えほん育児日記

   
母になった喜びとダウン症という衝撃


~絵本フォーラム第123号(2019年03.10)より~  第5回

 体の成長に伴って、ゆっくりと娘の中から言葉が出てきました。  

 1歳2ヶ月でおすわりができると、絵本を見て指差しするようになりました。2歳でつかまり立ちすると、「パン」「バッバ(マンマ)」などの単語が出始め、『いない いない ばあ』(松谷みよ子/文、瀬川康男/画、童心社)のページをめくって「ばあ」と言うようになりました。独り歩きし始めた2歳9か月で「しほ、あむ(食べる)」とアピールしたり、お父さんが寝ているのを見て「おとたん、ねんね」などと二語文を話したりしました。

 本棚の前に座り次々と絵本を出してきては、ページをめくって文字を読んでいるかのようにお話しする。そして最後に必ず「おちまい(おしまい)」と言って絵本を閉じる。その様子は本当に可愛かったです。『14ひきのぴくにっく』(いわむら かずお/さく、童心社)が一番のお気に入りでした。

 3歳を過ぎる頃には、「おたーちゃん(お母さん)、ここ!」「おたーちゃん、シール!」などと一日に何十回も「お母さん」と呼ばれるようになりました。一生「お母さん」と呼ばれないかもしれないという3年前の不安は杞憂に終わりました。娘の発達時計に合わせて、溜めていた言葉があふれ出たのです。
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わたしの子育て1 さて、横浜市で幼稚園の2歳児クラスに入れてもらい年少入園の目途が立っていたものの、悩んだ末に、幼稚園入園に合わせて自宅のある大阪府茨木市へ戻ることにしました。12月に帰阪して通えそうな幼稚園3園を見学して回りました。
 
 駅前のホテルから一つの園まで、よちよち歩きの娘の手をひいて歩いて行った時のことです。出迎えてくださった園長先生が、「お母さん駅から歩いてきたの? がんばってるやん、えらい!」と誉めてくださいました。その明るく温かい言葉に、思わず涙が出ました。娘は、園児のいるお部屋に入れてもらって一緒に遊んだり、園庭で飼われているヤギを見たり、遊具で遊んだり、機嫌よく過ごしていました。私が帰ろうと誘っても「帰らない」と言い張るほど、その園に馴染んでいました。娘が気に入り、設備面も申し分なく、そして園長先生から「是非、うちにおいでよ」とおっしゃっていただき、ここにお世話になろう、と決めたのでした。

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 園バスがなかったので、真夏や雨の日などは電動自転車に乗せて行きましたが、なるべく歩いて通うようにしました。最初は休み休み、時々抱っこしながら、40分かかりました3年後には地域の小学校に通わせるつもりでしたので、集団登校でしっかり歩けることを目標に一緒に歩きました。最初はベソをかいたり座り込んだりした娘でしたが、卒園する頃には同じ道のりを半分の20分で歩けるようになりました。

 娘は園生活を楽しんでいました。家に帰ってくると、お友達の名前を出して、その日にあった出来事を教えてくれました。私も毎日の送り迎え時に先生方や保護者の方々と言葉を交わすので、娘からの話と総合して、だいたい園での様子が分かり安心でした。

 娘は自分でできることを手伝われるのが嫌で、よく「詩歩がする」「自分で」と言ってお友達の手をわたしの子育て2振り払っていたようです。先生方は、お友達に「それは詩歩ちゃんが一人でできるから手伝わなくてもいいよ」と言ってくださいました。

 家では、自分の思い通りにならない時、よく足をドンドン踏み鳴らしながら「詩歩が~するの」と叫んでいました。地団太って本当に・・踏むものなのね、と思わされました。主任先生が「意欲のない子どもから意欲を引き出すのは難しいです。意欲だけは教えることができません」とおっしゃるのを聞いて、うちの子は大丈夫だな、と思ったものです。

 ある朝、娘がグズグズして幼稚園に遅刻しそうになったので、イライラして大声で怒鳴ったことがありました。すると娘は必死な顔をして「お母さん、笑って」と言ったのです。この場面でそう来たか、と思わず吹き出しそうになりました。しっかりと言葉で自己主張できる子どもに育っていました。
(たもと・ゆきえ)

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