絵本のちから 過本の可能性
書 評 Book review

「絵本フォーラム」54号・2007.09.10

論評のユニークなスタイルに貫流する
揺るぎない人間観・子ども観

(文芸論評家・筑波大学大学院教授)
黒古 一夫

黒古 一夫(くろこ・かずお)

1945年群馬県に生れる。文芸評論家、筑波大学大学院教授。
日本近現代文学研究。
著書に『北村透谷論』(冬樹社)『大江健三郎論―森の思想と生き方の原理』(彩流社)『野間宏―人と文学』(勉誠出版)『立松和平伝説』(河出書房新社)『原爆とことばー原民喜から林京子まで』(三一書房)など多数ある。


 六月末から七月の初めにかけて「日本の現代文学―大江健三郎から村上春樹まで」という講演を行うために中国社会科学院外国文学研究所と山東師範大学に行っていた。帰国して貯まっていた郵便物を整理していたら、そのなかに飫肥糺『たましいをゆさぶる絵本の世界』が混ざっていた。仕事柄、かなり頻繁に小説集や詩集、歌集、句集、評論集 (研究書)の類を贈っていただいているが、これまで「絵本」や「童話」に関する本を贈ってもらったことはほとんどなかった。著者の飫肥糺も知らなかった。

 訝しく思いつつ開封したら、飫肥糺が旧知の「図師尚幸」であることが判明した。「図師尚幸」とは、一九八三年に大江健三郎や先頃亡くなった小田実、中野孝次らとともに『日本の原爆文学』 (全十五巻 ほるぷ出版) の編集に関わって以来の付き合いである。あれから二〇年以上、同じ年 (一九四五年)生まれだからなのか、編集者と批評家という関係を超えて「文学」や「社会」、「世界」などについて侃々諤々 (けんけんがくがく) の議論を繰り広げるような付き合いを続けてきた。

 そんな彼が飫肥糺の筆名で絵本に関わる本を出したのである。驚いた。彼が永く編集責任を担ってきた出版社がある時期からスリム化し専ら児童書を刊行するようになったと聞いていたが、その児童書 (絵本)について彼が批評を書いているとは知らなかったからである。

しかし、この『たましいをゆさぶる絵本の世界』を読み進めるうちに、なぜ著者が絵本 (児童書)の批評に関わってきたのか納得させられた。飫肥糺は、私の知る「図師尚幸」が「文学」や「歴史」、「思想」といった世界に向き合うのと全く変わらない姿勢で、絵本(児童書)の世界と向きあい本気で批評を行っている。そのことを私は分かったのである。

 著者は[第2章 はやるこころ ゆれるこころ]の「ガンピーさんになれますか。お父さん、おじさんたちの現在」のなかで、「大人も子どもも、男も女も人として対等であり、基本的な人権を共有する。この考えを尊重しあい実践するのが民主主義だろう。父親・母親・大人たちは、この民主主義の根本原則を子どもたちに対し身をもって示し、語らなければならない」と書いている。戦後民主主義教育を身体いっぱいに受けて育った私たちの世代らしい考え方であるが、このような揺るぎのない人間観・子ども観に加えて、本書の随所に出てくる「自然からたくさんのことを学んだ」という経験や「祖母や母親が機会あるごとに語ってくれたお伽噺・昔話」を糧に、著者は心に刻まれた四十冊の「絵本」について論評していく。

 その論評のスタイルもまた「図師尚幸」らしくユニークである。初めに、気になる社会現象や風潮について自らの体験や研鑽の結果手に入れた考え方を提示する。次に、そのような現象や風潮に対処するために役に立つと思われる書物 (絵本)を提示し、その絵本の持っている意味を読み解いていく。

語り口は、あくまでも自分の経験に即してやさしく、しかも決して押しつけがましい感じではなく、一語一語に愛が込められており、著者にこんな一面もあったのかと感心させられた。しかも、飫肥糺は、一冊一冊の本に対して「確信」を持ってその本を読むことの「良さ」を強調しており、その点にも著者の「心やさしさ」を感じることができた。

 全体は「第1章 幼な子の目」、先の第2章、「第3章 感じる 空想する 物語る」、「第4章 子どもも、大人も、考える」から成っている。

飫肥糺、いや「図師尚幸」らしさが一番現れているのは、第4章と言っていいだろう。

「いのち」や「こころの豊かさ」、「自然」、「学びのすばらしさ」、「アイデンティティ獲得」、「反核」、「戦争と歴史」、このように項目 (テーマ)を列記しただけでも、著者がどのような意図でこれらの書物(絵本)を取り上げたのかが理解できる。現在を生きる私たちと私たちの子・孫たちとに向かって、いかに「いのち」が大切であり、「こころの豊かさ」が重要であるかを強調しているのである。

 戦後六二年、一見「平和」そうに見えるこの国も、国内で殺伐とした「親殺し・子殺し」が繰り返されているのと軌を一にするように、憲法を改正して軍隊を海外に派遣できる体制を作ろうとする人々が大きな勢力になろうとしている。「殺すな ! 」は、戦後民主主義教育で育った世代の合い言葉であったが、本書を貫流しているのはまさにこの「殺すな ! 」を基底とした論理と倫理 (モラル)である。著者がそのことを誇らしく思っているようすが、本書の随所に出てくる。

このごろは滅多に「読書案内」の良書に出会わないが、本書はまぎれもなく子どもを持つお母さんやお父さんに、そして大人たちに広く薦めたい本である、と確信を持って言えるのも、そのような著者の姿勢にまったくブレを感じることがないからである。

 このような本が多くの読者を獲得するようであれば、まだまだこの国の未来は大丈夫かもしれない。飫肥糺の次の本が読みたい。


前へ ★ 次へ