旧暦では立春が一年の始まりだったためでしょうか。春の気配が心を浮き立たせるためでしょうか。何かを始めたくなる季節のようです。「うちの子に何か習わせようかしら」という声をよく耳にします。
『ウエズレーの国』(ポール・フライシュマン/作、ケビン・ホークス/絵、千葉茂樹/訳、あすなろ書房)という絵本をご存知ですか。みんなが同じ髪型で同じ形の家に住む街でウエズレーは自分の価値観で動く変わり者のいじめられっ子。でもウエズレーは気にかけず夏休みに壮大な事を始めます。庭に自分の文明を築いたのです。自分だけの植物を育て、自分だけの服を作り、さらにはウエズレー語まで作り、仲間外れにしていた子たちを「おもしろそう」と振り返らせてウエズランディア(=ウエズレーの国)の一員にしてしまいます。わくわくしたり、自分の意思を通す強さやいじめっ子を受け入れるしなやかさに引き込まれたり、爽快感を味わえる一冊です。
でも、今の子にそんな「想像」や「創造」、しなやかさや意思の強さを期待できるものかと不安になってしまいます。
習い事を始めれば目に見えて何かができるようになります。しかし、近年、「早いうちに」「可能性を伸ばしてやりたい」と願う親の準備が過度になっていないでしょうか。目に見える成長と引き換えに、元来備わっている想像性や創造性を手放してはいないでしょうか。受身の成長の機会ばかり与えてはいないでしょうか。 |