絵本のちから 過本の可能性
特別編

「絵本フォーラム」50号・2007.01.10

『クシュラの奇跡』 - 140冊の絵本との日々 -
出版から二十三年
のら書店 恵良 恭子

 長年勤めた児童書の出版社を退職し、友人と二人で小さな出版社をはじめることになり、のらねこがやたらに多い路地裏の雑居ビルに事務所を構えたのは、一九八三年の秋の終わりでした。

 翌年、一九八四年五月にのら書店のはじめての本として、「クシュラの奇跡  140冊の絵本との日々」を出版しました。

 この本は、ニュージーランドで児童書専門店を経営しながら、母と子の読書指導をしていたドロシー・バトラーさんの記した本で、この方は、もともとは高校の国語の先生でしたが、若くして結婚され、六男二女の八人のお子さんを育てたのち、ニュージーランドのオークランドで、児童書専門店をはじめられました。そして、四〇歳を過ぎてから、もういちどオークランド大学の教育学部に入りなおし、そこでの卒業論文として書かれたのが基になってできたのが、この「クシュラの奇跡」の本でした。そして、この本のクシュラというのは、著者のバトラーさんのお孫さんなのです。

 クシュラは、たくさんの障害を持って生まれ、内臓などにも非常に複雑な疾患がありました。絶望的な日々のなかで、両親は懸命に治療法を模索し、かすかな希望の光をみいだします。昼も夜も眠れずにむずかる赤ん坊との長い時間を埋めるため、母親がはじめた絵本の読み聞かせに、生後四か月のクシュラが強い関心を示したのです。

 一人では見ることも物を持つこともできず、外界から隔絶されていたクシュラにとって、この時以来、本はクシュラと外界とをつなぐ輪となりました。そして、本によって豊かな言葉を知り、広い世界に入ったクシュラは、三歳になったころ、健常児をはるかにしのぐ得意の分野を持つに至ったのです。

 「クシュラの奇跡」の本からは、子どもたちにとって、本というものがどんなに大きな力を持っているものなのか、また、言葉というものが、その子どもの内面をどんなに豊かにするものなのかということが、具体的に伝わってきます。

 おそらく、幼いときに本の楽しさを知った子どもたちは、大人になっても、本を友として、それぞれの人生を豊かにしていくことができるのではないでしょうか。そして、子どものときにどんな本と出会うのかも、身近にいる大人の力がとても大きいことと思います。

 幼いときに最高のものに出会う大切さを説く著者の言葉は、長年子どもの本の世界に惹かれ続けてきた私たちの仕事の意味を、あらためて認識することにもなりました。「クシュラの奇跡」の本は、まさに私たちの本に寄せる信頼をさらに深めてくれるものでもありました。

そして、幸運にも、朝日新聞の「天声人語」で紹介され、それをきっかけとして、大きな反響を呼ぶことができました。「天声人語」に紹介された六月十八日は、朝から電話がなり続け、食事もできず、話もできない状態となり、初版三千部はその日のうちになくなり、すぐに重版が決まりました。

その後は、毎日電話の応対と振替用紙で送られてくる方々への発送に追われ、書店からの注文にこたえるために、毎週一回のペースで版を重ねていきました。

そして、著者に直接お会いしたいというたくさんの方々の声にこたえて、ドロシー・バトラーさんを日本にお呼びし、各地で講演会を開催することにもなりました。一冊の本の出版を通して、ほんとうにたくさんの人々に支えられていることを実感した日々でした。

「クシュラの奇跡」の本は、現在四十刷、九万部となっています。

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「クシュラの奇跡」出版から二十三年目の昨年の春、若い読者の方々にも、より手に取りやすいようにとの思いから、形を変え、資料なども新しくして、普及版として出版しました。あとがきには、「その後のクシュラとバトラーさん」の様子も新しく紹介しています。

 二〇〇六年一月までの情報を含めると、クシュラについては、約四半世紀に渡って見守ってきたことになり、絵本の力と、一人の人間の成長の記録としても大変貴重なものになっていると思います。

 子どもにとって本がいかに大きな力を持つかということを具体的に実証し、本に寄せる信頼を深めてくれた「クシュラの奇跡」の本は、のら書店の大切な財産として、これからも手をかけ、力を注ぎ、多くの方々に読んでいただけるよう、地道な努力をしていきたいと願っています。


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