たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第49号・2006.11.10
●●38

因果の小車は回る。ぐるぐる回る

『ぶんぶんぶるるん』

 基本的な原因となにがしかの機会や状況とが組み合わさってさまざまな結果をもたらすことを因果といい、哲学でいう因果律では、一切のものは原因があって生起し原因がなくては何ものも生じないとする。 ( 『広辞苑』 )

 歴史研究でも因果則を発展則とともに重要視する。戦争は 起きる のではなく誰かが 起こす ことを歴史教育学の故・鈴木亮さんからぼくは学んだ。イランも中東も北朝鮮の状況も、誰が因をつくり、どんな機縁でどんな結果となるのか、ぼくらはしっかり見張っておかなければならない。少女・少年のいじめによる自殺は原因を辿れば教師や教育委員会、あるいは家庭など大人社会に帰す。至極このことは理にかなう。決して当事者は逃げられないのだ。因果律を解ることは世の理を理解するのになかなか便利だと思う。

 ぼくらの日常も因果則で語ることができる。現在のぼくは幾つもの原因のもたらした結果としてあり、ああしていたらこうしていたらと悔やんでみてもしょうがない。よく、祖父母に悪戯のあげくに怪我などすると「ほぉら、ほら。そんな悪さするからばち ( 罰 ) あたったんだ」「泣いたってしょうがないだろ。今度から気ィつけるんだよ」と 因果を含められた 憶えがある。「勉強したくなかったらせんでいい。大きくなってえろう損するのはおまえだから…、おばあちゃんは知らん」などとけしかけられると、少しは机に向かう気になったものである。善悪の業に起因し幸・不幸の果報を招来するのを因果応報といい、未来の幸を得るには今に善を尽くせということだったのだろうか。

 この欄は理屈を捏ねる場ではなかった (ですね) 。ならば、「因果の小車」のおはなし。この言い回しは車輪の回る様子にたとえて因果が循環することを意味するが、因果は回り回ってぐるぐると元に戻るという愉快な絵物語『ぶんぶんぶるるん』がある。

 事の発端は、一匹のミツバチが牡牛のお尻をちくりと一刺しした事。この一事が原因となり、牡牛が跳ねまわって乳搾りのおばさんをバケツごと蹴とばしてしまう。因果はどんどん回りはじめる。おばさんは旦那に八つ当たりして旦那はラバを鍬で殴りつけ、といった具合に回るよ回るよどこまでも、の趣き。ついには、尻尾に噛み付かれた猫が小鳥を追いかけ、小鳥はミツバチを見つけて追いかける。逃げるミツバチの先に、何と再び牡牛が現れる。で、ミツバチはどうするか。子どもだったら、すぐに物語をつづけてくれるのではないか。因果の小車は走り出したら止まらない。

 テキストは弾むようなリズムを持ちユーモアたっぷり、何度も読みを要求されるうちにまるで歌でも唄い出したくなる楽しい気分となる。舞台はのんびりとしたアメリカの農村。イラストは、無駄な描写を徹底して排除して太い輪郭線をもち原色に近い色彩で鮮やかに描きだされる。弾む言葉とイラストは、ぐいっ、ぐいっと読者心を掴んでしまうだろう。物語自体はノンセンスで、知らず知らずに因果の世界に誘われるだけの簡単なおはなしだが、これぞ傑作、といってよい絵本のひとつだろう。
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