昨年、4歳になったばかりの娘とバートン展に行き、『ちいさいおうち』を購入しました。娘には少し難しかったのか数回読んだだけでしたが、成長してからも楽しめる絵本だと思い特に気にせず本棚に並べていました。
それから半年ほど経ち、娘がお話を書き始めました。その中にこんなお話がありました。
「うれしかったおうちのはなし」
あるひ おはなばたけに ちいさな ちいさな いえが たてられた/みずいろの やねの いえで まだ だれも すんでいなかった/いえは だれかが 「すてきないえだな」とおもって すんでくれるのを ずっと まってた/しばらくして やっと いえに すむ ひとが きた/そのひとは そのおうちを みて びっくりした/
「おはなばたけの なかに あって すてきだな」っておもった/
おうちは ひとが すんでくれて うれしくなった/
おしまい
読み終わった私に娘が言うのです。「おうちも気持ちがあるんだよって、これを読んだらわかるでしょ?」と。娘は覚えていないでしょうけど、半年前、初めて『ちいさいおうち』を読んだ時、途中でこう言っていたのです。「おうちが悲しいのに、誰もわかんないんだ」。娘にとっては、おうちが声を上げることができない、気持ちをわかってもらえない、ということが強く印象に残ったのでしょう。町が栄えた代償に大切なものを失っていくという部分はまだわからず、尚更おうちが悲しんでいることだけが濃く浮かび上がっていたのかもしれません。
娘はその後も幾つかおうちが主人公のお話を書いています。物言わぬおうちの代弁者になろうとしているようです。溜まったら本の形に綴じて、『ちいさいおうち』の横に並べようと密かに楽しみにしています。
(さいとう・にな)
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