絵本・わたしの旅立ち
絵本・わたしの旅立ち

絵本・わたしの旅立ち
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どの世界も似たものと安心しない
 近ごろ二つのボランティアのグループから、手紙がとどきました。その二通をあけてみると、たまたま、わたしの絵本『ごろはちだいみょうじん』(福音館書店)についての申し出でした。

 はじめの方は、読み聞かせグループからで、近所の町の子ども会に頼まれて読んでやりたいが、許可してくれないか。それから著作権使用料を、いかほど拂えばいいか、という連絡です。
 いま、これまで例がないくらい、お話会や絵本の読み聞かせが開かれています。これは子どもたちにとって、たいへんステキなことなのですが、なかには著者権の利用について、許可もとらないで、絵本をバカでかい大型紙芝居にしたり、エプロンシアターなどという、あやしげな新しい方式の演しものにして、お話をマンガ化して、混乱を極めています。
 児童文学の作家の団体、作家や画家、また児童図書の出版社などが、これではたまったものではありません。利用してもらうのは好ましいことだが、おそまきながら、作家や画家の権利、出版社の利害をキチンとふまえて善処するよう、アッピールをだしたとは聞いていましたが、こんなに早くわたしなどのところまで反応があるとは、おどろいてしまいました。

 個人の著作権はこれまでと同じく死後五十年つづきます。その絵本を利用しようと思えば、道義的にも話を通すのが常識ですし、出演者が交通費実費をこえるギャラを貰ったり、自分たちで会費を集めるような営利的活動をすれば、当然いくらかの著作料を拂うというのが礼儀というものでしょう。
「あんまり、やかましくいわれると、これからは、うっかり読み聞かせもできない」
 ボヤいたり不安を訴えたりする人もいたようですが、勿論何もかも画一的にアミをかけるというのではなく、よくアッピールをごらんになれば、許可を必要としない場面も沢山ありますので、このNPO法人「絵本で子育て」センターにお問いあわせ下されば解決する筈です。

 わたしにとって厄介だったのは、二通目の手紙でした。
 わたしなどは、やはり絵本『ごろはちだいみょうじん』は原作どおり読んでいただくのが一ばん有難く、勝手に手を加えられたくないのが人情ですから、すこし期待していましたが、同封された上演台本をみると、アッと声をたてそうになりました。物語は場面割をされたOHPのスライドが、影絵によって展開されていきます。物語の文章の中には、音楽や効果音の指定までされています。

 わたしは子どものころから永く影絵の演出をやってきましたから、デザインまで見逃しません。主人公ごろはちは、何と雪ダルマのような二重の丸いズングリした姿には、あきれてしまいました。
 そのうえ梶山俊夫の絵をそっくりカッターで切ったと思われる場面とか、チグハグにつながっていて、絵本の流れなど、すっとんでいます。何が何だかわからない。
「いったい、どういうつもりだろう」
 きびしく問いたくなりました。
 だいたい影絵というものは、色彩と光と影とが自由自在に組みあわされることで出来る「特別な世界」です。その上演のメカニズムにふさわしい新しい作品をつくりあげようという意欲がわかないのでしょうか。

 わたしがこれまで少々しつっこく語ってきた、絵本の第一次的創造というのは、「かたち」と「内容」とが脱線しないでほしいということでもあったのです。
 絵本について語るときにも、定評ある他者の旧作に頼ったりするだけでなく、やっぱり「かたち」と「内容」、「内容と表現」との関係を基礎にして「新しい世界」を拡げていってほしいと思うのです。

「絵本フォーラム」47号・2006.07.10


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