の諷刺役を担っているのだろうか。屋台のおじさんや畑仕事のおじいさんたちと川原掃除をする「ぼく」。汗を流すうちになんだか楽しくなる。ヤラガセも中学生にいじめられるのをおじさんに助けられる。

 「人がこまっとんの見たら、しらんぷりはでけへんわな」「心にともっとる灯がちっそうなってしまうがな」。

 こんな屋台のおじさんの気概に「ぼく」は奮い立つ。体育館に集合した生徒一同に向けて大音声を発してバクハツする。「ぼくは、勇気がなくて…、友だちがいじめられているのに、しらんぷりばかり…」「…しらんぷりしたまま、卒業して…、中学生になるのは、いやで…」

 声なき声が小学卒業という舞台でついに実声として大炸裂する場面は感動的である。

 子どもたちをあたたかく観察し、深刻でやるせない「いじめ」の実際を露わに示そうと試みる作者。梅田夫妻は子どもたちの怒りや打ち震える胸の裡をしっかと理解し、「いじめ」を乗りこえるすべを示唆しているのである。「いじめ」の問題は、実は大人の問題だ。壊してしまった地域を、学校をそして人間の心を蘇らせ再生するのは大人たちの役割であることを、ぼくは『しらんぷり』から学んだように思う。

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